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黄金時代のミッシングリンク|森 英俊・Book Detective 【ディテクション73】

文=森 英俊

 ミステリの世界で〈ミッシングリンク〉といえば、連続殺人物に対して用いられることが多い。一連の殺人を結ぶ共通項のことを指し、警察や名探偵はそのミッシングリンクを懸命に見つけ出そうとする。ジョン・ロードの『プレード街の殺人』(1928)やクリスティの『ABC殺人事件』(1935)、クイーンの『九尾の猫』(1949)やデアンドリアの『ホッグ連続殺人』(1979)といったあたりが、その代表例。

 評論のなかでは、それとは違った意味合いで用いられることもある。たとえば、『兄の殺人者』(1961)を皮切りに、イギリスの本格派D・M・ディヴァインの1960年代の傑作の数々が紹介された際、黄金時代と現代とをつなぐミッシングリンクとして評価する向きがあった。本格ミステリの空白期と思われていた時期にも、しっかりその伝統を受け継いでいた作家がおり、それがすなわちディヴァインである――というのだ。

 イギリスと並ぶヨーロッパのミステリ大国、フランスに目を向けてみると、黄金時代の本格物自体がミッシングリンクと化してしまっているかのような印象を受ける。黄金時代と呼ばれる1920年代初めから1940年代初めにかけて、フランスで本格ミステリを書いていた作家たちに関する情報が、あまりにとぼしいからだ。1927年に発刊したシャンゼリゼ社の〈マスク叢書〉を中心に、英米のミステリがフランスでも毎月のように刊行されていたことからして、本格ミステリの最盛期という、時代の大きなうねりが、フランスのミステリ・シーンになんら影響を及ぼさなかったとは考えづらいのだが。

 そういった疑問をつねづね抱いていたところ、〈エニグマティカ叢書〉の《French Detective Stories》の第一弾として刊行された、ノエル・ヴァンドリの『獣の遠吠えの謎』の訳者あとがきに、示唆に富む文章があった。以下に、中川なかがわじゅん氏のあとがきの一節を引用しておこう。

「フランスにおける本格探偵小説といえば、まず思い浮かぶのはガストン・ルルーの『黄色い部屋の謎』(1908)だろう。あとはずっと時代が降って現代では、ポール・アルテ(1987年デビュー)という唯一無二の存在がいる。その間の30年代から40年代にかけて、現在では忘れられてしまっているが、ヴァンドリたち何人かの本格探偵小説作家が、束の間の黄金時代を形成していたわけだ。日本では、彼らの作品がほとんど未邦訳・未紹介なため、ポール・アルテが突然変異的に現われた印象があるが、決してそんなことはないのである」

 だとすれば、ルルーとアルテとを繋ぐ、黄金時代のミッシングリンクが間違いなく存在しており、ノエル・ヴァンドリもそれに該当するということになる。そのことを念頭に置き、1933年に日刊紙に連載され、その翌年に単行本化された、アルー予審判事シリーズの第六長編『獣の遠吠えの謎』を見ていくことにしよう――


 休暇を過ごすためにパリを訪れた予審判事のアルー氏は、サンラザールの駅前でひとりの男を目に留める。鉄柵を背にした男は、アルー氏の視線に気づくと、前に進み出て、「三日前から食事をしていないんです、ムッシュー」と、低い声で訴えてくる。昼食をとろうとしていたアルー氏は、「一緒に来なさい」と声をかける。

 小さなレストランの隅のテーブルに着き、アルー氏が身分を明かすと、男は「わたしを逮捕してください!」と、くぐもった声で言うや、ポケットからやにわに新聞紙を取り出す。するとそこには、「サンリュス城の二重殺人。犯人のピエール・エリーは逃走を続けている」という見出しが躍っていた。予審判事の前にいる男こそ、そのピエール・エリーに他ならなかった。

 この冒頭部分はきわめて魅力的で、読み手の好奇心を誘う。エリーがレストランでアルー氏に語って聞かせる、サンリュス城で起きた不可思議な事件の詳細も、それに負けず劣らず魅力的だ。

 エリーと城の所有者のロベール・ド・サンリュス伯爵とは、かつての狩猟仲間で、しばらく疎遠になっていたが、四年前にアフリカから帰国した伯爵が古城にこもっていることを知り、旧交を温める気になったという。侵入者をはばむ高い壁に囲まれた城には、エンジニアのカルロヴィッチとその妻のソニアが滞在しており、エリーも城に泊まることになった。すると、さっそく怪異現象が起きる。夜中に、いるはずのない獣の遠吠えが聞こえてきたのだ。次の日にはカルロヴィッチの姿が見えなくなり、真夜中にふたたび遠吠えが聞こえてくる。当初は城をこっそり抜け出したと思われたものの、ほどなくして検事局に、カルロヴィッチが殺されているという匿名とくめいの手紙が届く。それを受けて捜索が行なわれるが、死体は城のなかからも庭からも発見されない。

 それから四年近くの歳月が流れ、外地から戻ってきたエリーの家をサンリュス伯爵が訪ねてくる。依然として城で暮らしており、最近になってその城に脅迫状が届くようになったという。訪問前日の手紙には「獣が三回吠えた時に、おまえは死ぬことになる」という死の予告がつづられており、伯爵はひどい恐怖に見舞われていた。そんな旧友を見捨てるわけにもいかず、エリーは四年ぶりにサンリュス城を訪れる。すると、廊下の隅で獣の足跡が発見され、真夜中になるや、獣の咆哮ほうこうが聞こえてくる。それは四年前のものとは微妙に異なっており、せせら笑いのようでもあった……。そして脅迫状の予告どおり、三回目の咆哮のあと、死が訪れる。サンリュス伯爵とソニアが、図書室でどちらも額に銃弾を受けて殺されたのだ! 外部からの侵入は不可能なうえ、犯行のあった時刻に城内にいたのは、エリーと伯爵の使用人だけで、なおかつ後者には犯行が不可能だったことから、疑いの目はエリーに向けられることになった、というわけだった。

 逃亡犯として追われる男の話を聞いたあと、アルー氏は、犯行現場におもむくこともなく、安楽椅子探偵として、すべての謎をあざやかに解いてみせる。人間消失(第一の事件)と密室二重殺人(第二の事件)のトリックを看破し、その背後にいる人物を明らかにしてみせるのだ。二つの不可能犯罪の連動、四年前と現在の獣の咆哮とが微妙なくい違いを見せるわけ、登場人物たちの性格に事件を解く鍵が隠されている点など――読みどころの多い本格物で、黄金時代の水準は十二分にクリアしている。

 その驚異的な洞察力と共に美食家として知られるアルー氏が探偵役をつとめる長編は、1931年から36年にかけて立て続けに出版され、一ダースを数える人気シリーズとなった。1896年にリュグランで生まれ、1954年に没した作者自身が、弁護士、判事、予審判事と、法律畑を歩んできたことから、アルー予審判事のシリーズには、それらの経験がかされている。不可能犯罪を扱った作品が多いのも特徴的で、そのあたりも、ルルーとアルテとを繋ぐ、黄金時代のミッシングリンクたるにふさわしい。

 2013年に〈ROM叢書〉で紹介された『逃げ出した死体』(1932)は、同じシリーズの第三作にあたる。

 午前三時にローマ街を巡回中の警官たちが、走っては立ち止まり、左右を見ながらまた走り出すという、おかしな動きをしている男を目に留める。男は警官の姿を認めると、ぎくしゃくした歩き方で近づき、「お巡りさん、逮捕してください、私を! 人を殺したんです!」と、大げさな身振りでがなり立ててくる。男はカドゥアンというセールスマンで、グレシーなる人物を相手の書斎で射殺したのだという。警視庁のマルティニェ警視が捜査を担当することになり、カドゥアンに案内させて断崖のそばに立つグレシー邸に向かうと、書斎からは死体が消えせており、犯行に用いたあと死体の脇に置いたというリヴォルヴァーも、消えてしまっていた。

 マルティニェ警視が執務室でこの事件の報告書の作成をしていると、プレーヌ警察署のベルナール署長から電話が入る。ぜひとも担当してほしい事件があるのだといい、驚くべきことに、それもまた死体が逃げ出したかのような事件であった……。

 死体が相次いで逃げ出したかのような不可思議性、第一の事件で消えた凶器が第二の事件の現場に出現する驚き――といったぐあいに、プロットはかなり独創的。作中で捜査にあたる、ふたりの予審判事のコントラストも面白い。

 やや粗けずりの感はあるが、どちらの長編も黄金時代ならではのダイナミックな謎解きの醍醐味だいごみが味わえる。新たに発刊した《French Detective Stories》で、このヴァンドリのさらなる作品や、黄金時代の知られざる本格派の代表作の刊行を期待したい。

《ジャーロ No.84 2022 SEPTEMBER 掲載》



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