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2022年上半期の読み逃しはありませんか?|ジャーロ ブックレビュー【注目作ピックアップ・2022年3月~4月】

文=山前 譲

弁護士の可能性

 あの奇妙な遺産相続に巻き込まれた弁護士の剣持けんもち麗子れいこは、思うところがあって亡くなった軽井沢かるいざわ村山むらやま弁護士の業務を引き継ぐことにした。メインの会社同士の取引にかかわる仕事に比べると報酬はずっと低いのだが、意地になってこなしているうちに評判が立ち、新規案件が続々と舞い込んでくる。

 新川しんかわ帆立ほたて『剣持麗子のワンナイト推理』(宝島社)はその麗子の事件簿だが、第一話「家守の理由」でアクリル板の向こうにいるスピード違反で逮捕された若い女性が、奈良漬けをたくさん食べたから呼気アルコール検査に引っ掛かったと主張したり、依頼人には振り回されている。メインは殺人事件で、被害者は不動産屋の主人だ、容疑者は歌舞伎町かぶきちょうのホストで源氏名は「信玄しんげん」。彼のとぼけたキャラクターにも振り回される麗子だ。

 その「信玄」、本名は黒丑くろうし益也ますや(クロウシマス!)、弁護費用をいっこうに払わないものだから、仕事で返せといって麗子はアルバイトとして採用するのだった。そんなふたりの掛け合いもアクセントとなっての事件がつづくが、まさかこんな結末が! 全体を貫く趣向に驚かされる。


 時代が新しいミステリーを生みだす。そう痛感させられるのは新潮ミステリー大賞を受賞した京橋きょうばし史織しおり『午前0時の身代金』(新潮社)である。司法研修時代の成績はあまり良くなかったのに、企業法務の分野で知られている弁護士事務所に採用された新米弁護士の小柳こやなぎ大樹だいきが主人公だ。

 二十一歳の女性が誘拐される。犯人はIT企業にクラウドファンディングで身代金を募集するように要求してきた。その額はなんと十億円で、国民の民意を問うプロジェクトだという。募集期間はたったの一日である。はたしてこんなことは許されるのか。IT企業はこの要求に従うのか。もし募集したとしてもなんの見返りもないのに十億円が集まるのだろうか。もし達成したとして犯人は大金を手にすることができるのか。

 誘拐された女性から、詐欺グループの受け子をやってしまったと相談を受けていたのが小柳である。ボスと呼ぶ美里みさと千春ちはる弁護士とともにこの事件に取り組むのだが、まったく先が読めない、まさにサスペンスフルな長編だ。というのも、単純な誘拐事件ではなくて、背後にこれまた現代社会ならではの悪意がうごめいているからなのだ。


 持月もちづき凜子りんこ弁護士のスマホに事務員から連絡が入る。刑事弁護センターから電話があったというのだ。今日は当番弁護士の日だった。被疑者は垂水たるみ涼香すずか、三十三歳。逮捕容疑は殺人。接見する前にスマホで検索してみると、涼香はなんと現職の警察官らしい。薬丸やくまるがく『刑事弁護人』(新潮社)は女性弁護士と、捜査側の刑事のふたつの視点から、事件の不可解さが浮き彫りにされていく。

 被害者はホストだ。鈍器などで頭部を強く殴打されたことによる外傷性脳損傷が死因とされた。涼香には夫がいたが、被害者が在籍するホストクラブに通っていたという。その日、バンドをやっているホストの部屋に、曲を聴かせてもらうつもりで行ったところ、襲われたので酒瓶で殴ったことは認めた。しかし、部屋を出たときには、痛いと叫びながら床を転がり回っていたというのである。

 何かを隠している涼香。彼女に弁護士を解任されてしまう凜子。かなり癖のある西にし大輔だいすけ弁護士の過去。重奏する謎に苦悩する凜子だ。そして終盤、裁判員裁判で意外な真相が明らかにされていく。弁護のヒントとなるエピソードの伏線もまた、緻密な構成を印象深いものにしている。


アリバイの可能性

 時計店の若き店主である美谷みたに時乃ときののアリバイ崩しが、というより「時を戻すことができました」という決めぜりふが快感なのが大山おおやま誠一郎せいいちろう『時計屋探偵の冒険 アリバイ崩し承ります2』(実業之日本社)だ。

 亡き祖父にきたえられた推理力を成功報酬五千円で披露してしまうとか、新米刑事の「僕」が同僚に隠れて時乃に謎解きを依頼するという設定は、シリーズ第一作と同じである。ただ全五話、さまざまなバリエーションが楽しめる。

 たとえば「時計屋探偵と多すぎる証人のアリバイ」は、容疑者のアリバイが五百人もの証人によって保証されているのだ。衆議院議員の秘書の焼死体が河川敷で発見された事件だが、アリバイの鍵を握るのは政治資金パーティーだった。

 また、本年度の日本推理作家協会賞短編部門を受賞した「時計屋探偵と二律背反のアリバイ」は、離れた場所で同一時間帯に起こったと思われる事件の容疑者が、なんと同じ人物なのだ。同時に殺人などできない!? 防犯カメラの普及など、しだいにトリックのハードルは高くなっていくが、アリバイへのこだわりをこれからも期待したいシリーズだ。


 その防犯カメラが主人公を、そして捜査陣を戸惑わせているのが辻堂つじどうゆめ『二重らせんのスイッチ』(祥伝社)である。システムエンジニアの桐谷きりたに雅樹まさきに、殺人事件の容疑が掛かる。渋谷しぶや松濤しょうとうで飲食店経営者が殺され、およそ二千万円が奪われた事件が起こった。防犯カメラの映像を公開したところ、多くの通報があったという。カメラに映っているのは桐谷雅樹ではないかと――。まったく身に覚えのない雅樹だが、犯人とおぼしき人物の映像を見て絶句してしまう。別人とは思えなかったからである。そして現場の遺留品から検出されたDNAは雅樹のものと一致した。ところがやはり防犯カメラが、彼のアリバイを証明するのだった。

 事件が二〇一五年に起こったという設定が重要なファクターである。アリバイの謎はわりとすぐ解けてしまうかもしれない。同時に、ミステリーで安易に用いるととがめられそうなその設定が、トリック的な面だけではなく、物語全体のキーポイントとなっている。ただ、そうしたありがちな基本設定を忘れてしまう推理が、終盤に展開されていくのだ。そして、家族のきずなを突き詰めていく主人公の姿が際立つラストが心に残る。


 あのドラマを持ち出すまでもなく、倒叙ものではアリバイ工作がよく取り上げられてきた。香納かのう諒一りょういち『逆転のアリバイ 刑事花房はなぶさ京子きょうこ(光文社)もまず犯人側の視点から物語が始まっている。

 父の代から宝石商を営んできた壬生みぶ真理子まりこは、フェルナンド・フランコから買い付けたダイヤモンドで損を被り、そして信用をなくしてしまう。それが人工ダイヤだったからだ。真理子は夫の陽介ようすけとともに、フェルナンドを亡き者にしようと緻密な計画を組み立てた。フェルナンドを言葉巧みに操り、真理子は自身のアリバイを確保したつもりだったが、彼女の思惑通りに事は進展しないのである。倒叙ものであることは間違いないのだが、新しい工夫が仕込まれている。

 犯人の偽装工作のどこにミスがあったのか。語学の堪能な花房刑事はどこでそのミスに気付くのか。もちろん倒叙ものならではのアリバイ崩しの妙味はたっぷりあるのだが、ほかにも色々と細かな謎がちりばめられている。それが倒叙ものとしてはひと味違った推理の楽しみとなっている。そしてしだいに追い詰められていく犯人の心理……。ラストがちょっと切ない。


作中作の可能性

 編集という仕事に憧れを抱いている人なら、葉真中はまなかあき『ロング・アフタヌーン』(中央公論新社)は必読だろう。物語の冒頭は志村多恵『犬を飼う』という作中作だ。二〇一三年の「小説新央新人賞」に投稿された短編である。当時「小説新央」の編集者だった葛城かつらぎ梨帆りほは、最終候補に残ったその作品を高く評価したが、選考会での評価は散々だった。そして七年後、その志村多恵から突然、『長い午後』と題された小説の原稿が届く。しかし、梨帆の勤める出版社はすでに小説部門から撤退していた。

 学生時代の友人が時を隔てて再会したものの、かつての友情が復活することはなく、殺意が募っていく状況を描いたその小説にシンパシーを抱いた梨帆は、なんとか出版したいと思う。そこに、梨帆が編集したエッセイ書が大ベストセラーとなった風見かざみ華子はなこから持ち込まれるトラブルや自身の結婚生活の破綻が絡み、苦悩する女性編集者だ。

 その梨帆の日常のなかに、『長い午後』が分載されている。そして梨帆の過去の罪も明らかになっていく。さまざまなファクターが収束してのエンディングには、ある意外性も用意されている。


 はたして陰橋かげはしとうという自殺をした哲学者の著書と自伝を彼らは模倣もほうしたのだろうか。時は202X年、新型コロナウイルスのせいで不利益を被った若者たちは、社会の身勝手さに揺さぶられ、疲れ果て、何事もなかったかのように再起動を始めた世の中に対して、疑心と、怒りと、絶望を抱く。そして、自殺という手段で社会にあらがいはじめた。急増する若者の自殺の分析から潮谷しおたにけん『エンドロール』(講談社)の特異な作品世界は幕を開ける。

 自殺した若者のうち人気アイドルを含む二百名が、『物語論と生命自律』など陰橋の著作を模倣して自伝を書き上げ、国会図書館に納本していた。早世したベストセラー作家・雨宮あめみや桜倉さくらの弟である雨宮ようは、陰橋と交流のあった桜倉の遺作が自殺を肯定しているように受けとめられているのを懸命に否定するのだった。夢と希望の物語をつづっていた姉の名誉を守るために。パンデミックが収束したあとにこんな世界が待っているのかもしれない。そんな恐怖が、書物にとらわれてしまった若者たちの死が、謎解きの世界へと導いていくとはまったく予想できない。ユニークすぎてその魅力を十全に伝えられないのがちょっと歯がゆい。


 主人公のゴーストライターという職業にまず興味を抱くのは本城ほんじょう雅人まさと『にごりの月に誘われ』(東京創元社)だ。かつて三冊代作したことのあるIT業界の大企業の創業者会長から、自叙伝の代筆の依頼が上阪うえさかすぐるにあった。かつて報酬をめぐってトラブルがあったから、気は進まない。しかし、フリーになって十一年、最近は執筆依頼すらない上阪である。初版五万部が確約されての依頼を断る理由はなかった。

 その会長、釜田かまた芳人よしとは六十五歳だが、じつは余命六カ月を宣告されていたのだ。そこからある意味壮絶な、一日一時間に限られたインタビューが始まる。その様子と、ワープロ修理会社からスタートし、インターネットビジネスを牽引けんいんしてきた釜田の自叙伝、そして小さなソフト会社を経営する若者の日常が並走する。

 これまで誰にも明かしていなかった事実を伝えたいと釜田はいうが、恋愛模様もからんでのあまりに赤裸々せきららな話に上阪は戸惑う。しかしそこには、企業人ならではの意図が仕掛けられていた。終盤、まさに意外な事実が次々と明らかになっていく。釜田の事業を通して語られる、バブル期以降のIT業界の流れも興味深い。

《ジャーロ No.83 2022 JULY 掲載》



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