ジャーロ ブックレビュー【注目作ピックアップ・2022年5月~6月】
文=山前 譲
昭和史の光と影
二〇二二年は旧満州国が建国されてから九十年という節目になるせいか、関連書が目につく昨今だが、斉藤詠一『レーテーの大河』(講談社)もオープニングは終戦直前のその国である。当時、どんな悲惨な出来事があったか多く語る必要はない。そこからなんとか帰国し、終戦直後の混乱を生き抜いた三人の孤児、天城耕平、小野寺志郎、藤代早紀子の切ない人生に事件が重なる。
東京オリンピックの前年、一九六三年のことである。東北本線の列車から日銀職員の鹿島が転落死した。鉄道公安職員の牧は、持ち歩いていたはずの鞄が見つからないことに疑念を抱いて、捜査を始める。彼は鉄道現金輸送の担当者だった。翌一九六四年一月、自衛隊唯一の鉄道部隊で運転隊長を務めている最上三等陸佐は、奇妙な任務に就いていた。横浜の港に下ろされた米軍の貨車二両を極秘に運べというのだ。いったい積み荷は何?
そこかしこにちりばめられた昭和史のエピソードは、どこかで見聞きしたことがあるかもしれない。だが作者は、史実を超えるドラマチックなフィクションをそこに積み重ねていく。そして成長した三人の孤児の生き方に惹かれていくことだろう。
山形の寒村に生まれ、まさに赤貧洗うがごとしという少年期を過ごした千石は、一念発起して上京、十八歳で土建業を設立した。だが徴兵されて会社は解散した。ガダルカナル島の戦いでなんとか生き延びて帰国すると、会社を再建し、政界に進出する。頭の回転の速さと果敢な行動力で「コンピュータ付きラッセル機関車」との異名が付いた。そして豊富な資金力にものを言わせ、ついに総理大臣に――。
永瀬隼介『属国の銃弾』(文藝春秋)に登場する政治家が誰をモデルにしているかは言わずものがなだろう。その千石と彼に長年仕えた秘書の神野にはある秘密があった。まだ日本が連合軍の占領下にあった一九四七年、原爆で家族を失った元特攻隊員の来栖と、レイテ島から生還した天才狙撃手の黒木が計画した、某重大事件の真相である。彼らが狙った「ターゲットC」とは?
必死に生きる庶民と甘い汁を吸う連中との格差という構図は、日本社会において長年変わっていないのではないだろうか。そして某重大事件のときに千石に託された、ある人物の思い……。最終章、そしてエピローグが語りかけているものをきちんと受け止めたい。
昭和十二年、昭和二十四年、ときたら今度は昭和三十六年だ――辻真先『馬鹿みたいな話! 昭和36年のミステリ』(東京創元社)は、最初から意図したわけではないとのことだが、三部作として見事に着地している。
事件はNHK、ではなくてCHK(中央放送協会)のスタジオで起こっている。ミステリードラマを生放送中のスタジオで主演女優が殺害されたのだ。スタジオはいわば嵐の山荘で、容疑者は限られてしまう。ドラマの脚本を書いた風早勝利とあの那珂一兵が、不可能犯罪に取り組む。
といっても、謎解きはいったん脇において、物語は当時のテレビ業界の楽しいエピソードが盛りだくさんである。なにせ作者がその場に身を置いていたのだから、こんなリアルなことはない。実際の俳優や歌手が登場し、番組の裏話や苦労話がこれでもかこれでもかと語られていく。
この時代になると幾分記憶に残っているだけに、じつに懐かしい。とくに『ふしぎな少年』は――いや、思い出にふけっている場合ではない。みんな謎解きの手掛かりなのだ。最後に時刻表が持ち出されるあたり、作者のサービス精神には脱帽である。
諜報戦の光と影
とにかくテンポがいい。まさに一気読みなのが川嶋芳生『FOX 海上保安庁情報調査室』(徳間書店)だ。書類上は存在しないというその新設部署の設置目的の最初には、「特定の軍事的脅威に特化した形での情報収集」とあるが、当面の課題は北朝鮮のミサイルに使われている日本の技術だった。どんなルートからリークされているのかを急いで突き止めなければならない。そう訓示するのはナンバーツーの吉本だが、肝心の室長である山下の姿がない。外務省国際情報統括官室から出向してきた彼は、これまで培った人脈から独自に情報を収集していたのだ。
北朝鮮からのミサイル飛来、日本海でのレポ船の調査、航空宇宙工学科の教授に迫る危機、金正男の隠し子の処置――そんなFOXの活躍のなかで、山下の過去がしだいに分かってくる。ただ、山下も万能ではない。失敗がつづき国会議員からFOXの解散を迫られるのだった。
スパイの暗躍や派手なアクションの狭間に、巧妙な伏線が張られ、最後のスリリングな展開に収束させていくのはじつに巧みだ。そしてユーモアの味付けを忘れていないのも印象に残るだろう。
世界史の授業中、ノートにオリジナルの「プレイボーイに逢いたい」の歌詞を綴っているのは、榎本憲男『テロリストにも愛を』(角川春樹事務所)の花比良真理だ。高校ヒップホップ界きっての問題児からライブ出演を頼まれたりと、青春を謳歌しているが、じつは警視庁の特別捜査官!
ここで彼女が、相棒であるイケメンエリート刑事・鴨下俊輔とともに立ち向かうのは、イスラム過激派である。阿瀬総理大臣が中東訪問中、「イスラム過激派テロとは断固として戦う。テロ対策支援として決然とした態度を取ります」「テロ対策としてイスラム過激派組織であるイスラミック・ガバメント、通称IGと戦う周辺二国に一億ドルの支援を約束する」とスピーチした。IGは日本人を拘束している画像をアップして、二億ドルを要求してくる。
誰もが過去の事件を思い出すことになるだろうが、もちろん事実をなぞったものではない。日本を舞台にして繊細な駆け引きが繰り広げられている。じつは真理には特殊な能力がある。しかし、それに全面的に頼っているわけではないのだ。映画監督を務めたことのある作者らしく、映画祭が大きな意味を持っているのも読みどころだ。
緊張感漂う予見性を感じる作品だが、作者にしてみればそれは、昨今の世界情勢からすると驚くことではなく、必然の展開だったのかもしれない。
新指導者のもと、中国は台湾侵攻にいよいよ乗り出す。この世界の秩序を揺るがす事態に動き出したのが、旧日本軍が残した伝説の特務機関Ωだった。福田和代『スパイコードW』(KADOKAWA)はそこに所属する工作員のミッションである。ただ、彼らはいわゆるスリーパーだから、間接的に描かれていく。
台北から飛行機で一時間、人気のリゾート地である澎湖島の沖に突然出現した人工島のカジノに招かれた台湾のインフルエンサー。偽名で日本から中国に入国した語学堪能な新聞記者。中国の工作員の総統府襲撃計画の裏を探る台北の探偵事務所の所長。中国へ向かう鉄鉱石を積んだ船を襲う日本人。こんな四つのエピソードが交錯しつつ、特務機関Ωの実像がしだいに浮かんでくる。そして最終話の大胆な展開に導かれていくのだ。
虚々実々、裏の裏をかく工作に驚かされるばかりなのだが、まさか現実でも? ふとそう思ってしまうスパイ小説だ。
家庭内の光と影
三十年以上前、「セレブリティな香りのする街」を目指して開発された住宅地に、山岸家が転居する。待望の一戸建て――と言いたいところだが、崩壊しつつある家族の再生を願っての決断だった。伊岡瞬『朽ちゆく庭』(集英社)ではまず、なんとも危ういバランスで成り立っている家族の姿が切ない。
受験に失敗して公立中学に進んだひとり息子の真佐也は不登校となってしまった。引っ越しで転校すると通いはじめたが、また不登校になる。やはり不登校の友人と、ゲームばかりしているのだ。税理士事務所でパートタイマーとして働きはじめた裕実子は、ほどなく所長とダブル不倫の関係になる。そして同僚だった相沢桃子の怪しい誘いにのってしまう。そして、ゼネコンで現場管理の仕事をしていた陽一は、在宅勤務になったと言い出す。しだいに会社での芳しくない事情が分かってくる。
その山岸家で死体が発見されたことから、夫と妻、そして息子は家族を意識しはじめるのだ。最初は単純な事件と思われたが、捜査はまさに「藪の中」へと迷い込んでいく。作者は巧みな描写で読者もまた「藪の中」へ誘っていく。はたして真実はどこに?
すっかり乗り鉄刑事になってしまった石神井警察署の片倉の新しい事件簿が柴田哲孝『蒼い水の女』(光文社)だ。
石神井公園の三宝寺池で男性の水死体が発見される。死後二日は経っているだろうか。遺体の身元を特定できるものは何も見つからなかった。肺内から採取した水から、どこかで殺されて三宝寺池に遺棄されたと判断される。
捜査が急に動いたのは捜査本部にかかってきた一本の電話からである。――お父さんが、帰ってこない。いなくなっちゃったの――。小学三年生、赤塚亜耶からの貴重な情報だった。父の赤塚史則はフリーライターで、フェイスブックから死体となって発見される直前、大井川鐵道に乗っていたらしい。
こうして片倉刑事は静岡県を走る大井川鐵道へと向かうのだ。いち早く蒸気機関車を再び走らせたその鉄路は、さまざまな企画を立ち上げて観光客を誘っている。もちろん片倉は観光で訪れたわけではないが、大井川鐵道とその沿線の風物がたっぷり描かれている。そして、地道な捜査で事件を解決に導く片倉と、別れた妻の智子との微妙な関係も気にかかるところだろう。
さまざまな家族の絆が絡み合っているのは染井為人『鎮魂』(双葉社)だ。
世間を騒がせている反グレ集団、凶徒聯合のメンバーの坂崎が殺された。絞殺だったが、体には刺し傷が三十三箇所もあった。明らかな挑発行為だと、捜査陣は判断する。凶徒聯合のリーダーは海外逃亡中だった。主要メンバーはそれぞれ表向きは正業を抱えている。凶徒聯合の撲滅を悲願とする、警視庁組織犯罪対策部特別捜査隊の古賀の執念の捜査が始まるのだった。
その古賀を愚弄するかのように、メンバーに死の影が迫る。疑心暗鬼になるメンバーたちだが、作者は犯人をことさら隠そうとはしていない。凶徒聯合、古賀、犯人の三すくみのなかでさらに事件がつづくのだった。
坂崎には妻とふたりの子供がいた。ほかのメンバーにも家族持ちは多くなった。だが、誰よりも悲しい思いを抱きつづけてきたのは凶徒聯合の被害者たちだろう。その意味でこの長編のタイトルは他に選びようがなかったに違いない。それにしても、最後の最後に明らかになる「家族」が、タイムリーなテーマなのに気づかなかったのはうかつだった。
《ジャーロ No.84 2022 SEPTEMBER 掲載》
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