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どこからが生きている?

昨日夜に旦那と、とある話をしました。
お題は「どこからが生きている?」です。
なぜこの話が始まったのかというと、私の知り合いに臨月で死産をした方がいまして、私も今臨月です。
もし、お腹の子が元気に生まれてくることができなかったらどう?と旦那に投げかけたんです。

すると旦那は、
「別にどうもなにも、誰かが何かをしたわけじゃないし、お腹の子の生命力が弱かっただけなのかなみたいな。ここまでお腹で育ててもうすぐ生まれるって時期に亡くなって子供より君が色々と苦しんだ過程を知っているからそこは君に対しては可哀想だなとは思う」とのことでした。
なぜそう思うのか聞いたんです。普通は悲しいとかショックとかいうのかなと思っていたので。

「自分の考えではその人に感情が芽生えてからが生きていると思っている」とのことでした。
「その子はまだ自分の感情が表に出せていない、自分もその子の感情をくみ取っていない時点でその子が生きているとは思わない。よく動いていてこっちがその子の感情をくみ取ってるようなことを考えるがそれはこっちが思いたいように思っているだけで本心はわからない。だから、もし死産だったとしてもそこまでショックというわけではない。他人の意見はどうかはわからないけど、自分的に生まれて育児をして赤ちゃんの感情に触れてからの死は相当苦しいとは思う。まあでも、君の大きなお腹を見て成長しているのも胎動を感じて生きているんだなとは、実際思ってるよ。」

私は看護師なのでよく人の生死を目の当たりにしています。
学生時代や就職してからもよく「どういうことが生きている事」なのか考える機会はありますが、医療職でない人とあまりこんな話をしたことがなかったので新鮮でした。
また、自分の血を分けている子供を題にして聞いたのでより旦那の事を理解できたのかなとも思いました。

最後に「実際そういう場面になっていないけど多分なっても、この考えは変わらないかも、追加の感情はあるかもしれないけど」と言われました。
私自身もしものことを考えるとすごくショックではありますが、旦那とあまり意見は違わないかなと感じました。
どこからがと言われるとお腹に生命が宿った時点で生きているとは思いますが、一人で外界に出て自分の生命力を使って生きていってこそ生きているというとも思っています。
そのため、旦那の言ったことに納得もできました。

見解は違えど同じような価値観だったことに驚き。
私はこの話をしたとき最後には冷たい人だと思われると思い話をしましたが意外と旦那も変わらない価値観。似た者同士の夫婦ってわけでした。

だからどうこうってわけではないのですが、時々こうやって価値観に対しての話をするのも悪くないなと感じました。


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