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世界で唯一の短編集『レオ・ブルース短編全集』|森 英俊・Book Detective 【ディテクション72】

文=森 英俊

 1950年代に、ロンドンの《イヴニング・スタンダード》紙が販促の戦略として、探偵小説の書き下ろし短編を掲載する企画を立ちあげた。そのため、まとまった数の探偵小説が必要となり、マイケル・イネス、アントニー・ギルバート、マイケル・ギルバート、エドマンド・クリスピン、エリザベス・フェラーズ、シリル・ヘアー、ジョセフィン・ベル、グラディス・ミッチェル、E・C・R・ロラックといった面々に、声がかけられた。愚鈍そうな田舎いなか警官が実は名探偵という、ビーフ物で知られるレオ・ブルースもそのひとりで、ブルースが1950年から56年にかけて同紙に発表した作品は、先ごろ刊行された『レオ・ブルース短編全集』(扶桑社ミステリー)に網羅もうらされている。新聞掲載という性質上、短いものが多く、枚数の限られたなかでいかにして読者を飽きさせないか、それぞれに工夫がらされている。驚くほど、謎解きの純度も高く、謎解きを主眼とした作品にはある程度の長さが必要だという、従来からの固定観念すらくつがえされかねない。


『レオ・ブルース短編全集』は、1992年に米国で出版されたMurder in Miniature: The Short Stories of Leo Bruceの全収録作に、そのあとに発掘された雑誌掲載作品ならびにタイプ原稿で残されていた未発表作品を加えたもので、わが国独自の、いうならば、世界で唯一の短編集なのである。収録作のうち、ビーフが探偵役をつとめるのは十四編(うち未発表二編)あり、短編のみのシリーズ探偵、田舎警官のグリーブ巡査部長も、《イヴニング・スタンダード》に掲載された八編と未発表の三編に姿を見せる。それ以外の十五編は、非シリーズ作品。

 巻頭を飾るのはビーフ物の「手がかりはからしの中」で、私立探偵を開業しているビーフが、平巡査時代に扱った「初めての重要な事件」を回想する。それはとある寒村で起きた事件で、心臓に問題を抱えた老婦人が、自宅の庭でお気に入りの椅子に座ったまま死んでいるのを発見される。病死を思わせる状況だが、発見時に遺体の目にはほとんど恐怖といってもいいような色が浮かび、表情もゆがんでいたことから、主治医が疑いを抱く。

 ビーフ物の短編第一作にあたり、魅力的な謎、意外な手がかり、奇抜ながらも実効性のあるトリック――と、三拍子そろった、まさしくパズラーのお手本ともいうべき秀作だ。

「一枚の紙片」は、ビーフの手がけたなかで、もっとも不愉快な事件。警察官時代のビーフの担当区域、ロンドンからさほど離れていない小さな町で起きたもので、老婦人が睡眠薬の過剰摂取により死亡する。テーブルの上には遺書のような手書きの書き置きがあり、自殺のように思われたが、ビーフは文面に違和感を覚える。ビーフの執念の捜査によってあばかれる真相はかなり衝撃的で、犯人の極悪非道ぶりには慄然りつぜんとさせられる。

「ビーフのクリスマス」でのビーフは、脅迫状の送り主をつきとめてほしいという依頼を受け、警察官時代に最後に駐在していた土地のそばへとやってくる。依頼人は、英国でもっとも裕福な人間のひとりだった人物で、老齢になり、墓場にまで持っていくことはできないと、お金を湯水のように浪費していた。

 クリスマス・パーティー以降の、事件の急激な展開は、ビーフ本人やこちらの予想をはるかに上回るもので、それだけに、ビーフの目に留まっていたささいなものが、事件の全貌を解明する足がかりになるという、構成の妙が光る。

「インヴァネスのケープ」で描かれるのは、ビーフのよく知る老婦人が、同居していた体の不自由な妹の目の前で殴殺されるという、むごたらしい事件。蕩尽癖とうじんへきのあるおいも同じ屋敷内に暮らしており、犯人がその甥のものと同じケープを羽織はおっていたことから、ビーフはその身柄を拘束する。ところが犯行当時、甥のケープは、ほころびをつくろってもらうために、使用人に預けてあったという事実が判明。ビーフがそのあと、くだんのケープを売った洋服店をつきとめると、そこではもう一着、同じケープが売られていた。

 ビーフが犯人の巧妙な偽装工作をあばく好短編で、アガサ・クリスティを彷彿ほうふつさせるミスディレクションが堪能たんのうできる。

「死後硬直」は、かつて平巡査としてビーフの下で働いていたサッカレーが持ちこんできた事件。娘の嫁ぎ先を訪ねたあと、徒歩で自宅に向かった老人の行方ゆくえがわからなくなり、ほどなくその死体が、娘の家のボイラー室のコークスの山の下から発見される。意外性もたっぷりで、ビーフがサッカレーを前に推理を披露するなかで『三人の名探偵のための事件』(1936)に言及するなど、シリーズのファンにはたまらない内容になっている。


 新聞読者向けに創り出されたグリーブ巡査部長は、地方警察の刑事部に所属する堅忍不抜けんにんふばつの警察官で、ねばり強い捜査で事件を解決していく。そのグリーブが初登場した「逆向きの殺人」は、わずか四頁の小品だが、その割に驚くほど完成度が高い。大きな村の郊外にある屋敷で、貧血症を患っていた六十代の召使いが死亡する。その話を地元医師から聞いたグリーブは疑いを抱くが、犯罪を裏づけるようなものはなにも発見されない。好奇心をそそる表題も秀逸で、その意味するところは、グリーブの推理のなかで明らかになる。

「タクシーの女」は、女性の乗客がタクシーの車内で死亡した事件。死体の横にあったチョコレートからは、シアン化物が検出される。ミスディレクションのあざやかな掌編しょうへんで、わずか五頁のなかにパズラーの醍醐味だいごみが詰まっている。

 グリーブは、「単数あるいは複数の人物」で密室の謎を解明し、「沼沢地の鬼火」で遭難劇の背後に隠されている冷酷な犯罪計画をあばいたあと、「跡形もなく」では、人間が車ごと「虚空に消えてしまった」かのごとき不可能状況に挑む。目の落ちくぼんだ長身痩躯ちょうしんそうくの男が警察署を訪れ、同居予定の姉が行方不明になったとグリーブに告げる。資産家だが変人の、その女性は、自家用車で男の待つ屋敷に到着。ところが、お茶の時間になっても姿を見せず、ガレージを見に行くと、乗ってきた車は消え失せていた。敷地内から出るには正門を通るしかなく、管理人夫妻によれば、くだんの女性の到着したあとは、車はおろか、だれひとりとして、そこから出ていっていないという。グリーブは、男の話の断片から、意外な真相にたどりつく。

 非シリーズ作品にも簡単にふれておくと、「犯行現場にて」ならびによく似た表題の「犯行現場」は、ともにひねりのきいた結末のクライム・ストーリー。

 未発表作品のひとつである「悪魔の名前」では、カードで運勢占いをして客人をもてなすのを常にしている男が、みずからの運勢を占ったところ、何度も死を暗示するカードが出る。恐怖に駆られた男は戸締まりを厳重にし、拳銃を握りしめて、不寝番をするが……という、他の収録作とはテイストの異なる、〈奇妙な味〉系の怪奇譚かいきたん

 同じく未発表の「書斎のドア」は、密室物のパロディともいうべき小品。貴族の屋敷の見物客のなかにまじっていた好奇心旺盛な女流探偵作家が、現当主の大叔父が首つり自殺をげたという部屋で、突拍子もない推理を披露し始めるというもの。

 探偵小説の宝箱ともいうべき『レオ・ブルース短編全集』に収録されているのは、これらも含め、全部で四十編。未発表作品のほうは、テキサス大学の研究施設内で発見されたもので、同書の編訳にあたった小林こばやしすすむ氏が、そのタイプ原稿の写真を発見者の方から提供してもらい、収録されるにいたったという。

 パブリック・スクールで歴史を教えるキャロラス・ディーン物の第一作、『死の扉』(1955)が1957年に東京創元社の〈現代推理小説全集〉で紹介されたあと(1960年に創元推理文庫に編入)、レオ・ブルースの長編の翻訳はしばらく途絶とだえてしまう。そんな翻訳の空白期間を埋めるべく、小林晋氏の立ちあげたのが、レオ・ブルース・ファン・クラブで、1987年に《AUNT AURORA》なる同人誌ファンジンを創刊し、長編の一挙訳載などを通じて、レオ・ブルースの普及につとめてきた。その普及活動の集大成ともいえるのが『レオ・ブルース短編全集』で、小林氏の情熱がなければ、未発表作品を含めた全短編を一冊にまとめるという、夢のような企画も実現することはなかった。

 この探偵小説の宝箱を通読すれば、巧妙なミスディレクション、軽妙な語り口とユーモア、くっきりした人物描写といった、ブルース作品の魅力が見えてくる。それらはビーフ物やディーン物の長編でも際立っており、『レオ・ブルース短編全集』をきっかけに、ぜひとも粒揃いの長編のほうにも手をのばしてみていただきたい。

《ジャーロ No.83 2022 JULY 掲載》



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