見出し画像

どうしてエレナがレヌッチャになったり、レヌーになったりするの? 『逃れる者と留まる者 ナポリの物語3』のあとがき公開。

画像1

はじめまして、エレナ・フェッランテ『ナポリの物語』シリーズ(早川書房)訳者の飯田亮介です。イタリアの人口千人未満の過疎の村に住んでいます、、、が、詳しい自己紹介はまた今度ということで、とりあえずはじめての投稿はタイトルどおり、第3巻『逃れる者と留まる者』のあとがきを公開してみたいと思います。第1巻『リラとわたし』と第2巻『新しい名字』のあとがきは早川書房公式noteのほうで公開されてますので、そちらをご覧ください。第4巻『失われた女の子』のあとがきも近日公開予定です。

第1巻あとがきでは、4巻から構成される『ナポリの物語』シリーズ全体の概略について書きました。

第2巻あとがきでは、ナポリという町についての解説と、僕が初めてかの町を訪れた時の印象を記しました。この「初ナポリ」話は前からどこかで書きたいと思っていたので、「そうだ、あの話にしよう」と思いついた時はとても嬉しかったのを覚えています。

さて、第3巻あとがきです。シリーズ物の訳者あとがきも3巻目ともなると何を書いたものやら、さんざん迷いました。で、迷った挙げ句に、実はなかば苦し紛れにひねり出したのが以下のあとがきでした。なんだか申し訳ないなーという気分でしたが、こうして出版から1年後に読み返してみれば、案外と、これはこれで読者の役に立つのではないか、と思えてきました。まったくいい加減なものですが、本シリーズを読み進めるための予備知識として、第1巻『リラとわたし』と第2巻『新しい名字』より先に最初に読んでいただいてもよいくらいかもしれません。致命的なネタバレ要素もないのでご安心ください。

noteではこういう『ナポリの物語』の豆知識やトリビアを連載してもいいかもしれませんね。まだ使い始めたばかりで機能もよくわかりませんが、『ナポリの物語』のマガジンというのも用意してみました。いいな、と思ったみなさまのご感想・レビューもそちらにまとめてさせていただきます。

そんなわけで、『ナポリの物語』第三巻の「訳者あとがき」をここに公開いたします。次回はたぶん第四巻のあとがきです。お楽しみに!

***

訳者あとがき

 本書は二〇一三年に刊行されたエレナ・フェッランテ『ナポリの物語』シリーズ第三巻Storia di chi fugge e di chi restaを翻訳したものである。本巻の章だてはひとつのみ、『狭間の時(Tempo di mezzo)』という章題は年齢を示す言葉としてはなじみがないが、青年期から壮年期への過渡期を指したものだろうか。

 このあとがきを読んでいる読者の大半は、恐らくもう『ナポリの物語』の魅力にどっぷりと漬かっているに違いない。訳者は今回も物語の展開に色々な意味でため息をつかされた。だから本巻のあらすじはただひとこと、〝リラとエレナの波乱の人生はまだまだ続く〟それだけに留めておこうと思う。そこで本巻では『ナポリの物語』シリーズを読んでいく上で便利な豆知識を三つ紹介してあとがきに代えたい。

・登場人物の名前について
 ただでさえカタカナ表記で覚えにくいイタリア人の名前だが、同じ名前でもさまざまな呼称があって余計に混乱している読者も多いに違いない。たとえば主人公のリラ。本名はラッファエッラだが、友人・家族からはリナと呼ばれている。英語にもよくある短縮形と呼ばれる通称(例、マイケル→ミック)だが、ラッファエッラとリナじゃ大違いじゃないか、と思うのが当然だろう。これは短縮される前に、ラッファエッラ(Raffaella)の語尾に愛情を示す愛称辞イーナ(-ina)がくっついてラッファエッリーナ(Raffaellina)となる、という前段階があるためだ。イタリア語話者の感覚で言えば、ラッファエッリーナという響きにはただのラッファエッラよりも一層のかわいらしさ・愛おしさが漂う。〝小さなラッファッエッラちゃん〟という感じか。この通称が短縮され、語尾のLinaだけとなったのがリナという呼び名だ(日本語表記はリーナでもよかったが、兄リーノと混乱させたくなかった、などいくつかの理由からリナとした)。短縮形はイタリア人でも理由の見当がつかぬものがしばしばある。
 同様に、リラの兄と息子も同じジェンナーロという本名よりも、リーノという短縮形で呼ばれることのほうが多いが、ふたりの場合はリーノ(Rino)に愛称辞ウッチョ(-uccio)がついたリヌッチョ(Rinuccio)という呼び名もあるからややこしい。エレナにレヌー(Lenù)とレヌッチャ(Lenuccia)というふたつの通称があるのも同じケースだ。原文ではこうした同じ登場人物の複数の呼び名が相当ランダムに用いられているが、邦訳では読者の混乱を避けるため多少整理した。

・物価について
 現在では使用されていないリラ(イタリア・リラ)という通貨が本作では登場する。二〇〇二年のユーロ導入にともない流通の終わった通貨だ。
 第一巻にはリラとリーノの作った靴をステファノが二万五千リラで買う場面がある。場面は一九五九年だが、手元の資料によると一九六〇年当時、イタリア北部の自動車メーカー、フィアット社の工員の平均月給が約四万七千リラとある(ちなみにコーヒー一杯は五十リラ、パン一キロは百四十リラだった)。だから兄妹の作った靴の値段は月給の半分にも相当する金額であったことがわかる。ただし南部のナポリの物価は、経済発展の著しかった北部よりも大幅に低かったようだ。倍近い差があったとする資料もあり、事実、一巻には「マルゲリータ一枚とビール一杯で五十リラという気軽な店」というピザ屋も登場する。そのため、あの靴の値段は、当時のナポリの感覚では工員の月給に相当するものだったと考えても大きく外れてはいないと思う。なお、ソラーラ兄弟の乗っていたフィアット社の乗用車ミッレチェントの値段は、五三年~五九年モデルの定価が百万リラ前後となっている。
 第二巻ではどうだろう。エレナが家庭教師として七万リラ稼いだ(六三年)、リラがニーノと暮らすために郊外に月二万リラの小さな部屋を借りた(六三年)、エレナがデビュー作の前金として出版社からもらったのが二十万リラ(六七年)という描写がある。六五年当時の物価は上の資料の北部のデータで工員の平均月給が八万六千リラ、コーヒー一杯六十リラ、パン一キロ百七十リラとなっている。
 第三巻では登場人物のひとりが技術者となり、月四十万リラという高給を稼ぐようになるというエピソードがある。七四年の出来事だ。七五年当時、北部の工員でも平均月給が約十五万四千リラ(コーヒー一杯百二十リラ、パン一キロ四百五十リラ)であったというから、その三倍に迫る厚待遇であったようだ。

・結婚制度について
 三巻には〝教会で結婚する(宗教婚)か、市役所で結婚する(民事婚)か〟で議論になるシーンがある。カトリック教会の影響があらゆる方面でずっと強かった過去のイタリアでは、離婚が基本的に認めらない時代が長く続き、一九七〇年まで離婚法すらなかった。しかも離婚法が成立したといっても、当初は離婚成立の前に五年間もの別居期間が必要で、別れるまでには相当の時間と手間がかかった。この別居期間は八七年に三年間に、二〇一五年に一年(離婚条件をめぐる裁判を経る場合。なければ半年)に短縮されている。
 熱心な信者が減少傾向にある現在、北部イタリア全体では二〇一七年の統計で六割以上のカップルが民事婚を選ぶようになっているが、伝統色の強い南部のナポリでは今なお七割強の大多数が宗教婚を選んでいる。
 ちなみに市役所での結婚というと窓口に婚姻届を提出しておしまいと思われるかもしれないが、イタリアでは書類提出から八日間の公示期間(文字通り市役所の掲示板に婚姻希望者のリストが公示される)を経て、異議申し立てがなければ、さらに四日後にようやく結婚の許可が下りる。しかるのちやはり市役所で結婚式が催され、市の戸籍係と参列者の前で新郎新婦が戸籍簿にサインすることになっている。
 訳者もイタリア人と民事婚をしたが、小さな市であるため市長自ら式を執り行い、友人たちが事前にあれこれアレンジしておいてくれていたため、それなりに立派で厳粛な式となって驚かされた。

 最後になるが、イタリアとアメリカでは二〇一八年後半に『ナポリの物語』第一巻の内容を忠実に再現した連続テレビドラマの第一シーズン(全八話・各六十分)が放映され、高い人気を博した。リラとエレナの地区が、十四棟のアパートを含む、広さ二万平方メートルという大掛かりなセットで再現され、八カ月を要したキャスティングには地元カンパーニア州から子ども八千人、大人五百人がオーディションに参加したそうだ。その甲斐あって配役は、主人公のふたりをはじめ、実に魅力的な顔ぶれが揃っている。原作第二巻に相当する第二シーズンの撮影開始も二〇一九年春に予定されている。いつか日本でも放映される日が来るものと期待したい。

二〇一九年二月
モントットーネ村にて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?