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10年越しの夢を捨てる時が来た #2

 夏菜子がこの病院に転職したのはちょうど1年前だ。その前は老人ホームで3年、その前は町医者で2年、その前は別の病院で、その前はまた別の老人ホーム。転々として全部で10年。夏菜子は10年間、看護師として働いてきた。

 程度や頻度の差はあれ、これまでの勤務先でも、夏菜子の不調の症状は起こっていた。それはぎっくり腰であったり、扁桃腺が腫れるであったり、蕁麻疹が出るであったり、およそ相関関係がないようなあらゆる症状だった。もちろん症状が出る度、夏菜子は仕事を欠勤したり早退したりせざるを得なかった。ただこれまでの職場では、体調を心配されこそすれ、それを咎められるということはなかった。これには理由がある。夏菜子は転職する際の面接で必ず伝えていた。自分が過去にひどいうつ病を患っていたことを。

 10年前、夏菜子はうつ病の回復期にあった。スーパーのレジ打ちや回転寿司チェーンのキッチン業務を行いながら少しずつ社会復帰を試みて、いよいよ看護師に復帰しようとしていた。内服治療はまだ続けているが、週に5日、1日8時間働くことにも慣れ物足りなさを感じるようになっていたからだ。

 新卒で大学病院に入職して、激務のストレスから1年余りでうつ病を発症した。なかなかに重症化してしまったので、食べることも眠ることもうまくできずに、布団に潜って涙を流すだけの日々が数ヶ月も続いた。それから数年かけて外に出られるようになり、また数年かけてやっとの想いで働けるようになった。

 夏菜子にとって看護師の仕事は、とても魅力的でやりがいのあるものだった。できるならまたあの仕事に就きたい。人の役に立ち、苦しむ人を笑顔にしたい。そう思う一方で、怖さもあった。あの激務の中に戻って、再びうつ病が悪化してしまうのではないか。またあの真っ暗な世界に引き戻されてしまうのではないか。

 インターネットで求人情報を検索しながら何ヶ月も悩んだ。大きな病院は辞めておこう。夜勤がなくて休日固定のところがいい。ブランクがあるから専門性が高いところではきっとやっていけない。先輩とか同僚が少ないところで、マイペースに働けるようなところがもしあれば、面接だけ受けてみよう。それでもし受からなかったら、看護師への復職は諦めよう。そういう想いで面接に臨んだ結果、うつ病であることも理解した上で、採用の連絡が届いた。

 やっとスタート地点に立てた気がした。うつ病を発症してから5年が経過していた。

 看護師に復帰することを伝えると、家族も友人もとても喜んでくれた。夏菜子もとても嬉しかったが、うつ病悪化の恐怖は絶えず付き纏った。もしも悪化したらと考えるだけで、息が詰まって夜も眠れない気持ちになった。そして決意した。少しでも悪化の兆しが現れたら、その時は看護師の仕事はスッパリと辞める。健康であること以上に重要なことはない。二度とあの暗闇には戻らない。そう心に誓って、夏菜子は看護師の道へ戻ることにした。

 初めのうちは元々あった症状が度々出現した。できない自分にひどく落ち込んでしまうことがあったし、過換気症候群や失声症状も続いた。苦しかったが、周囲の理解や励ましがあって少しずつ落ち着き、症状は改善していった。色々な理由で転職は必要だったが、内服治療も終了することができ、うつ病の症状はあまり気にならなくなっていった。しかしその頃から、うつ病とは全く関係がないと思えるような不調の症状が定期的に目立つようになった。そしてその種々の症状によって、夏菜子は今、窮地に立たされている。

 もがき苦しんだ10年間の幕を閉じる日が、やって来てしまったのだ。


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