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さまざまなビブリオ|森 英俊・Book Detective 【ディテクション74】

文=森 英俊

 英語に〈ビブリオ〉という単語がある。2007年に京都大学で考案された、参加者おのおのが面白いと思った本をプレゼンしあうビブリオバトルが、全国各地で開催されるようになったことで、一般にも知られるようになった。「本の~」といった表現をする際に用いられる接頭辞で、たとえばビブリオミステリなる呼称は、本を題材にしていたり、本に関わる人々が探偵役をつとめたりする、ミステリを指している。近年ベストセラーになった、ジョン・ダニングの『死の蔵書』(1992)や三上延みかみえん〈ビブリア古書堂シリーズ〉(2011~)が代表例。

 これらビブリオミステリの最大の魅力ともいえるのが本に関する蘊蓄うんちくで、ちくま文庫で2022年に初書籍化された横田順彌よこたじゅんや『平成古書奇談』にも、古書にからんだ蘊蓄が詰まっている。2000年から翌々年にかけて小学館の季刊誌《文芸ポスト》に掲載された九編をまとめたもので、〈ビブリア古書堂シリーズ〉同様、古書店周辺で起きる出来事を描いている。とはいえ、大きな違いもあり、〈ビブリア古書堂シリーズ〉がビブリオミステリの枠にとどまっているのに対し、『平成古書奇談』には、そこから逸脱いつだつした物語も少なくない。以下では、収録作のそれぞれを見ていくことにしよう。

 東急東横線の学芸大学がくげいだいがく駅の近くに、野沢のざわ書店という小さな古書店がある。五十代半ばの店主の野沢氏が若い頃に脱サラして始めた店で、大学の二年生になる、店主の次女の玲子れいこも、時おり店番をしている。主人公の馬場浩一は、その古書店の常連客で、作家を志しながらフリーライターをしている、二十五歳の青年だ。その馬場青年が野沢書店に通っているのは、資料集めのため――というのは、あくまでも表向きの理由で、ここに来れば玲子に会えるのではないかと思ってのことなのである。いまでは、単なる客以上の存在になっており、野沢家で夕食をごちそうになることもしばしば。

 シリーズの導入編も兼ねている巻頭作「あやめ日記」では、馬場が店主の野沢氏から、明治時代末年の肉筆日記帳を見せられる。書き手は、ごくふつうの腰弁(サラリーマン)の夫に嫁いで二年目になる、二十歳の若妻。日記には、子供ができないことで、しゅうとめにいやみをいわれ続け、自分をかばってくれない夫に対する不信感がつのっていく若妻の気持ちが、きれいな文章でつづられていた。日記は大正元年十一月四日で唐突に終わっており、その日はちょうど、若妻のお百度の満願にあたっていた。彼女がお百度を踏んだのは、現在の自由が丘にあたる場所の小さなお宮で、野沢氏自身も三十年ほど前に、飲んだ帰りにくだんのお宮に立ち寄ったことがあった。

 野沢氏の回想を手がかりに、古い日記にまつわる謎が解けてゆく、ビブリオミステリ――と思いきや、物語はビブリオSFファンタジーとして着地する。そう、まさしく、「事実なら、ふしぎだけど、ロマンチックな話ね」と、玲子が漏らすように。

「総長の伝記」では、玲子に電話で呼ばれた馬場が野沢書店へやってくると、懸賞小説の題材になりそうな、奇妙な本が待ち受けている。東西大学の図書館廃棄本で、見たところは同大学を創設した初代総長の伝記だが、巧みな改装が施され、中身がポルノと入れ替えられていた。くだんの改装本をもらい受けた馬場は、いったいだれが、なんのために、そんな細工をしたのかを、つきとめようとする。

 こちらはオーソドックスなビブリオミステリで、馬場と玲子がコンビを組んで謎を解こうとするあたり、おしどり探偵物の趣きもある。

「挟まれた写真」で描かれる不可思議な現象を引き起こすのは、馬場が古書展で入手した上巻のみの明治時代末期の世界旅行記に挟まっていた、一枚の古写真。セピア色の名刺大のもので、なぜか左半分が切り取られている。残った部分に写っているのは、帽子をかぶった、ひげの男性で、だれかといっしょにったものと思われた。その日の晩、馬場は悪夢に見舞われ、汗びっしょりの状態で目を覚ます。おかしなことはなおも続き、馬場が野沢氏の紹介で、下巻を中目黒なかめぐろの古本屋に買いに行くと、それには左半分だけの写真が挟まっていた。そのうえ、そちらの店主も、似たような悪夢を見ていたことが判明する。

 生理的な恐怖を催させるビブリオ怪談で、いちおうの説明はつくものの、なおも疑問は残る。そのため、自宅に戻った馬場は、あることを確かめようと、一本の電話をかけるのだが、受話器から聞こえてきたのは、予想外のものだった……。

「サングラスの男」では、馬場が資料探しに訪れた古書展会場に玲子も来ていて、その玲子に野沢書店の客が声をかけてくる。黒いサングラスをかけた、斎藤なる中年男性で、超能力関係の研究をしていて、明治時代の関係書や洋書を集めているらしい。かなりの変人と見え、真っ黒なサングラスを、雨の日にもはずさずにいるという。そのサングラスのぬしが自宅にある蔵書の一部を処分することになり、野沢氏の買い取りに馬場も同行する。作業の終了したあと、超能力をめぐる雑談のなかで、斎藤は透視能力のある人間がまちがいなく日本にひとりはいると断言し、その裏づけとなるものを披露におよぶ。

 著者ならではの古典SFに関する蘊蓄も楽しい、超能力テーマのビブリオSFであり、ちょっとした驚きも用意されている。

「おふくろの味」での馬場は、前に仕事で知り合った神崎から、協力を依頼される。神崎には芳江という恋人がいるが、相手の母親が結婚を認めてくれず、そのための条件として、神崎家伝来の、おふくろの味のする料理を作ってみせてくれと、執拗しつように要求しているのだという。幼少時に母親を亡くしている神崎は、おふくろの味なるものを知らなかったが、三度にわたって、自身の手料理を披露した。ところが、その料理のいずれにも合格点は出されず、今度は料理本を参考にして家庭料理を作ってみたものの、やはり不合格。思いあまって馬場に助けを求めてきた、というわけだった。野沢氏の助言もあって神崎は、料理の神髄が書き尽くされている、村井弦斎むらいげんさいの『食道楽』に記載された料理に、挑戦することになった。

 以上のような筋書きからは、ビブリオ恋愛小説やビブリオ人情たんといったたぐいの作品が予想されるだろう。実をいえば筆者自身も、馬場や野沢家の手助けを受けた若いふたりが、試練を乗り越えて結ばれる結末を思い描きながら、読み進めていった。ところが、物語は終盤にいたって、大きく様相を変え、ビブリオ◯◯◯◯(ネタばらしになるので、一部を伏せ字にしておく)として着地する。その衝撃度たるや、すさまじい。村井弦斎に五十作ほどのSF作品があるというのも、驚きの情報だ。

 村井弦斎の著書がふたたび登場する「老登山家の蔵書」での馬場は、野沢氏の買い取りにふたたび同行する。向かった先は、山岳書の収集家の邸宅で、品のいい白髪の老人が出迎える。家のなかは寒いほどに冷えていて、四月なのにもかかわらず、エアコンの冷房を利かせている可能性もあった。

 不気味な雰囲気の漂う、異色のビブリオ怪談で、含みを持たせた結末も出色。

「消えた『霧隠才蔵』」では、馬場自身が被害者となる。デパートで開催されている大古書祭りの目録に記載されていた『霧隠才蔵』なる児童書を注文したところ、当選したはずのその品が、何者かに持ち去られてしまったのだ。デパートに当選品を受け取りに行った馬場は、女性店員から、馬場と名乗る若い男性が持っていったという衝撃の事実を告げられる。だれかが名前をかたったものと思われるが、当選者がだれであるのかは、出品店や催事関係者しか知らないはずで、犯人がどうしてそれを知り得たのか、謎だった。

 古書業界の闇が描かれたビブリオミステリで、馬場や野沢氏が犯人に向ける怒りは、著者自身の怒りを代弁しているかのようだ。

「ふたつの不運」での馬場は、編集者をしている大学時代の同級生から、アニメ雑誌の穴埋め原稿を頼まれ、商業誌デビューを飾れると、喜び勇んで書きあげたものの、それが編集長からの駄目出しで、没になってしまう。馬場の不運はなおも続くが、それまでのものとは違い、明確なジャンル分けのむずかしい話で、謎らしきものはあるものの、解明されることなく終わる。

 玲子が早稲田の古本屋で見つけてきた『ユートピア』なる本をめぐって、野沢氏が推論を展開させるのが、シリーズ最終話の「大逆転!!」。問題の品は、お堅い表題から受けるイメージとはかけ離れた春本しゅんぽんで、昭和三十年代前半に印刷されたものと思われた。本だけを手がかりに、その由来をつきとめようとする野沢氏の姿は、安楽椅子探偵さながらで、心優しい玲子の内助の功も、心地いい。シリーズの締めくくりにもふさわしいビブリオミステリで、馬場の人生にも重要な転機が訪れる。

《ジャーロ No.85 2022 NOVEMBER 掲載》



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