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昔のEvernote発掘シリーズ:ルイ14世の死 アルベルト・セラ監督へのインタビュー録

今日は昔のEvernoteを発掘してみた。

通常の映画監督インタビューは、質問を投げかける側が浅い質問しかせず、表面上のやり取りだけで終わるケースが多い。そのため、上映された映画に興味がない人間にとっては、特に面白くはない。その一方で、稀に、監督がその映画自体の話をしない監督インタビューがある。そういったものは監督の本音が垣間見えるし、普遍的で示唆に富んでいるので、載せておこうと思い立った。

本題だが、これは映画 ルイ14世の死(2018年5月公開、カンヌのワールドプレミアで「今年のカンヌで最も美しい映画」(リベラシオン紙)と賞賛された) の公開当時に来日していたセラ監督への上映後インタビューである。また、私がその場で口述筆記のようにスマフォにメモったものである。参加者は30人程度だったので、かなり貴重なインタビュー録のはずだ。訳者の方がスペイン語をその場で日本語翻訳している関係上、多少わかりにくい点もあるが、ご容赦いただきたい。尚、インタビューというよりは、ほぼ監督が独白していたので、Q&A形式にはなっていない。

・映画で測量の仕事をしている人間がいて、その人間はいかに測量の精度を高めるかということだけに興味を持っていた。彼はそのことをとても楽しんでいたが、どのような映画になるのかをイメージできておらず興味も持っていなかった。

技術を使って何かをするとき、その質についてだけ興味を持って、それが何のために役立つのか、なぜやるのかということがイメージできていないような技術者はいらない。

・それは、第二次世界大戦で銃の準備だけしていて誰を殺すのか、ナチスなのか子供なのかということに無関心であるというようなこと。

作り手は今していることが美しいものを生み出すだろうなという信頼感が重要なのでそういう気持ちを持てない技術者はクビにした。

・自分は全体の調和を考える人たちと仕事をしている。

自分の仕事を高めようとすることは全体の調和を壊す。そういったものはよくあることだが、不要なものである 。

・スペインにはいい作家がいるがいい監督はそれほどいないしレベルが低い。良い作家になるより監督になったほうが早く成功できると思ったし、実際のところ2年でカンヌに出すことができた。

・友人たちはポーカーでお金を稼いでおりそんなことは無意味だと思うが、自分の場合は映画の撮影で楽しくお金を稼げた。

・私の死の物語は3本目で最高傑作だったがカンヌにそっぽを向かれた。だが4本目のルイ14世はカンヌで成功した。おかげで有名になれた。

質疑:
監督にとって俳優や監督とは?
→俳優と演技は別である。監督と俳優の身体との間に空想(これは聞き間違いか誤訳。おそらく空間や距離)があって、俳優は嫉妬する。俳優は害悪をもたらす。カメラの前にいかに長くいるかということばかり考えている。例えば16才の少年が俳優になりたいというのは毎月宝くじが当たる存在になりたいというようなもの。
俳優の実像は、俳優の身体によってあらわれる。絵画なら造形的な記号。映像は身体。身体を操作するもの。映画は時間を操作する。演劇よりも固定されない豊かさがある。生身の人間が別の人生を生きることができる。演者が実在の人物になる。インターアクション(歯車になる)がある。そこをいかに操作するかが監督の仕事。
俳優の技術があると単純化されてしまいとてもつまらないものになってしまう(人間的魅力がなくなる)
→プロの俳優の仕事だと単純化されてしまい人格化されて平凡になる。
→主役のジャン=ピエール・レオは別だった。プロでない人と仕事している。と話したらノンアクターだと言った。俳優の虚栄心は邪魔になる。一般的な俳優は賢くはないのでビジョンを持っていても不愉快なものになる。
→舞台もやっているが、フェイスブックで集めた人を演劇のプロ俳優と組ませたら、俳優のほうは生きている意味がないぐらいひどかった。

以上である。映画と本気で向き合っているからこその本音が露呈している気がしないだろうか。演技や芝居に興味のある方以外にも響く、普遍的なものの見方を提示してくれている気がする。今後何度も読み返したいぐらい、とても良いインタビューだった。

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