見出し画像

不登校と本当の幸せ

私がこの記事を書き始めるのには大きなきっかけがあります。
いま間近で接している子どもたちの中に、不登校や不登校になりそうな子はたくさん居るのですが、その子たちのどのように接するのがベストな答えなのか、見いだせないまま毎日を過ごしているためです。

世の中には山ほどに教育に関する文献や書籍、ネット情報などが溢れていますが、中でも最近跋扈しているというか台頭してきたなと感じるのが「専門家でない方の不登校に関する情報」です。ここで「専門家とは何ぞや」を語るのもたいへんな事ですし、我が子を育児しているだけでも「育児の専門家」を名乗るにふさわしいと考えることもできそうだとは思います。

しかし、教育業界ではあまりにも「先人の知恵や経験則」だけに基づいた話が重視されています。
長らく疑問に感じていたことだったのですが、その疑問の核を私にとってくっきりと際立たせてくれたのが書籍『「学力」の経済学(中室牧子著)』でした。
日本の傾向なのか海外でどうなのかというところまでは私にはまだ勉強不足ですが、とにかく日ごろ目にする「こうするべきだ」情報の眉唾物の多い事。私は教育学部で体系的に教育学を学んでいますが、もちろんこれが全て正しいと思っているわけでは無いのですが、かといって教育と正面から向き合ったことの無い人があたかも「それが真理であるかのように」教育を語っている姿をただ一言、「胡散臭いなぁ」と思いながら見ていました。

個人的にこの手の胡散臭い系情報の代表格と感じる存在は「佐藤ママ」です。ご存じの方も多いと思います、3男1女を全て東大理Ⅲに合格させた「カリスマママ」です。胡散臭いという言い方はあまり適切でないかもしれません。キチンと身元を明かしていらっしゃいますし実在する人物であることも実話であることも、たまたま職業柄確認は取れています。

胡散臭いでは無く、、眉唾ともちょっと違うけど、、何というか、何という思慮の浅い考えでこのような発信をされるのか、発信することの功罪について考える機会は無かったのか、そういう思いです。周りが煽るのは仕方がないにせよ「私ではなく本人たちのがんばりですから」とひとことで終わらせることはできたはずです。

もちろんあくまで「個人の感想」です。この佐藤ママの存在を初めて知った時の私の心の第一声。「うっわー、、、」でした。

百歩譲って3男1女すべてが学力優秀だったのも、すべてが偶然に東大理Ⅲに合格するのも理解できないもないですが、まともな感覚の親だったらそれを「3男1女を東大理Ⅲに合格させました!」と世間に向かってアピールしないでしょう。こういうことをしてしまうタイプを職業柄良く知っています。言葉を選ばずに申し上げると、なぜか判で押したように「ご本人は大した経歴では無い」方ばかりです。ご主人が優秀でご主人の遺伝子がうまく活躍してくれており、それに対して一般的にかなり見劣りする経歴の母親が居る場合、このような品性に欠ける行動に出やすいです。wikiの情報が間違っていなければ、まさに今回もこのパターンに当てはまる微妙な女性だなと感じました。

逆の例で最近では大谷翔平選手のお母さんがあまり前に出ない方として有名ですね。母親自身のサポートだけであそこまでの存在になったのではなく、父親や本人の努力のたまものであると分かっていらっしゃるからだと推測しています。

逆に大した経歴をお持ちでない(本当に言葉が悪い自覚はあります)方の母親は、夫の遺伝子のおかげでびっくりするような優秀な子を育てられることに日々喜びを感じ、毎日鼻高々で過ごしていけます。そして自分の身の回りにはいなかったような優秀な経歴の方々に囲まれて過ごすうち「私も本当はすごかったんだ!」と自分を高く評価するようになり、またそれを周囲にアピールし始めます。職業柄、こういった母親を良く見てきました。佐藤ママの登場を知ったとき「うっわー集大成・・」と思ったのを良く覚えています。少し突っ込んだ話をすると、一時期私はこの手の方々が売り込みに来られるような職業に就いていたのでした。本当に判で押したように「ごきげんよう!(あの業界の人たち好きなんですよ、これ)」とあいさつをするブランド物で身を固めた中身の薄っすーい女性ばかりだったのを良く覚えています。

中身の薄い女性というのは、特に教養の高いような会話や学術的な話をされるでも無く、話題の中心は趣味やお買い物と伊勢丹でのお食事で、話すことと言ったら塾の評判とどこかで調べてきたような借り物の教育論ばかり。ちょっと聞こえがいい話には敏感なので、当時は嬉々としてPISAの話をされていましたね。今ならSTEAMやSDGs辺りで飯食ってらっしゃるイメージです。横文字何かカッコイイて感じなのでしょう。実際佐藤ママについて軽く調べただけでも、せいぜい勉強法の話が出てくるくらいで他に知的好奇心をくすぐられるような話は見当たりません。

ここまで言うのには訳がありまして。
その「職業柄」を何度も回りくどく述べるのもなんですのでここで明かしておくと、受験生向けの塾に在席していたことがある事を指しています。育児とキャリアを積むことはなかなか大変で、子どもが小さい頃は育児に理解のある幼児教室などに在籍していました。実際塾業界は夜型なので大変な思いもしましたが、交代制で早く帰れるように配慮してもらえる辺りがありがたかったのです。

この頃に、実際に東大に合格していくような優秀な幼稚園児から高校生までをたくさん間近で見てきましたが、こういった「自分には大した経歴も教養も無いが子どもが非常に優秀な見栄っ張りママ」とは一線を画す、心から頭が下がるような聡明なお母様(なぜか呼び方まで変わってしまう不自然)にもたくさんお会いしたのです。それで大谷選手のお母さんのお話も出してみました。

このようなパターンのお母さんは、とにかく穏やかです。特に専業主婦だと穏やかですが、もちろん仕事を持ったバリバリのお母さんも、大変な思いをされながら忙しい夜はイライラしている様子はあるものの、基本的にあまり前に出ず静かに子どもを見守っていらっしゃるタイプが殆どでした。例えばお医者さんのお母さんなんかはいつも汗をかきながらすっ飛んでお迎えにいらっしゃるのですが「うちの子ご迷惑おかけしませんでした?!ありがとうございました~」とさわやかにお帰りになります。

数か国語を操るお母様のお話し、大学の研究が忙しく朝夕の食事は実の母にまかせっきりのお母さんのお話など、子どもは無邪気ですから家庭の事を包み隠さず話してきます。このようなご家庭のお母さんは塾の先生方にもしっかりとした気遣いが出来、自分の子どもの自慢話などひとことも聞いたことが無い感じでした。

対する「分不相応に賢い子を持ってしまった薄っぺらい母親(どんどん表現が酷くなりますが)」は、とにかく表面上のあいさつや言葉遣いはとてもエレガントに見えるのですが、全身ブランド物に身を包み、常にどこの塾が評判が良いだのどの先生の教え方がどうだのと、なぜか自身の教育論をたっぷり語って帰られます。こちらは商売ですから、黙ってにこやかに「すごいですね」と相槌打ってますが、教室の裏でどんな話がされるか実態を聞かれたら卒倒されるかもしれませんね。

申し訳ないのですが、くだんのママからはこの香りしか感じられません。なぜなら。あなたの子どもはあなたの教育法で優秀になったのではなく、もともと優秀になりうる遺伝子を持って生まれてきていた可能性が高いのだから。その母親があなたでなくても、一般的な子育ての得意な(もちろん不得意な人だとそううまくはいかないかもしれませんね)女性であれば誰でもすくすくと伸びてくれた可能性の方が高い、というエビデンスのある事実を全く無視した自慢本を発行されている時点で、学術的でも教育的でもない。無教養な人だね、と陰でささやかれてしまう事に思いをはせられないのも、何だか滑稽な人だなと思ってしまいます。

何だか佐藤ママ憎しみたいになっちゃいましたけど。父母逆のパターンを見たことが無いのは、日本では一般的に学歴の高い男性がそれより劣る女性を妻にするのが一般的だからでしょう。逆(母優秀)のパターンがあれば、父親の方がこういう行動に出る可能性はありますよね。

エビデンスに基づけば、子の学力は親の遺伝子で決まってしまっているというのが最新の研究結果の一つです。

過去に赤ちゃんの取り違えで同じ日に生まれた子どものその後を追った話もありました。

この場合も、学力の低い家庭で育った取り違えられた子どもはとても優秀で、一方の学力の高い家庭で育った子は非常に低い学力のままであったと聞いた記憶です。もちろん成育歴に大きな差が出た結果、就いた職業やその後の人生は大きく違ってきたらしいですが。病院を訴えるだけの破壊力のある話です。詳細はリンク先で。

話を戻すと「3男1女東大理Ⅲに合格」を実現させるためには、そこに色んな歪が存在してきます。
まず東大理Ⅲに合格できる学力があったとして、なぜ偶然にも4人とも同じ理科三類を目指したのか。過去にチラっと彼女の武勇伝シリーズを読んだことがありますが、その際に「末っ子の長女はもともと東大指向では無かった」とあった記憶。そして今チラっと見たwikiにも「専業主婦指向」とある。なら東大理Ⅲを進学先に選ぶ理由はただ一つですよね。上の兄が三人とも東大理Ⅲだった。このまま東大理Ⅲ以外を選べばどうしても「あの子だけ出来が悪かった」と見られてしまう。ほかに選択肢も無いからとりあえず東大理Ⅲ受けておこう。

別に東大理Ⅲが悪い(いやむしろ良いでしょう)と言いたいわけでは無いですが、長女は結果的に他の選択肢を奪われており思考停止していたはずです。これもまたどこかで読みましたが、3男1女は揃いも揃って「僕たちは自分の意思で東大を選んだ」的な事を言っているように書いてありました。そんな風に発信し続けなければならない事情があるのでしょうね、としか受け止めようがありません。彼らは母親の承認欲求の犠牲者のように感じています。

そしてもしこれらの邪推がただの妬み嫉み(そこは認めましょう)だったとして。
Z世代の彼らはそういう人たちの心ない言葉を日々目にすることになり、彼らは常に「僕らは自分の意思で自分の人生を歩いているんだ」と必要以上にアピールし続けなければならなくなるでしょう。よほど強いメンタルの持ち主でない限り。承認欲求の犠牲者はまた承認欲求が強くなる。自然の理ですね。

話がずいぶん逸れてしまいましたが、要は教育や育児を語る際に、このように「専門家でも無いのにたまたま一方からもらった遺伝子が優秀だった子どもの思慮の浅い親」あたりが「こうすれば東大に入れますよ」という眉唾物の情報を発信し続けることは、単に塾業界や出版業界に情報弱者からお金を落とさせるだけの悪しき情報だと私は思うのです。

騙されて本を買う人も、信じて同じことをやって全く効果が表れないどころか子育て失敗に傾いてしまうのも、結局自己責任ですので取り締まる法律もありません。そういった方々が少しでも良心的でまともな情報に触れられるよう、正しい情報を発信していきたい・・とここまで書いて「じゃあどうやって」が出てくるので、風呂敷広げるのは今はこの辺までにしておきます。

で、何をテーマにかというと「不登校」です。
私は今某専門学校でクラス担任をしており、多くの生徒を就職まで導いていくことに全精力をささげています。
専門学校に着任したのはまだこの数年でその直前まで民間企業に勤めていたため、専門学校がここまでの事態になっているとは全く知りませんでした。毎日がカルチャーショックの只中にいます。
少子化の影響で生徒の獲得競争が激しいのは予想がつきましたが、大学全入時代も長く、そもそも専門学校を選ぶような子は「4年間の学費が払えない」「裕福でないため早く社会に出たい」という子が殆どで、それだけならまだしも、実質的に専門学校は通信制高校の延長のような存在になり果てていました。要は不登校や発達障害の子のための学校になってしまっているのです。

もちろん不登校や発達障害を支援するために、通信制高校の存在意義は大きいと思っています。様々な理由で画一的な教育や教室に入れない子どもたちが、何の救いの手も差し伸べられず社会からドロップアウトしていくようではみんなが不幸です。ただ。その「様々な理由」は本当に不登校を是認するほどの「特別な事情」なのか。そこが私には、このところどうにも腑に落ちないのです。

専門学校で不登校生の面倒をみるようになり、経験によって疑問に思い始めたことがあるのです。
果たして不登校の子に「学校に行かなくていいよ」「自分の好きに生きたらいいよ」という声掛けは正しいのか。

殆どの不登校児を持つ親御さんが「こう言ってくれる人を待っていた」という言葉と共に「学校に行かなくていいんだ」「自分の子に無理をさせることは無い」という結論に達していらっしゃいます。
果たして、その子たちはいま幸せで明るい未来を歩み始めているのでしょうか。
もちろんそういう子も居るでしょう、でも多くの子は、そのまま社会復帰できず引きこもったり職に就けず生活に困窮したりしているのでは?と思い始めたのです。

卑近な例でかなり親しい友達の子に2名も不登校になった子が居ます。
すごい偶然だなと思っていたら中学生の息子のクラスにも30人中4~5人程度の不登校生が居るのです。
そんな時代になってしまっていました。

私も世間一般のご多聞に漏れず「学校なんて行かなくてもどうにかなるよ」と思っていたものです。幸い(という言葉を使って良いのか慎重にもなりますが)我が子は公欠以外は無遅刻無欠席で通ってくれているため、あまり深刻にこの問題について考える機会がありませんでした。
それを考えるようになったのが、このまさに「専門学校でクラス担任を持つようになった」事がきっかけです。

我がクラスは40数名のうち5~6名がほぼ不登校、他10名程度が予備軍です。
下の学年から引き継いだ時点がそれで、またその割合は全学年全クラスに見られます。
もちろん社会の縮図がそうなのでは無く、前述の通り不登校の子たちが専門学校を社会に出る前のモラトリアム期間と選んだ結果がこれなのでしょう。
そして指導していて思うのです。「この子たちはこのまま職にも就けず専門学校を卒業したらどうなってしまうのだろうか」と。

そして周りの怠惰な空気に染まり切ってしまう前に、私は少し試してみたくなったのです。このまま学校の方針通りそっとしておくのと、誠意をもって向き合うのと、どちらが良いのか。

本来専門学校は身につけるためのスキルを提供する場なので、正直登校してこない子はそのままで構わないのです。学費を出した方はただの払い損。少なくとも私が通っていた大学で、教授や職員から学校に来るように声掛けられた学生なんて居ませんでした。今や18で成人ですから、大人にそこまで干渉するのもおかしな話。

でも今の専門学校は生き残りを掛けて、退学率を減らすためにあの手この手で何とか登校させようとするのです。ただある意味失礼な言い方にはなるのかもしれないけど、専門学校の先生方はそれぞれ科目における専門家であって教育の専門家ではない。正直その対応は本当にお粗末で、何もしない方が良いくらいな事ばかり。だからある意味放置は正しいとも思えてきてました。

そのカルチャーに染まりきってしまう前に。教育学部で培った知見と我が子を育てた経験、友達から相談された際に読み漁った専門書などの知識を総動員して、発達障害由来の不登校の子を何とか自発的に学校に来させてみたのです。

「学校に来させた」という表現にはきっと色んなご意見があるかと思います。ただ実際首にひも付けて引っ張ってくるわけにはいきませんので、もっとソフトな「北風と太陽」的なやり方です。保護者様とやり取りし、本人に働きかけたり敢えて放置したり昨年の担任に協力してもらったりして、とにかく何とか彼を学校に登校させることが出来るようになりました。そして時間を見ては補講をしたり、就職支援を続けたところなんと、誰もが知るような東証プライム上場企業に、内定を取らせることができたのです!

この子は、たまたま私が目を掛けなければそのまま引きこもりになる寸前でした。これまでの担任や周りはこのような子に無理強いをさせることは無く、そのまま自宅に籠らせるままにしていました。ただ私は、彼と話したりしてみて「この子は本当に発達障害と診断して良いのだろうか、ただの気分のムラがあるだけで普通に社会で通用するタイプなのではないだろうか」と思ってしまったのです。もちろん発達障害は医師の診断書が出ている根拠のあるものです。けど私はこの診断に関して非常に懐疑的に考えており、これに関しても様々な文献や情報を読み漁り、医師の診断もどこまで信用して良いものか、と正直思ってしまっています。

くだんの彼は、学校生活に何の問題も無く1年を過ごしてきました。ただその後、たった一人のクラス友人と喧嘩したことをきっかけに、学校に来なくなっていました。その事態を私が把握していれば、すぐに仲を取り持つこともできましたが、昨年の担任は担任判断で自宅に引きこもらせていました。彼のこれからの人生は「このまま卒業できずに引きこもる」のか「何とか登校して東証プライム上場企業の内定を得る」かの岐路にあったという事です。どちらが彼にとって幸せでしょうか。それもまた、これからの彼の人生を追っていかないと結論は出せませんが、いま時点の状況を見ると後者が良かったに決まっているではありませんか。保護者様も大喜びでした。機会あればこれも書きたいのですが、今も昔も変わらず親の「本音」は、「みんなと同じように学校に行ってほしい」です。ここを見てみぬふりして蓋をしてはいけない気がしています。

私は彼の人生をひと時良い方に変えられたのではないかという大きな自信を持ちはじめました。同時に、だけど彼はこの後ちゃんと上場企業でやっていけるのだろうかという不安も襲ってきました。

不登校は悪い事なのか。悪い事ではないのか。幸せなのか幸せじゃないのか、そもそも幸せと全く関係ないのか。

そこのところの議論は飛ばして「学校なんて行かなくて良いんだよ」という聞こえの良い言葉が飛び交っている昨今に、小さな違和感を感じています。

そういった複雑な心をたくさん抱えて、このnote記事を書き続けることにしました。これをライフワークとして、不登校や発達障害の子どもたちの一助になるような何かが出来れば良いなと思、、っていたのですが、現実は厳しく日々ストレスが蓄積してしまい、今にも飛び出して辞めそうな事態になってかまいました。

それで立派なこの書き出しの記事がちょっと居心地悪い?感じになってしまい、一度は記事をクローズしました。
でも気が変わってまたオープンにしてます。
なぜならプレジデント誌で私のこの記事と似た感じの内容を読んだからです。後ほどリンクはります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?