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森達也『虐殺のスイッチ』と映画『福田村事件』の感想

自分の住まいの最寄りの映画館(と言っても車や電車で30分くらい)に、以前から観たかった映画『福田村事件』が来ていたので、鑑賞してきました

その前に、この映画の監督である森達也氏の著作
『虐殺のスイッチ』を読んでいたので、そちらの感想から記入しておきます

森達也『虐殺のスイッチ』ちくま文庫

虐殺と呼ばれる、人が人に行ってしまう行為はなぜ発生してしまうのか? というメカニズムを解析した本です
森達也氏は、あくまでも人類の歴史にあった虐殺の事実を解説した上で、その見解を述べており
こんな事実があったことを知っているか! 知らなければダメだ! 
というような語気の荒い語り口ではまったく無く、むしろ森さんご本人が、どうしてこういう辛い事が起きてしまうのか、そしてそれが繰り返されて無くならないのか、過去に学ぶことは出来ないのか、それを知りたい! 
そう切に願う、寄り添ってくれる文章でした

カンボジアのクメール・ルージュ(ポル・ポト派)による自国民の虐殺
ナチス・ドイツによるユダヤ人へのホロコースト
ルワンダのフツ族によるツチ族の虐殺
そして大正時代の日本における、関東大震災後の朝鮮人虐殺
さまざまな歴史の事実をあくまで分かりやすく、しかし詳細に、その時その国でなにが起きていたのか?
ということを解説してもらえます
また、森達也さん自身が長年ドキュメンタリーとして取材し続け、死刑囚となったオウム真理教の幹部の方たちとの接見や文通での印象が語られる章もあり、そこも大変興味深いものでした
この世には虐殺を行う異常者がそれを起こすのではなく、どの時代も、どんな国でも、誰の身の上にもそれは起こりえるということ
そして、日本という国の国民性が抱える虐殺へのスイッチとなる危うい側面についても語られていました

特に印象深かったのは、本文第6章の【もとからモンスターである人などいない】の中で紹介されていた、ノルウェーの2011年のテロについて、森さんが取材を行った時のエピソードです

69人(うち55人は10代の少年少女)が殺害された現場だ。フェリーで駆けつけていた被害者の親たちは、血みどろの我が子の遺体を抱きしめて泣き叫んでいる。まさしく地獄絵図だ。
そこに加害者であるブレイビクの母親が現れた。手には慰霊のための花束を抱えている。被害者の母親たちが集まってきた。そこで何が起きたのか。
「被害者の母親たちは、加害者の母親と抱き合って泣いてました」
「あなたが一番つらいわね」と加害者の母親に泣きながら声をかけた被害者もいたという。

森達也『虐殺のスイッチ』129ページより引用

そして本書では、ノルウェーという国が行っている被害者親族への支援策の紹介や、被害者遺族も加害者家族も同じケアすべき対象として行政から民間レベルまでの体制が整っていることの解説が行われてました
そして、日本ではこうした寛容策を行うのは極めて難しいだろうとも提示されます
“それは悪を赦すことになる”だろうと、日本の民意はそれだけは許さないだろうと

そこまで考えて気がついた。ならば僕が生まれたこの国では、被害者がこれ以上増えないことよりも、加害者を罰することを優先している、ということになるのだと

森達也『虐殺のスイッチ』132ページより

加害者を罰することに加熱する、行き過ぎた正義の感情も、また虐殺へのひとつのスイッチなのではないか?
森達也氏はそのように警鐘を鳴らしているように感じました


 
  
 

そして、気合いを入れて『福田村事件』を鑑賞させてもらいました

1923年春、澤田智一(井浦新)は教師をしていた日本統治下の京城(現ソウル)を離れ、妻の静子(田中麗奈)と共に故郷の福田村に帰ってくる。智一は、日本軍が朝鮮で犯した虐殺事件の目撃者であった。しかし、妻の静子にも、その事実を隠していた。その同じころ、行商団一行が関東地方を目指して香川を出発する。9月1日に関東地方を襲った大地震、多くの人々はなす術もなく、流言飛語が飛び交う中で、大混乱に陥る。そして運命の9月6日、行商団の15名は次なる行商の地に向かうために利根川の渡し場に向かう。支配人と渡し守の小さな口論に端を発した行き違いが、興奮した村民の集団心理に火をつけ、阿鼻叫喚のなかで、後に歴史に葬られる大虐殺を引き起こしてしまう。

フィルマークス映画解説文より

この映画は実話を元にしたフィクションで、ほぼドキュメンタリーのように鑑賞できる作品であったと思います
当時の風俗や時代背景が精密に再現されていて、登場人物ひとりひとりに濃密なドラマがあり、個人的な話で申し訳ないのですが、戦争の話を大声でずっとするおっさんが親戚に居たので、それを思い出してぞっとするシーンが多くてしんどかったです リアルさゆえのしんどさでした
そして男女間のどろっとした愛憎劇もあちこちにあり、それがドキュメンタリーとしての映画とは相性が悪いと感じる部分もありました

「あなたは、また見てるだけで、何もしないつもりなの」

という台詞は、この映画のキーワードであり、大切なテーマでもあるのですが、それを不倫をした側が、その現場を見ていただけの配偶者に言うのはどうなのと、テーマから離れたところが気になってしまう側面があったように感じました
個人的はこうしたどろどろネタは好きですが、頭は惨劇の記録としての『福田村事件』を観ようと思ってたもので、どろどろネタは困惑しますというのが正直な感想でした
しかし、惨劇のはじまりのシーンで、ひょっとしたらこの悲劇は止められるのかも知れない! と感じた瞬間から、虐殺が始まってしまった、もう止められない、という絶望は凄まじかったですし
福田村という場所が特別な人たちの住む場所ではなく、この惨劇は当時の日本のどこでも起きてたかも知れないのだということや、この映画の事件の際に同時に起きていた朝鮮人に対する大量虐殺についても、しっかり言及があり、それも知っておくべき事柄で、考えるべき事だと改めて思えたのでした


この映画については監督の森達也さんのインタビューがPodcastで聞けるので、こちらもオススメです

また、福田村の惨劇について以前から、歌の形で伝えて下さってた方です

そう言えば、友人にこの映画を観てきた話をしたのですが
「怖くてちゃんと観れないかも知れない、でも観た方がいいよね、観るべきだよね」と、悩んでいました
でもですね、観なきゃいけない、と使命をもって観るのも大切かも知れないですが、むしろ人間の歴史の中にある虐殺の歴史をタブー視したり、重く受け止めたり、大きな問題として取り上げたりすることよりは、

人が人を加害してしまう時ってどんな時なのか?
それが最悪な悲劇を呼ぶきっかけにしないために出来ることはなんだろう?

そんな風にあくまで身近な問題として、家族とでも友人とでも話題にのせるハードルを下げて、自分はこう思うんだよって話し合いができるようにする事こそが、人間同士の対立が緩和される(かも知れない)きっかけになるんじゃないかと、微力ながら思ったのです
ですので、友人には映画を無理して観なくてもいいから、本で読んだり、お子さんにいつか話してあげられるように準備しておくのが良いんじゃないか、自分も一緒に話すし、と伝えておきました

『福田村事件』は現在(2023年12月)
U-NEXTでの鑑賞が可能です
また、ところにより映画館での鑑賞も可能です

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