映画『理想郷』のとりとめのあまりない感想
タイトルこそ“理想郷”ですが
何故このタイトルにしたのか分からない、しんどくて陰鬱で気が滅入る、村の事件と生活の話でした
でも、この映画はめちゃくちゃ好きです
ものを考えたり、以前から気になっていたことの考え直しのきっかけにもなった、ありがたい作品でした
しかし、映画に対して思うところが有りすぎて、あれもこれもと書き込んでいたら、感想のネタを陳列するようなとりとめのない文章になってしまいました
フィルマークスのあらすじと、このポスター画像を見ると、閉鎖的な田舎に引っ越してきた都会の夫婦が、田舎の人間からひどい嫌がらせを受ける話…に見えます
それもストーリーの側面として間違いではないのですが、加害を受けた側が、加害で報復をし、それがエスカレートし過ぎてしまい、結果恐ろしい悲劇が起きてしまう話なんです
やられたらやり返す、の姿勢をお互いに崩さず、引き下がらなかったばかりに起きてしまった、どっちもどっち、の最悪な形の話だったのです
少し前に感想記事を書いた『福田村事件』の鑑賞の直後に、この『理想郷』を観たので、人が人を加害することについて繋がる要素があるように感じました
こいつには加害しても構わねぇだろうって人が判断してしまうきっかけって色々あって、侮辱された、暴力を振るわれた、嫌がらせをうけた、こちらを加害してくるかも知れない、やり返さないと気が済まない
抵抗しなかったら、相手がさらになにをしてくるか分からないという恐れ、やらなければこちらがやられる!
そうした思い込みが、この映画の対立する双方にあって、この映画が示しているのは
加害を受けたらそれに対し報復をしないでいるのはとても難しいということ
そして、報復のやりあいが起きてしまったら、その度合いはエスカレートする一方になってしまう、それってとても愚かじゃないか そう告げてるように感じました
しかし、この映画が意外な様相を見せるのは、最悪な出来事が起きてしまった、そのあとの部分でした
ひとりになってしまった夫婦の片割れで妻のオルガは、ひとりになってしまっても黙々と、畑の世話をし、市場で野菜を売り、羊を買い入れて農場を拡張してゆき
そしてあまり協力的でない警察にも声を荒げず、行方不明の夫を捜索した地図(広範囲に詳細なチェックが入っている)を示し、情報を共有しようとします
その彼女の顔は、ひとりでいる時は厳しく引き締められた表情で、何を考えているのかを推し量ることはできません
遠方からやってきた娘は、嫌がらせをした挙げ句にパパを殺した奴らがすぐそばにいる、どうしてこんな村に居続けるの!? 訳が分からない! と母をなじりますが
「わたしはここにいる」
「この村が好きだから」
とだけ、娘に言うのです
(この村が好きな要素がどこに…?)
そしてついに、夫アントワーヌの遺体が発見された、雪解けの春の季節のシーンで、この映画は終わります
夫も妻も、実は考えてた事は同じで このままでは済まさない ってことなのではないでしょうか
でもその行動の現れ方が違いました
夫アントワーヌは、嫌がらせを続ける隣人を監視し、盗撮し、時に直接脅したり罵倒したりしました
妻オルガは、まったく隣人にコンタクトは取らず、淡々と生活し、夫を探しだし、そして隣人の兄弟ではなく、その母親に
「あなたの息子たちは、刑務所に行く
あなたはわたしと同じ、ひとりになる
わたしはあの家にいるから、何かあったら来て」
とだけ告げるのです
ほんとに驚いたシーンでした
お前のくそ息子どもはこれで刑務所行きだ! 関わりないツラしてられるのもこれで終わりだ! ざまあみろ! とか言うのかなあとか思っちゃった、他害傾向の強い自分のダメさを恥じました
そして、ちょうどこの映画を観る前に読んでいた、森達也氏の『虐殺のスイッチ』本文中にあった、ノルウェーのテロでのエピソードを思い出しました
被害者遺族と加害者家族は、共にケアをうけるべき存在で、直接互いの話を聞き慰め合うこともある、そうした取り組みがあるということです
思わぬリンクを見せた映画鑑賞でした
あと、ほんとに個人的な話なんですが、
実家の母が車を追突されて、その相手が任意保険に未加入で、それでも相手と直接交渉して車の修理費を払わせようとした顛末のことも思い出しました
娘の説得を突っぱねる様子がそっくりでした
あくまで冷静に淡々と事にあたるオルガの行動を見て思い返すと、殺害されたアントワーヌの行動はどこかおかしいというか、作中の画面やテキストには表れてない部分が多くあるように感じます
頑なに、村の風力発電開発に反対を続けたり、発電会社のあるノルウェー、という国の名前に怒りを露にしていたりと、村のために風力発電に反対するってのは建前で、実は別の理由から拒否してるのでは? と勘繰りたくなります
そしてアントワーヌは、自宅の敷地内のスペースに酒の瓶を捨てたり、椅子に小便をしたり、農業用の貯水地にバッテリーを捨てて農作物を駄目にされたりといった嫌がらせを全て隣人の行為だと断定していました
しかし、これらの行為が、確実に隣人の仕業である証拠って実は無いんです
捨てられた瓶の本数、汚された椅子の台数、貯水に沈んでたバッテリーの数、全て2つだったので、まるで隣人の兄弟2人を暗示しているように見えるのですが、証拠はない
実は隣人の仕業ではなかったとしたら?
あの兄弟から見たら、様々な嫌がらせをしてきたと責め立ててくる、風力発電にも反対する、こちらを侮辱する、自宅の回りを盗撮して罵倒してくる、アントワーヌはそんな男に見えてたんだとしたら?
兄弟から見たら、異常なのはアントワーヌの方だったから、あの行為に走ってしまったのだとしたら…
でも映画では兄弟からの視点は描かれない、アントワーヌから見た兄弟の姿しか見えないから、結局真相はどうだったのかは分からないのです
あと、映画の冒頭から、村の男性がおそらく村で唯一の酒場に集まって飲んでいて、そしてアントワーヌが「おいフランス野郎」みたいな蔑称をうけるシーンが幾度もあるんですが
そもそも、関係が良好とは言えないコミュニティにおいて、村の男性が皆で顔を出す酒場に通うのを止めないアントワーヌって何を考えてたのか分かりません
行ったって喧嘩にしかならないのにです
行くのを止めるのは、逃げてる気がするから? 負ける気がするから、意地で出かけてるんでしょうか
そう言えば『イニシェリン島の精霊』も、おっさんが喧嘩する話だったんですが、喧嘩になんないようにするって意識がそもそも双方に無くて、おっさん同士ってどうしてこう喧嘩したがるの? って呆れる気持ちが出てしまったのが正直なところです
ところで、夫婦が飼ってる犬がかわいいんですよね
誰にでも構ってほしくて、しっぽをプンプンするし、呼ばれたら誰にでも付いていってしまう
兄弟の弟の方にも呼ばれたら行ってしまう…
一瞬、犬が和解のきっかけにならないのか淡い希望を抱いたのですが、なるわけないですね
一緒に見に行った母は「犬が殺されると思った」と言っていたので、発想が修羅なんよ、と思いました
ところで、この映画の救いはフランスとスペインの共同制作の映画であることだと考えます
内容ははっきり、フランスとスペインのそれぞれの人の対立を描いている、それが共同開発されていると言うこと、そこに喧嘩はよくないよね、という意志を感じるのです
最後にこの映画なんですが、Spotifyにサントラがあったんです
このアルバムジャケット、お分かりになりますか?
アントワーヌが今まさに! 兄弟に絞め殺されようとしてるシーンの、苦悶の表情のアップなんです!
恐ろしいチョイスで、それがなんか好きです
この映画の『理想郷』ってタイトルなのどうしてなんだろうと思ってたんですが
ひとりとひとりになってしまったオルガとあの息子たちの母は、案外穏やかに、時に助け合って暮らして行けるのかも知れない
それはある意味、オルガは“理想郷”にたどり着けたってことなのかなと…どうにか結論をつけた次第です
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