見出し画像

ちいさな旅のこと #3 本のこと

街を歩き回りながら、ふと足を止めてしまうのは結局いつも同じ場所で、それは本屋である。軒先に並ぶ古本のワゴン。ふらふらと吸い寄せられてゆく。旅先で本を買うなんて、本来はやってはいけない。旅はいかに荷物を軽く、身軽でいられるかということが重要なのであって、本などという重くてかさばるものを増やしてどうする、とわたしの頭はちゃんと分かっている。でも、気づけば右手は、本を棚から抜き取ってレジへとせっせと運んでいる。リュックサックがどんどん重くなる。ばかみたいで、嬉しい。

細い路地や、雑居ビルの中にひっそりとあるセレクト書店。洗練された店内に、すこし肩が縮こまる。並んだ本の背表紙が輝いて見える。棚の上で行儀良く、選ばれることを待っている。個人制作のZINEや、気になっていた韓国人作家のエッセイを買った。
坂道の途中や、商店街にある古本屋。こういったお店には、腕まくりをして突入したくなる。今にも崩れ落ちそうな本のタワー。段ボール箱の中に寿司づめにされている100円均一の文庫本。これは宝探し。良い本を嗅ぎつける、嗅覚が大事である。
カーテンを一枚隔てた店の奥では、店主さんが本の整理に没頭されている。姿は見えず、「ごそごそ」という音だけが永遠に続く。その「ごそごそ」を聴きながら、こちらも「ごそごそ」と、吟味する。
本に埋もれていて、どこにあるのだか分からないレジで、すみませえん、と声をかけるとはあい、と返ってくる。ようやく、店主さんの姿が見える。お客も店主も、本に迷い込んでしまうような店は、ふしぎと心が落ち着いて、おもしろい。

神戸にはいい本屋さんがたくさんあるな。店から店へ、夜空の星をむすぶように、あちらこちらの書店をめぐる。ふと、棚の前で顔を上げると、店の外が薄暗いことに気づいた。たいへんだ。今日は午後から荒天になるでしょう、天気予報の記憶。内田樹の文庫本を一冊買って、お店を飛び出し、駆け足で商店街のアーケードへ飛び込む。間一髪で、大雨になった。すぐそこにあった喫茶に入って、コーヒーを頼み、一息ついた。本がつまったかばんをのぞき込む。肩が痛い。ばかみたいで、嬉しいな。一冊取り出して、コーヒーを飲みながら読んだ。

今夜も、宿をとっている。早めにチェックインをして、本を読みたい。せっかくの旅先なのだから、そこでしかできないことをすればいいのに。頭の片隅で誰かが言う。ごもっとも、と思う。でも、わたしは本が好きなのである。馴染みのない路線の、新鮮な色の座席に身を沈めながら。ぱりっとしたシーツに寝転がりながら。シュウマイがせいろで蒸されているのを待ちながら。右も左も分からない路地で雷雨に見舞われ、飛び込んだ喫茶店で、熱いコーヒーをすすりながら。見知らぬ土地で、たまたま出会った本たち。その旅のにおいが染みついた、唯一の本になって、わたしのうちの、本棚におさまる。

夕刻、電車にのっているうちに雨はあがって、車窓の向こうがうすオレンジに染まっていた。向かいの座席には大人たちが身を小さくして、うとうとしたり、ぼんやりしたりしている。わたしも、眠くなる。膝にかばんを抱えて、文庫本を閉じたり、開いたりする。過ぎていく聞き慣れない駅名を、幾たびも、たしかめる。

:::::::::::::::::
ちいさな旅のこと
最終回は #4 宿のこと 。
眠っている間も、旅ですので。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?