見出し画像

【小説】大倉崇裕|一日署長 ~一九九九(後編)~

ジャーロ7月号より、大倉崇裕さんの連載第3回をご紹介します。
(前編は『ジャーロ5月号(No.82)』に掲載しています)
―――――――
湯山ゆやま署長が起こした警視庁爆破事件。
きっかけとなった過去の不祥事の裏には何が!?

イラストレーション 浦上和久



  三


 現場となった公衆トイレは、ブルーシートで目張りがされ、立入禁止を示すテープが張ってあった。公園自体も封鎖されており、そこここに制服警官が立っている。

 道端のあちこちでは、近所の住民とおぼしき人々が、顔を寄せ合っては小声で何事かを話し合っている。その周りをウロウロしているのは、マスコミの連中に違いない。

「まずいですよ。こんなところに署長が出ていったら、ただではすみませんよ」

 近くにめた車の中で、倉城くらしろが言った。彼がハンドルを握り、いずみは助手席に座っている。

「変装くらい、すべきだったかな」

「そんなのすぐバレますよ」

「しかし、現場を厳重に封鎖したりして、これではかえってマスコミの目を引くじゃないか。これでどうやってとどろき巡査部長の自殺を隠蔽いんぺいできると言うんだ? 本部だって黙ってはいないだろうに」

「その辺のことはよく判りません。すべて佐所さどころ副署長が取り仕切っておられるので」

 また副署長か。佐所の油断ならないニタニタ笑いが脳裏に浮かぶ。

「佐所副署長とは、どういう人物なんだ?」

 倉城は目をぱちくりさせる。

「署長は副署長の経歴について、ご存じないのですか?」

「い、いや、通り一遍のことは知っている。だが、彼のような人物には、決して表に出ない、そう、言わば裏の履歴のようなものがあるのではないかな」

 倉城の目が驚きに見開かれる。

「署長がそこまでご承知だったとは」

「話してくれないか。かばう必要はないだろう」

「いえ、自分も詳しくは知りませんが、現場からのたたき上げで、上層部にもかなり顔が利くと。人事部とも深い繋がりがあり、そのせいか、もう七年間、異動もなく、当署の副署長を務めておられます」

北新宿きたしんじゅく署の署長は、キャリアの腰掛けポストだ。実務は副署長が回すことになる。その事を恩義に感じたキャリアの面々が、副署長の後ろ盾になる。そういうことか」

 倉城はどう表情を繕ったらよいかわからぬ様子で、「はぁ」と頭をかきながら、下を向いてしまう。

 ここまで強気な隠蔽に走ったということは、副署長には何らかの勝算があったとしか思えない。しかし、現実にはすべてが裏目と出て、署長、副署長をはじめ、多くの者が責任を取らされ処分。ほとんどが依願退職に追いこまれる事になる。

 佐所副署長も退職し、その後、行方不明となっていたのではなかったか。

 倉城が一度止めた車のエンジンをかける。

「あまり長く駐まっていると、人目を引きます。いったん、ここを離れます」
わかった。どちらにしろ、公園に入るのは無理だな。昨夜の状況について、君の知るところを話してくれないか。運転しながらでいい」

「はい」

 倉城はハンドルを切ると、そのまま大通りへと車を走らせた。

 通りは渋滞が激しく、快適なドライブとは言えない。そんな中、倉城はこちらの真意を測りかねているようで、口は重いままだった。

 湯山俊彦としひこが普段からどのような署長であったのかは、判らない。それでも、こうして倉城の態度を見ていると、決して、親しみやすく尊敬できるリーダーではなかったと想像できる。

「倉城巡査、君がとまどっているのは判る。しかし、今は非常時だ。このままでは、北新宿署が崩壊してしまう。私は署長として、何とか救いたいのだ。疑問もあるだろうが、今はすべて忘れて、私に知っている事を話してくれないか」

 信号が変わり、車が流れ始める。

 倉城はアクセルを踏みつつ、何事かを決意したように、一人、うなずいていた。

「深夜の午前二時三十四分、公園付近に不審者がいるとの通報を受け、現場に臨場しました。公園周りは街灯も少なく、一時は不良のたまり場になっていたこともあります。最近ではもっぱら、ホームレスの居座りが問題となっていました」

「現場に到着した後、君は轟巡査部長と分かれたのだね?」

「はい。不審者と言っても恐らくホームレスだろうと轟巡査部長に言われ、手分けして公園周りをくまなく当たる事としました。轟巡査部長が公園内を、自分がその周り一帯を担当しました」

「その担当割りは、轟巡査部長が決めたんだね?」

「はい。集合時間を十五分後と決め、分かれました」

「轟巡査部長はその後、公園内のトイレでけん銃を使って、自殺した。銃声は聞かなかった?」

「はい。不審者の気配もないので、少し範囲を広げ、パトロールしていましたので」

「公園内に、君たち以外に人は?」

「もちろん、一人もおりませんでした。いたら、真っ先に声かけをしています」

 信号が赤に変わり、車はゆっくり停止する。約二十年前の世界だが、驚くほど大きな変化はないように見える。道行く人々は、どこか不安げでせわしく、一方で、若者たちの表情はうらやましいほどに明るい。大きな違いは、携帯を手に歩いている人の少なさだろうか。スマートフォンは登場前であり、いわゆるガラケーは、インターネットに接続できるようになったばかり。歩きスマホなどという言葉も存在しない。

「署長?」

 外に気を取られていたいずみは、倉城の声で我に返る。

「外に何か珍しいものでも?」

「い、いや。別に。人々の顔には、まだ希望と明るさがある。何とも切ないねぇ」

「まだ、とはどういうことでしょうか。たしかに、失われた十年などと言われてはおりますが……」

「何でもない、忘れてくれ。質問に戻りたいのだが、遺体発見の経緯を頼む」

「十五分後に集合場所に戻りましたが、巡査部長の姿はなく、数分待って、公園内を捜しました。それで……用足しかもしれないと思い……公衆トイレに向かったところ……」

「遺体を見つけたか」

「いえ、その前に通報を行いました。真ん中の個室の扉下部から大量の血液が流れており、ただ事ではないと思いましたので。ただ、じっと待っている事はできず、通報後、独断でドアを開きました」

「個室の鍵はかかっていなかったのか?」

「はい。鍵は壊れておりました」

「個室は全部でいくつあった?」

「三つです」

「三つとも鍵は壊れていたのか?」

「いえ、私自身が確認したわけではありませんが、壊れていたのは、真ん中の個室だけだと聞いています」

「判った。遺体の状況はどうだった?」

 倉城は唾を飲みこみ、少し間を空けた後、乾いた声で答えた。


この続きは有料版「ジャーロ 7月号(No.83)」でお楽しみください


▽光文社の好評既刊

問題物件 シリーズ


この記事が参加している募集

推薦図書

いただいたサポートは、新しい記事作りのために使用させていただきます!