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【小説】折原一|自由研究には向かない小説

ジャーロ7月号より、折原一さんの連作短編
『グッドナイト 子守唄はもう聞こえない』第6回をご紹介します。
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一ノ瀬いちのせすばる、小学六年生。
正体不明の作家・梅野うめの優作ゆうさくの新刊が、ぼくの自由研究だ。

イラストレーション サイトウユウスケ



モノローグ「梅野は語る」①


 私はもう充分書いてきた。これ以上、何の名声を必要とするだろう。よって、筆を断つことにする。小説はこれで終わりにしたい。つまり、これは断筆宣言である。

「先生。声が低くて聞こえませんよ」

 遠くのほうで声がするが、よく聞こえない。たぶん私の幻聴だろう。もう思い残すことはない。ああ、これまで、私はいくつの小説を書いたであろう。覚えていないし、作品数をかぞえたこともない。あなたがそれをもし知りたければ、私の小説の熱心な研究者が教えてくれるだろう。作家というものは、己の書いたものに無頓着なのである。書いている時は一心不乱ではあるが、生みだした後はその小説のことをすっかり忘れ、頭は次の小説に移行する。私がそうなのだから、他の作家の多くもそういうことだと思っている。

「もしもし、先生、先生、聞こえますか? 小説を語りたいということはわかるんですけど、こっちには全然聞こえないんですよ。どうします?」

 タイトルは『グッドナイト』。サブタイトルは「子守唄はもう聞こえない」とでもしておこうか。連作短編を想定している。一つ一つの短編は完結していて、それが全部まとまった時、長編になるというスタイルだ。第一話は「永遠におやすみ」。母と子のほほえましい物語だと思っている。

「先生、大丈夫ですか? ダイイングメッセージだなんて言わないでください。お願いした仕事はやっていただかないと困ります。これ、早くしないと。広告を出したら、やる気になるかもしれないので、進めちゃいますからね」

「近刊予告」
お待たせしました。
梅野うめの優作ゆうさく、ひさびさの長編。アパートの住人の物語が一つにまとまった時、あなたを最大級の衝撃が襲う。驚愕きょうがくの傑作。
『グッドナイト』、今秋刊行予定。乞うご期待!
(作品の一部をネットでのぞくことができます)

第一話「永遠におやすみ」
「こんな子、産まなければよかった」
 柿崎かきざき恵美えみは、明け方、ようやく眠りについた息子の壮太郎そうたろうの寝顔を見て大きな溜息をついた。これまで何度そう思っただろうか。自分のお腹を痛めた子なので、産まれたばかりの時はかわいいと思った。しかし、今は憎たらしい。この世から消えてほしいと願っている」
 ………………


1――(一ノ瀬いちのせ末子すえこ


 テーブルの上に一冊の本が置いてある。タイトルは『グッドナイト』、サブタイトルは「子守唄はもう聞こえない」。作者名は、梅野優作。

「これ、梅野優作の新作?」

 一ノ瀬すばるは、興味津々の面持ちで真新しい本を取り上げる。

「そう。ママが担当してるの」

 一ノ瀬末子は、子に対して誇らしげな顔をする。

「へえ、すごいなあ」

 すばるは本をぱらぱらとめくり、母親を尊敬ので見る。「いつ出来上がる予定?」

「秋頃かな。ほしければ、それ、あんたにあげる」

「いいの?」

「自由に使っていいよ。夏休みの自由研究とかに使えるんじゃないの」

「ぼく、学校に行ってないじゃないか。読書感想文とか、大嫌いだよ」

「それに自由に書きこむのよ。あんたならできる」

 一ノ瀬すばるは不登校児である。小学五年の時、学校がいやになり、行くのをやめた。学校の授業がおもしろくないからだ。今は小学六年だが、五年の時点ですでに中学校で習う分は自分で勉強して習得していたので、授業中は小説を読んでいた。それが生意気だというので、体の大きな児童からちょっかいを出されることもあったが、彼は別の世界に住んでいたので、気にしなかった。むしろ、協調性がなく扱いにくい児童ということで、教師ににらまれることのほうが多く、すばる自身、居心地が悪く感じるようになった。いつしか学校を休みがちになり、六年になってから駅前のフリースクールに通うようになった。もちろん、読書中心だが、最近は創作のまねごともしている。将来の夢は小説家だ。

 シングルマザーの末子は、そんな息子を見て何も言わなかった。編集者の仕事が忙しいこともあるが、頭脳明晰めいせきな息子を自由にさせていた。

 すばるは幼い頃から、アパートの同じ三階にある立島たてしま心理研究所に通っていた。ここは読み聞かせを通じて子供の情操教育を行なう私設研究所である。末子は読み聞かせの本を買っては息子に読んでやった。息子は彼女の会社の児童書を読んでも寝つかないのに、立島心理研究所の本を読むとなぜか寝てくれた。その縁で、彼女が仕事で出ている時は、息子自身が心理研究所に入り浸るようになったのだ。

 すばるは、学校に行かなくても、立島裕子ゆうこの部屋にある小説から歴史書、数学、自然科学に至るあらゆる本を読破していた。彼は六年になった時点で漢字の検定試験の最上級にも合格し、立島心理研究所にある梅野優作の全著作を当然のことながら読破していた。

 学校に行かなくても、この研究所にいれば、さまざまな知識を得ることができるだけでなく、言い方は悪いが、学童保育所代わりにもなるので、末子にしてみればありがたかった。

「子供はのびのび育てましょう。学校なんか行かなくても大丈夫よ。あなたは自分の仕事をしなさい」

 いつも温和な表情の立島裕子にそう言われるだけで、末子の心は落ち着く。末子は夫のDVに悩んでいた頃、勤務先の会社に立島裕子を紹介してもらった。立島はDV被害の女性の支援活動もしており、末子にアパート三階の303号室を斡旋あっせんしてくれたのだ。同じ階の302号室は今は空室だが、たまにDV被害女性の「駆けこみ寺」、つまり一時避難的な場所として利用されていた。

 息子のすばるは、末子が与えた梅野優作の見本に目を輝かせている。表紙を見て、いとおしそうにで、裏表紙を見て旧友に出会ったかのように頬ずりする。

「それ、あなた自身の自由研究に使えばいいよ。締め切りなんか関係なく、自由に好きなことをすればいい。でもね……」

 末子は憂鬱そうに口ごもる。

「でも、何?」

 すばるは不安になって顔を上げる。

「梅野先生、すごく遅筆なんだ。書くのが遅くて、なかなか原稿をくれないのよ」

「予定通りにできないの?」

「そうなる可能性が高い。わたしの実力が試されている。できなかったら……」

「首?」

「首にはならないだろうけど、責任をとらされて他の部署に飛ばされるだろうね」


この続きは有料版「ジャーロ 7月号(No.83)」でお楽しみください
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『ジャーロ』での連載は今話が最終回です。
読者の皆様、ありがとうございました。
第7話「解決編」を書下ろし収録予定の単行本『グッドナイト(仮)』、
今秋刊行予定。乞うご期待!


▽光文社の好評既刊


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