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森村誠一『人間の証明』~清水谷公園(東京都)・霧積温泉(群馬県)|佳多山大地・名作ミステリーの舞台を訪ねて【第9回】

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文・撮影=佳多山大地

清水谷公園の池越しに見る、ホテルニューオータニの本館《ザ・メイン》
同公園内からニューオータニの新館《ガーデンタワー》を見上げる。

 昨年(二〇二二年)の暮れ、七年ぶりにカメラを買い替えた。OLYMPUSオリンパス PENペンのE―P5からE―P7に。自家用車で移動しない取材旅行に、お供のカメラは軽量なミラーレスがいちばんだ。

 前に使っていたカメラの調子が悪くなったのは、この春から小学校に上がる甥っ子が、ときどきオモチャにしていたせいと思しい。写真を撮ることより、内蔵フラッシュをポップアップさせてシャッターを切ると、光がビカビカ出るので大喜びしていた。で、当然ながらカメラは、ときどき落っことされてしまうわけだ。

 ちなみにこの甥っ子、なんと二歳二ヶ月で僕の本棚から横溝正史よこみぞせいしの『壺中美人こちゅうびじん』(角川文庫)を抜き出して読み始めた[写真①]とんでもない逸材だったのだけれど……その後は絵本にもほとんど興味を示さない子にすくすく育ってます。

写真①横溝作品は『八つ墓村』か『悪魔の手毬唄』あたりから入門するのがいいのだが……。

 ということで、今回は新しいカメラを首に掛けて初めての取材旅行だ。三月十日金曜日、曇り空。もはやコロナウイルスよりスギ花粉をこそカットしてもらいたいマスクをしっかりつけ、最寄りのJR吹田すいた駅まで歩く。そこから鈍行で下ること二駅、新大阪で乗り込んだのは午前八時五十七分発の新幹線のぞみ96号・東京行だ。車中では睡眠不足の解消に努めたのだが、間もなく新横浜に到着する際、「本日は自由席が混み合いまして、ご迷惑をおかけしました」とアナウンスが流れる。そうか、日本のビジネスの大動脈たる東海道新幹線にコロナ禍到来以前の混み具合が戻ってきたんだ、と静かに感動する。

 十一時二十四分、終点東京着。中央線のホームに移動し、青梅おうめ特快で四ツ谷よつや駅へ。麹町こうじまち口から出てソフィア通りを道なりに進むと、ホテルニューオータニの本館正面が見えてきた。その威風堂々たる構えを横目に紀尾井きおい坂を下り、交叉する紀尾井町通りを赤坂あかさか方面に折れるとすぐ左手に清水谷しみずだに公園はある。ああ、大学時代は東京で五年も暮らしたのに、ここを訪れることは結局なかった。作家森村誠一もりむらせいいちの初期代表作にして昭和の出版史に刻まれるベストセラー小説『人間の証明』(一九七六年、角川書店初刊)で、アメリカから来日したばかりの黒人青年ジョニー・ヘイワードが凶器のナイフで刺された現場を――。

 捜査員は直ちに公園へ飛んだ。清水谷公園は、紀尾井町と平河町の二つの高台にはさまれた谷間にある小さな公園である。ホテル、高級住宅、参議院宿舎などに囲まれた閑静な一角で、時々デモ隊の集結場所に利用される以外は、あまり人影がない。都心にありながら、台風の目のように喧噪の中の忘れられた真空地帯であった。
 ここならば、夜八時をすぎれば、人影も疎らになってしまう。ロイヤルホテルは目と鼻の先である。

『人間の証明』エトランジェの死 1節

 公園の中央入口から入ると、高さ六メートル余の《贈右大臣大久保公哀悼碑》がまず目に飛び込む。ここ清水谷の地で維新元勲三傑の一人、|大久保
利通《おおくぼとしみち》は不平士族らの襲撃に遭って多くの刀傷を負い、命を落としたのだった。大久保は当時、今の僕より三つ年下のまだ四十七だった。

 思い出の麦わら帽子を手に、あの夜、清水谷公園を訪れたジョニー・ヘイワードも、真っ先にこの園内でいちばん目立つ哀悼碑に気づいたはずである。ニューヨーク育ちの彼の目には、セントラルパークに立つオベリスク《クレオパトラの針》の小型版のように映っただろうか? 西条八十さいじょうやその詩を愛し、日本については並のアメリカ人よりずっと親しみを感じていたジョニーでも、「紀尾井坂の変」なんて教科書的な知識はきっと持ち合わせなかった。この碑で悼まれている人物と同様、まさか自分がこの場所で〈刃物〉で襲われる因縁など想像もしなかったろう。

 時間は、ちょうどお昼時。池のほとりのベンチでは、近くで働いているらしい制服姿のOLさんたちが弁当を開けていたり、スーツ姿の男性が春眠をむさぼっていたり。池越しにホテルニューオータニの地上十七階建て本館を眺めれば、なんだか今いるのはホテルの飛び地の庭園みたいだ。そこからすこし首を左に振ると、同じくニューオータニの地上四十階・塔屋三階の新館が聳えている。「読んでから見るか、見てから読むか」という宣伝文句も秀逸な映画版『人間の証明』(一九七七年公開)では、三年前(一九七四年)の九月に開業したばかりだった新館の最上部が照明で縁取られ、まるで麦わら帽子のように見えた。

 ――被害者は、なぜロイヤルホテルへ向かったのか? ――
 ――ロイヤルホテルを指さしてなぜストロー・ハット(引用者注:麦わら帽子)? と言ったのか ――
(中略)
「あ、あれは……」
 と叫びかけて後の言葉がつづかない。屋上のクーリングタワーの周囲を土星の環のようにめぐる屋上レストランの窓の灯の連なり。地上からの投光を受けたクーリングタワーを囲う三角柱の囲いが透けて、内部の円筒が銀色に輝いた。最上階レストランの灯が、光で織られた広い鍔のように見える。それはさながら夜空に懸けられた、光で編んだ麦わら帽子であった。

『人間の証明』エトランジェの死 2節

「東京ロイヤルホテル」の名で作中に登場する超巨大ホテルが、ホテルニューオータニをモデルにしていることは疑いない。大学卒業後、作者の森村は十年近くホテルマン生活を送ったが、ホテルニューオータニはその〝最後の勤め先〟だった。作中の記述を読むかぎり、四十二階建てのロイヤルホテルの最上部は、ニューオータニ本館の今や回転しない回転ラウンジと、同別館の塔屋を含む最上部のフォルムを組み合わせて創ったようだ。主人公の麹町署刑事、棟居弘一良むねすえこういちろうは、公園の奥で発見された古い麦わら帽子が被害者ジョニー青年の持ち物であり、瀕死の彼がロイヤルホテルのエレベーターに乗り込んだのは夜空に光り輝いていた麦わら帽子を追うためだったと確信するのである。

 昼の部の取材は、これで終了。《東京ガーデンテラス紀尾井町》の二階で辛味おろしそばをすすってから、南青山にある日本推理作家協会事務局を訪ねる。本日は午後二時から同協会賞短編部門の予選会に臨む大仕事を果たしてのち、ふたたび清水谷公園を訪問する予定だ。

 話はちょっと脱線するが、日本推理作家協会事務局が入る秀和青南レジデンス(を含む秀和レジデンスシリーズ)は一部の建築ファンからビンテージ・マンションと称され、けっこう人気があるのだとようやく最近知る。いやあ、ちょうど二十年前(二〇〇三年)に初めて足を運んだときから、「古ぼけたお城みたい」としか思わなかったなあ……。

 夜の部の取材には、本誌「ジャーロ」の編集氏二名が合流。しかし、陽の落ちた清水谷公園で僕らが確認したのは、ホテルニューオータニの本館も新館も、残念ながら麦わら帽子を髣髴させる光を夜間に放ってはいない事実だった。本館の回転ラウンジからは、わずかに明かりが漏れて見えるだけ。一方、新館の塔屋はまったく暗いまま、曇った夜空に溶け込もうとしているばかりだ。「やっぱり映画は、映画用に照明をつけたんだなあ」と肩を落とす僕。でも、架空のロイヤルホテルは、われわれ読者の想像の中でだけ、映画の演出よりずっと鮮やかな「光で編んだ麦わら帽子」をこれからも夜空に浮かばせる。

 夜の部の取材は早々に仕舞い、編集氏らと平河町の焼き鳥バルで夕食を。店内のテレビではWBCの対韓国戦を中継していたけれど、そのうち楽勝ムードになってきたので、飲み食いとおしゃべりのほうに夢中。結局、夜十一時の閉店時間まで居座り、ずいぶんビールを腹に溜め込んだ夜だった。

 明けて三月十一日、土曜日。朝食は渋谷の定宿で済ますと、相変わらず改装中のJR渋谷駅を朝八時十九分に発つ湘南新宿ライン快速・籠原かごはら行に乗車する。途中の上尾あげお駅で快速アーバンに乗り換え、十時十五分に終点高崎着。そこから八分後に出る信越本線・横川行の車中の人となったのだが――長野新幹線の開業にともない横川・軽井沢駅間が一九九七年に廃線となってから、高崎・横川駅間をまだ信越本線と呼んでいるのは違和感がある。件の両駅区間はすべて群馬県内なので、信濃国も越後国も関係ないもんね。ここはもう「横川線」と改称すればいいんじゃないかなあ。

 午前十時五十七分、横川着。鉄道ファンならずとも、この横川駅で一九五八年(昭和三十三年)の昔から販売の始まった有名な駅弁、荻野屋おぎのやの《峠の釜めし》を一度は食べたことがあるんじゃなかろうか? そういえば、杏の実って《峠の釜めし》と崎陽軒きようけんのシウマイ弁当以外で食べる機会が一度もなくないか? と、それはともかく、これより約四時間、まったく『人間の証明』と関係のない歩き旅を敢行するつもり。信越本線の廃線跡を整備した遊歩道をえっちらおっちら、一八九二年(明治二十五年)竣工の碓氷うすい第三橋梁(通称めがね橋)まで行って戻ってくる約十キロメートルの峠道散策だ。峠を上る往路はしんどく、逆に帰りは楽々だろう。時を午後三時近くまで飛ばす幕間ブリッジに、あらためて『人間の証明』のメインストーリーに触れておくとしよう。

 東京ロイヤルホテルのエレベーターの中で、ぐらりと崩折れた一人の黒人青年。彼の胸には、凶器のナイフが深々と突き刺さっていた。アメリカはニューヨークのスラム街から日本に渡航してきて間もないジョニー・ヘイワードは、誰に、なぜ殺意を向けられたのか? ニューヨーク市警からの報告によると、ジョニーは「日本のキスミーに行く」とアパートの管理人に告げて旅立ったらしい。「キスミー」なる謎のキーワードは、被害者の異邦人エトランジェの所持品と判明する『西条八十詩集』に収められた、とある詩と結びつく。

――母さん、僕のあの帽子、どうしたでせうね?
えヽ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、
溪谷へ落したあの麦稈帽子ですよ。
――母さん、あれは好きな帽子でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
(後略)

 霧積……「キリヅミ」……キスミー! 霧積の地にジョニー・ヘイワード殺害事件を解く鍵が眠っている、との棟居刑事の意見は沈滞ムードにあった捜査本部を動かし、棟居と警視庁捜査一課刑事の横渡よこわたりとの急造コンビに霧積出張の命が下る。彼ら二人が出張先で宿泊し、ついにジョニー殺しの背景の一端をつかむ秘境の温泉旅館・金湯館きんとうかんは令和の今も営業中なのである(先の西条八十の詩「帽子」は、金湯館の弁当の包み紙に刷られているものから引用)。

 横川駅前、午後二時五十分すぎ。フロントボディに「日本の♨秘湯 霧積温泉金湯館」と控えめに記した送迎車がやってきた。車に詳しくない僕ははっきり言えないが、ハイエースのなかでは小型のやつだと思う。

間もなく、霧積温泉の名前をつけたマイクロバスが来た。数人の若い男女が降りて来る。
「東京の横渡さんと棟居さんですか」
 中年の運転手が二人の姿を見て声をかけてきた。二人がうなずくと、
「東京の方から連絡をうけてお迎えに上がりました。さあ、どうぞ」
(中略)
 右手にかなり大きなダムが見えてきた。
「霧積ダムです」
 幅三百二十メートル、高さ六十七メートル、起工してからすでに四年で、間もなく完成予定だと、運転手が説明してくれた。まだ貯水ははじめられず、コンクリートの堰堤が傲然と見下ろす乾いたダムの底には、いずれは水没する廃屋や雑木林が寂しげに散っている。

『人間の証明』忘れじの山宿 1節

 送迎車の右手車窓から、木の間越しに霧積ダムの堰堤とダム湖を見下ろす。完成前の霧積ダムで、ジョニー殺しの犯人は第二の殺人を決行するに至る。戦後間もない時期に、犯人はここ霧積の地を、幼いジョニーとその父親である米兵ウイルシャーとの三人連れで訪れていた。その事実を知る金湯館の元女中、おたね婆さんの口を、犯人は永久に封じておく必要に迫られたのだった。

 ――それにしても。目指す金湯館は、予想していたよりずっと人里離れた山深くにある。送迎車に揺られること約四十分、最後は一般車両進入禁止の国有林専用林道(同林道の出入口ゲートを誰かに電話して開けてもらう五十がらみの運転手は、車中での会話により金湯館の現主人と判明)をくねくね進んだ先に、一八八三年(明治十六年)創建の総けやき造りの母屋を残す山中の宿にとうとう辿り着いたのだった[写真②]。

写真②秘境にたたずむ金湯館。
水路の氷(水路から漏れた水が凍った氷柱)がわずかに残っていた。

 金湯館の玄関先で、四、五歳くらいの男の子が遊んでいる。「孫が来ているんです」と笑顔の主人が僕を通してくれたのは、なんと母屋二階の角にある1号室だ。事前に金湯館のホームページを見て、それと知っていたのだが、欅の梁もあらわな1号室(十畳の和室)は伊藤博文いとうひろぶみを筆頭とする面々が明治憲法の草案を練った部屋なのである。大久保利通の哀悼碑が立つ清水谷公園に、伊藤博文ゆかりの金湯館。昭和の大ベストセラー『人間の証明』[写真③]の舞台をめぐる今回の旅は、なんだか明治づいている。それはジョニー・ヘイワード殺しの背景に、わが国日本が明治近代化を強力に推し進めたすえに待っていた、あの〈敗戦後〉があるからだろうか? 大久保の暗殺にも伊藤の憲法草案にも、『人間の証明』の中ではいっさい触れられていないけれども。

写真③玄関帳場の向かいにある土産品コーナーには、角川文庫版『人間の証明』も並ぶ。

「――ところで、ご主人。森村さんの小説で刑事たちが通された、離れの部屋は残ってるんですか?」「ええ。普段はほとんど使いませんけど、『あの部屋がいい』という常連のお客さんもいて」

 本館の廊下の端からいったん外へ出て、飛び石を伝って、たった一戸だけ独立している離れ屋へ通された。六畳ほどの和室で、窓を開けると、筧を豊かな水が水車の方角へ走っている。
(中略)
 棟居は、そのまま一気に聞き込みをしたかったが、相手の都合も考えて、勧められるままに、まず温泉へ入ることにした。浴場は、離れとは反対方向の母屋のはずれにある。長い渡り廊下を伝っていくと、美味そうな食べ物の煮炊きのにおいが鼻腔に漂ってきて、とたんに腹の虫が啼いた。
 泉温は三十九度だそうで、肌に柔らかく感じられる。以前は三十七度で浴槽の中に将棋盤を浮かべて、湯治客がのんびり湯に浸りながら将棋をさしていたそうである。その後ボーリングをして、いまの泉温に上がったという。
「おもわぬ命の洗濯だな」
 横渡が浴槽の中に身体をのばして言った。浴室の外は、黒々とした闇に包まれている。木立ちが闇の深さを濃くしているのである。

『人間の証明』忘れじの山宿 2節

 母屋の一階から、離れの《かえで》に行くのに今、飛び石はない[写真④]。この離れで棟居刑事らは金湯館で働く若い娘から、だいぶ以前に〝進駐軍の黒人米兵の家族〟が来たと祖母が言っていた、という重要な証言を得たのだった。その娘の祖母――おたね婆さんは翌朝、刑事らが直接話を聞くまえにダムの底で物言わぬ死体となって発見される。図らずも、過去の隠蔽に走る犯人と、まだ正体の見えぬ〝標的〟を追う刑事らが霧積の地でニアミスした恰好で……。


写真④金湯館の母屋一階から離れ屋を見る。『人間の証明』の作者も好んで泊まったと聞く。

 夕食は午後六時頃に、部屋まで運んでくれるとのこと。なので、離れの部屋を中まで見せてもらったあとは早々と温泉タイムに突入だ。棟居刑事らと同様、僕もさっそく肌触りのよい無色透明の湯に浸かり、命をせいぜい洗濯中。時刻はまだ四時半すぎ。独りきりなのをいいことに、軽く平泳ぎしてみたりも。この泉温なら、けっこうな時間、のぼせることなく考え事もできる。

 おそらく「ジャーロ」の読者で『人間の証明』の本篇を読まずにいる(のみならず映像化作品のどれも観たことがない)向きはほとんどいないように思う。けれど、これより先、ジョニー青年とおたね婆さんを殺害した犯人の正体を明かしたうえ考えをめぐらすので、いちおうネタばらしの警告をここに入れておく次第。

     *

『人間の証明』で描かれる連続殺人事件の犯人は、一人の日本人女性――戦後の混乱期に自分の腹を痛めてジョニーを産んだ母親だ。現在は与党国会議員の夫との間に二人の子(恭平きょうへい陽子ようこ)をもうけ、「家庭問題評論家」と称してマスコミにも引っぱりだこの有名人、八杉恭子やすぎきょうこである。

 今回、およそ三十年ぶりに『人間の証明』を再読してみて、そのタイトルの重みを昔とは違ったふうに受けとめる自分がいた。主人公の棟居刑事は、人間全体に復讐心を持っていて、「追いつめた相手をできるだけ苦しませればよい」と考える男だった。任意の出頭要請に応じた八杉恭子に対し、棟居刑事は彼女の世間的イメージでもある〈理想の母親像〉を必殺の武器として振りかざし、徹底的に追いつめる。そう、母親に、母親としての心が無ければ、もう人間ではない――。従来『人間の証明』は、八杉恭子が殺人の罪を認めることによってジョニーの母親に還り、自らが人間であることを証明する物語として読まれてきた。しかし、女性の母性なるものを絶対視する棟居の態度は、令和の今の時代、いわゆる伝統的家族観を押しつけているようであり、それがために今日こんにち的なテーマをこの昭和の名作ミステリーに新たに付与していると言えなくもない……。

 浴室の外はまだ明るく、「ママ、ママ!」と呼ぶ男の子の甲高い声が聞こえた。

《ジャーロ No.88 2023 MAY  掲載》

* * *

『人間の証明』森村誠一

■あらすじ
ホテルの最上階に向かうエレベーターの中で、ナイフで刺された黒人が死亡した。棟居刑事は被害者がタクシーに忘れた詩集を足がかりに、事件の全貌を追う。日米共同の捜査で浮かび上がる意外な容疑者とは!?




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