最高裁に署名を届け(9/26)、翌日最高裁で弁論を傍聴する

美山みどり

私たち性同一性障害特例法を守る会が窓口となり、女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会によって署名サイト voice で開催中の署名「最高裁判所にあっては、性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律の「性別適合手術の要件」につき違憲判決を下さないよう求め、各政党にあっては、この要件を外す法案を提出しないように求めます。」

最高裁大法廷での、性別適合手術をしていない男性の「戸籍上の性別の変更」について弁論(2023年9月27日)日程に合わせて、25日いっぱいで第一次集約(合計14,935筆)を行い、翌26日にこれを最高裁へ提出いたしました。

2023/9/26 最高裁判所にて

午後2時に最高裁判所の西口に女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会を構成する諸団体、私たち性同一性障害特例法を守る会、女性スペースを守る会、白百合の会、性別不合当事者の会、No!セルフID女性の人権と安全を求める会が集まって、最高裁の秘書官の方に署名内容をそれぞれが読み上げの上、お渡ししました。
本当に大量の署名です。それに加えて、コメントの量が膨大なものになりました。署名をいただいた皆さまの危機感がビビッドに伝わるコメントばかりです。それを最高裁の十五人の裁判官それぞれにコピーしたものですから、運んできた滝本先生の大きな旅行用キャリーケースに一杯に入っています。

署名の束。たくさんの声を届けました

沢山あるメッセージのうち、公開可の中からほんの少しだけ紹介します。

性被害の可能性を恐れる女性たちの声、女性スペースを守ってほしいと訴える切実な声、また身近な女性たちを心配して「こんなことを許してはいけない!」と怒る男性の声、そして他ならぬ性同一性障害や「トランスジェンダー」に該当する性別移行者たちの反対の声。

女性たちの声は危機感に溢れ切実です。「男性器あるままで、女性スペースを利用するのを許すのは、性被害を助長するものだ!」「性自認による性別変更は女性の権利の侵害だ!」と数多いコメントのどれもこれも、こんな声で溢れています。
さらに私たち「トランスジェンダー」に該当する当事者でさえも、「こんなことがまかり通れば、今まで築いてきた性別移行のルールと信用が失われる」と危惧する声、「自分は手術しないつもりだが、それでも手術要件は守らないといけない」と、当事者からも「手術要件は絶対に必要」とする声が数多く寄せられました。
なぜ、最高裁は当事者も反対し、社会的な議論が尽くされてもおらず、女性たちに深刻な被害を引き越しかねないルール変更を独断で行おうとするのでしょうか?

私たちの署名内容の読み上げの声に耳を傾けたあと、秘書官の方は重そうに私たちが集めた署名を持って、最高裁に運び込みました。

私たちの運動は、世論に大きく背中を押されていることを強く感じます。このような世論の付託に対して、私たちは向き合い、世論の声を最高裁に届けました。この声は最高裁の裁判官たちもきっと届いたはずです。


26日は私たち女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会だけでしたが、翌27日は弁論の日です。公に傍聴が可能です。160人の傍聴席がありますが、午後1時に集まった傍聴希望者は130人ほど。やや余裕がある状況で、傍聴希望者はすべて入場できました。

「金●キラキラ最高裁」というプラカードを掲げた右翼らしい方が、私たちの行列の交差点の向こうでアジってます。やはり経産省女子トイレ裁判の判決に「おかしい!」と憤る人は数多いのです。まして裁判後にその原告の行ってきたツイートの傍若無人っぷりが報道されて、世論の怒りは最高裁にもすでに向けられているのです。

大きな石造りの積み木のような最高裁。日本離れした、エジプトの遺跡を思わせるような巨大な建物です。私たちは順次傍聴席に入ります。正面には十五の背の高い椅子が並び、その前で書記らしい方が2人。その前に原告・被告の弁護人席が向かい合ってあります。

荘厳な造りの最高裁判所

天井がドームで、非常に高くなってます。そこから差し込む柔らかな光。暑い日で、法廷内もやや蒸し暑い状況です。

裁判官が入場します。私たちは起立して裁判官を迎えます。
裁判とはいえ、相手方のいない「家事審判」についての弁論ですから、一方的に上告側弁護士が、その主張を述べただけです。その時間約30分ほど。

この「家事審判」についての上告審という性格があるために、一方的な主張を裁判官が判断することになります。普通の裁判ならば、相手方の弁論によって主張が突っ込まれて議論と理解が深まるのですが、この裁判はそうなっていません。ですので、私たちは自民党の「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」にこの問題を提起し、法務省が反対側での訴訟参加をすべきだ、と求めました。議連はその旨を法務省に要求しましたが、結局法務省からは訴訟参加がないまま今日の弁論に至りました。本当にこんな状況で裁判所は正しい判断を下せるのでしょうか?
もし「違憲」の判断をするなら、裁判所による勝手な判断によって、法律が恣意的に変更されるのと同等のことが起きます。戸籍法などにも強い影響が出ます。そんな法務省の立場を無視するような判断を下せば、「最高裁の暴走」と国民世論からの強い批判の矢面に最高裁が立つことになります。
裁判官はこれを恐れないのでしょうか。すべての責任は裁判官だけに掛かるのです。

上告側弁護人の主張をかいつまむと、以下の通りです。

・現状で「女性の生活」を送っているから、当然戸籍の性別を女性にする権利がある。これは「性別のあり方が尊重される権利」によるものだ。
・特例法の手術要件が求める「永続的に生殖腺を欠く状態」を、すでに性ホルモン療法だけによって満足している。手術は今更不要である。
・手術を戸籍変更の引き換え条件とするならば、特例法の手術要件は違憲である。
・自身の性別が尊重されるということは、その者が自覚する自身の性別をなにものにも否定されないことであり、自身の性別に基づく関りや取扱いを求めるということである。

というあたりに集約できましょう。いやこれを聞いて私は本当に腹が立ちましたね。確かに特例法は「すでに手術した人が、社会的な実態と戸籍の性別が異なることで受ける不利益を救済しよう」という意図で作られた法律です。その客観的な基準として「性別適合手術」が設定され、この基準のもとで世論が納得して「性同一性障害の人を移行後の性別として受け入れよう」という受容に繋がりました。

その「約束」をこの上告人は、なし崩しにしようとしています。

「性別を変えた人は、手術を受けているものだ」というのが、一時的な気持ちや利害で性別を変えたわけではない証明であり、そのことが私たちの信用につながっています。私たちの「真剣さ」を客観的に示すには、手術しかないのです。これは正しいハードルなのです。

実際、私も戸籍の性別を変える際には、厳粛な気持ちになりました。
「これからは『良き女性』として暮らしていくのだ」
と身の引き締まる思いで戸籍を変えたのです。

「女性まがい」ではない「女性」として扱われるためには、周囲からも信頼され女性として敬意を持たれるような女性にならなければいけない

自分の過去に「けじめ」をつける気持ちで戸籍を変えたのです。この上告人の身勝手な主張を聞いて、私は自分が大切にしていたものを汚されたような、嫌な気持ちになりました。

私にとって男性器があるままで「良き女性」たりうるとは一瞬でも考えられません。いくら見かけが女性であっても、男性器があれば「女まがい」でしかないのです。なぜ「男性器が嫌ではないのか?」「男性器を取りたくないのはなぜか?」こんな疑問が頭を駆け巡ります。

しかしこの私の「なぜ?」に弁論はまったく答えてはくれません。
やはりこの上告人は私たちと同じ「性同一性障害」ではないのでしょう。いくら診断があったにせよ、診断の甘い医者はいくらでもいます。「男性器をなくしたくない」のがこの上告人の強い意志なのです。私には理解できません。

また、この弁論での主張はいろいろ納得のいかない箇所が多すぎます。
これは私の実体験ですが、ホルモン療法により、勃起をしづらくはなりますが、全然しなくなるわけではありません。また射精能力が完全になくなるというわけでもありません。
もし、ホルモン療法を中断したらどうでしょう?約4週間で投与した性ホルモン剤の影響は「体から抜ける」そうです。ホルモン治療中は献血ができませんが、4週間すればすでに代謝されて影響がなくなったとして献血できるようにもなるのです。そうすれば、男性としての性機能は回復もするでしょう。妊娠されられるかどうかはともかく、少なくとも男性としての性行動は取れるくらいには回復することが多いでしょうね。
ですので、男性器を温存すれば「女性を『女性』が強姦する」ということも、起こり得なくないのです。これでは女性スペースの安全を確保することも危うくなります。
逆に女性から男性への場合には、子供が欲しいために一時的にホルモン治療を止めて妊娠出産したという話も聞きますし、ホルモン治療中で生理がないから大丈夫と考えて男性とSEXし、想定外の妊娠をした話もあるようです。
このような例から見ると、けして性ホルモン療法は性別適合手術の代わりにはなりません。

また、特例法ができたことにより「性別を移行して暮らす人もいる」ということが世の中に知れ渡り、実は私は長い間生活上の性別と戸籍の性別が食い違った状態で暮らしましたが、いうほど不便なこと・差別を受けることもないのです。特例法とは、実は「差別解消法」だったのです。
本当に生活実態が女性であれば、戸籍を示さなければいけない場面というのは少ないのです。その場合でさえも、行政・金融機関・医療機関では、十分な配慮をしていただける、という方が実感ですし、就業などでも配慮と理解を示していただいたことの方が体験としてはずっと多いです。
ですので、私はよく「戸籍変更は手術のオマケ」と公言します。私たちは手術がしたくてしました。その後に「自分の生活のけじめ」として戸籍を変えただけなのです。しっかりと女性の生活に馴染んでいれば、不便なんて大したものはないのです、。

「自身の性別を否定されないこと」を上告人は基本的人権として主張しますが、本当にそうでしょうか?
性別は見た目や振る舞いから「一見して判断される」ものです。普通の男女でも「男らしくない/女らしくない」という外部の目によって、ジェンダー規範を内面化して「男/女」になっているわけです。みんな「自身の性別について、他人から厳しいチェックが入っている」のが普通なのですね。
そこで現実の振る舞いからかけ離れた「(性別に関する)お気持ち」を、他人が尊重する必要があるのでしょうか?「希望する性別で扱って欲しいなら、否定されないようにジェンダー規範にしっかりと順応する」のが一番の近道です。ですから「自身の性別を否定されないこと」は人権でも何でもありません、もしこれが「人権」であるのならば、それは「自分の性別は自分(の主観だけ)で決める」というセルフIDの主張に他なりません。
こんな「性別」を押し付けられたら周囲はたまったものではありません。

このような主張を聞くと、この上告人がどれほどしっかりと女性の生活に適応できているか、逆に疑問に思えてなりません。女性の生活にちゃんと適応しているなら、誰も性別を否定しません。周囲の女性たちも「普通の女性」として、性暴力を受ける気遣いのない安全な人として受け入れてくれます。
逆に受け入れてもらえないからこそ、戸籍の「女性」が欲しいのでは、という疑問を持ってしまうのは、疑いすぎでしょうか?「戸籍の性別」は無理を押し通すための棍棒ではありません。
実際、手術を受けて戸籍を女性にしたけれども、周囲は全然自分を女性として認めてくれなくて、絶望するという人もいるのです。そういう人には「戸籍上の性別」なんて、何の役にも立たないのです。「女とは思えないから、女性ではない」と、女性はそんな実態から遊離した無理強いを絶対に認めないのです。

こんなことを思いながら、弁論を聞いていました。
まったくの詭弁
これが偽らざる感想です。

「何でこれほど手術を嫌がるんだろう、理解不能だよね」と仲間たちと語りながら、私たちは最高裁を後にしました。こんな説得力のない詭弁を、裁判官たちも認めはしないことでしょう。

とはいえ、引き続き最高裁の裁判官には世論の声を示し続け、違憲判決が出ないように求め続ける必要があります。

署名は終わってはいません。さらなる署名を私たちは求めています。
ぜひまだの方はよろしくご署名をお願いいたします。また署名をされた方も周囲の方にこの事実を知らせ、広めていただけるようお願いいたします。
判決が出るまでは続ける予定でいます。
注)署名サイトには10月31日の終了日付が入っていますが、これは第二集約の日です。署名自体は判決日前日まで行います。

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