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女医になるまでの道のり①子ども時代~医学部受験

こんにちは、yumeです。

今回は、医者になるまでの道のりについて、幼少期から振り返って書いてみたいと思います。医師を志した理由、医学部受験、医学生生活、研修医生活についても書いていきます。
長くなりそうなので、今回は子ども時代から医学部受験まで。

子ども時代

地方の医者家系の家に生まれました。親戚は医療従事者が多く、父親は医師でした。
小中の成績は良い方で、優等生タイプ。
中学受験向けの進学塾に通っていましたが、そこではできる方ではなかったです。
高校は県内の一番偏差値の高い高校へ進学しました。
高校の成績は、定期テストでは上の下、実力テストでは中の上~中の下。

ここまでくると、なんとなくわかると思いますが、
いわゆる地頭は良くなく、努力型の人間という感じ。

部活は運動部に入っており、結構真剣に週6でやってました。
部活の成績は県ベスト16くらい。

高1の時は、ぼんやりと理系かな、と思っていました。
高2になって進路を考え始め、そこからはっきりと医学部を目指すことにしました。

理由は、人の役に立つ仕事がしたいと思っていたから。
どうしてかというと、親がそういう人間になりなさいと言っていたから。

要は、一言でいうと、親に認められたかったからです。

小さいころから、親から「もっと頑張りなさい」と言われ続けて育ちました。常に高みを目指し続けることが人生の目的だと信じ込んでいました。
進路選択でも、医学部目指すと言ったら親は喜んでくれました。

また、きょうだいが国公立の医学部に進んだこともあり、負けず嫌い魂に火が付いたのもあると思います。

後々書いていきますが、私はこの選択をした瞬間に、後戻りできない女医人生のレールに乗り、その後10年以上藻掻き続けることになるのです。

もし、この頃の自分に戻れるなら、
「もっと視野を広げて、いろんな職種を見てほしい。あなたに向いていることは何か、自己分析して。わからなかったら、選択肢を残して、大学で考えたっていい」
と言いたいですね。


医学部受験

高3の初夏まで部活を続けていたので、夏から本格的な受験勉強になりました。
前述したとおり、実力テストの結果からは一般受験では到底太刀打ちできないことがわかっていたので、元から推薦を狙っていました。
なので評定をなるべく揃えられるように、膨大な課題を日々こなし、定期テストは相当勉強していました。
その結果、高校3年間の平均評定は4.9でした。

できれば国公立の推薦を受けたかったのですが、国公立はセンター試験の点数も評価され、高3夏の時点での模試の結果からは厳しいかもしれないと思いました。

そんな中、親が紹介してくれたのが、私立医学部の推薦でした。
正直、父は医師ですが勤務医で、他にきょうだいもいるため、学費の面で私立医学部は厳しいことはわかっていました。

しかし条件として、合格したら地域の奨学金を借りることで、私立医学部の推薦を受けても良いことになりました。
(これが後々足かせになるのですが・・・。)

そこからはひたすら受験対策。
推薦ですが倍率はそこそこ高く(一般受験よりは低いですが)、筆記試験もありました。
3年間の頑張りのおかげで評定がよかったので、少し気持ちの余裕をもって受験できました。

そして無事、合格することができました。
この時は純粋に嬉しかったです。
推薦は、一般受験と違い、筆記試験だけではなく3年間の評定や部活動などの活動も含めた評価なので、これまでの18年間の人生における頑張りが報われた気持ちになりました。

本当に、開放感でいっぱいでした。
これから苦悩の日々が待っていることは露知らず。


長くなったので今回はここまで。
次回は医学部生活について書いてみます。

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