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10年越しの夢を捨てる時が来た #3

 苦しくなかった訳ではない。むしろいつも、逃げ出したいほど苦しかった。息をしているのに、溺れて呼吸困難でいるような感覚が常にあった。

 夏菜子は小さい頃から「弱い子」だった。

 小学生の頃は、数ヶ月に一度は熱を出す子だった。風邪を引いたり扁桃炎を起こしたりインフルエンザに罹患したり、冬場なんかは毎月近くの小児科にかかって点滴を打たれていた。小さな子どもは注射針を見たら泣いてしまうものだが、夏菜子は泣かなかった。治療すれば楽になれることを知っていたから、病院に行くことも嫌いではなかった。
 よくお腹も痛くなる子だった。夏菜子の家庭は他所と少し違ったので、家族の団欒というものはなかった。両親は不仲で会話は一切なく、義務感で共同生活をしているだけの他人という様子だった。2人ともヒステリックな性格で、別々にヒステリーを起こしては夏菜子に感情をぶつけた。
 父親は機嫌が悪いと暴力を振るうので、夏菜子はいつも顔色を窺っていた。どこにスイッチがあるかまるで分からない父親は、何も悪いことをしていなくても急に怒鳴り付けてきて夏菜子を叩いた。熱を出して寝込んでいた夜中に、大きな音を立てて部屋に入ってきて暗がりで馬乗りになって殴られた時、殺されるんだと思った。
 一方母親は、そんな父親の愚痴を吐いては被害者面をしているだけで、守ってくれることは一度もなかった。殴られる夏菜子の隣で、知らん顔をして洗濯物を畳む母親を見て、この世に信じられるものは何もないと確信した。家庭に安らげる場所を見出せなかった夏菜子は、いつも緊張していて情緒が安定しない子どもだった。友だちとの上手な付き合い方も掴めず、お腹がギュウと痛くなる度にトイレへ逃げ込んだ。

 中学に上がると、熱を出すこともお腹が痛くなることも少なくなったが、代わりに寝付きが悪くなった。経済的にゆとりのある家庭ではあったので10畳余りの1人部屋を充てがわれたが、母親と就寝の挨拶を交わした後もすぐには寝付けず、深夜2時頃まで日記を書いたり絵を描いたりして過ごした。当然朝は起きられず、遅刻を繰り返した。夏菜子にとって、眠れないことは辛いことではなかった。両親が寝静まった後の1人部屋は、最も安全を感じられる自由な空間だった。

 高校時代には、原因不明の発作に襲われるようになった。発作とは夏菜子が呼んでいただけでてんかん発作のようなものではなく、原因不明に瞼が腫れる症状が時々起こった。深夜に息苦しさを感じて目を覚ますと、瞼が腫れて開かない。全身に痒みを感じて鏡を見ると、瞼が腫れ上がって別人のようになっている。毎度病院に行って診察を受けても異常は見つからず、数日で腫れは自然に引いた。
 異常がないんだから気にしなくて良いと慰められることが多かったが、知らぬ間に顔が変わっているのは気持ちの良いことではないし、原因不明ということはつまり、治療法がないということで、いつまた瞼が腫れるのだろうと心配しながら生活をするのはストレスに他ならなかった。

 頻度こそ減ったものの、熱を出す回数はクラスメイトと比べれば多かったし、夜中に目が覚めてトイレで過ごすことはなくならなかった。背中が痛くて動けないとか、全身に蕁麻疹が出るとか、数日で収まる程度の原因不明の不調は突発的に繰り返された。

 そんな夏菜子のことを、父親はいつも蔑んで馬鹿にした。一方母親は、夏菜子が高校生の頃に難病が見つかって入退院を繰り返すようになった。

 夏菜子は小さい頃から「弱い子」だった。

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