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日曜日と木曜日の美術館(2)

こちらのエッセイの続きをかきます。

木曜日。平日の美術館は日曜日に比べて随分ひっそりとしている。それもまた良い。展示室に入った時、監視員の方を除いて友人とわたししかその場にはおらず、「貸し切りだね」とひそひそ話をした。その空間にはわたしたちの足音だけが響く。

と思えば、どこかからにぎやかな話し声が聞こえてきて、それは校外学習でやってきた小学生たちだった。低学年らしき少年と少女たちが、ぞろぞろぞろぞろと展示室の入り口付近を通り過ぎていく。子どもたちって、とても小さい。先導しているのは、白衣姿に、丸いめがねをかけ、白いヒゲを生やした博士(の格好をしたおそらく学芸員さん)だった。

「これは何に見える?」「この顔はイイコト言っているように見える?」「こんなふうな椅子があったら座ってみたい?」博士は子どもたちに作品についてひとつひとつ質問を投げかけ、解説をすすめていった。それをわたしと友人は遠くからそっと眺めた。

アンディ・ウォーホルの作品があった。その展示の一角は、マリリン・モンローと電気椅子のグラフィックによってディレクションされていた。
「この椅子なにか分かるかな?悪いことした人が、ここに座らされる。すると、死んでしまう」と博士は言った。「エッ!?」という子どもたちの声というか、呼吸が聞こえた。「電気がびりびりって流れて死んでしまうんだ。みんなは、悪いことした人だから、ここに座らされてもいいって思うかな?思う人?」半分くらいの子どもたちが手を挙げた。それ以外の子どもたちは挙げなかった。

「これはね、人によって色んな答えがあるんだ。悪いことをしたのだから、罰を受けるのは当然だと考える人もいるし、いやいや、たとえそうだとしても命を奪うことは良くない、と考える人もいる。この作品は、様々な考えによって議論がされているということをみんなにも知って、考えて欲しい、という思いでつくられたんだよ」
博士の言葉を子どもたちは静かに聞いていた。

わたしと友人は「こういう授業が必要だと思う」とお互いに顔を見合わせた。きっとわたしたちは同じ事を考えていただろう。年齢的には「大人」になりきってしまったわたしたちにも、博士の質問の答えはちっとも分からない。どちらも正しく、どちらも間違っている気がする。子どもたちは、博士の言葉をこれから先、ときどき思い出すだろうか。美術館を出たところの並木道を、わたしたちは落ち葉を踏みながら歩いた。

木曜日。うららかな午後。コーヒーを一緒に飲んであれこれ話をした。テーブルの上、両手で熱いマグカップを包む友人の手を見て、秋なのだなと思ったりもした。わたしと友人はよく似ている。ある物事についての考え方の方向や、大切にしたいことなんかが。彼女とは博士の質問のような、答えのない疑問について、ずっと話していられそうな気がする。そういう相手がいることは、とても幸福なことだとも思う。

友人はわたしに、お手製のスコーンを持ってきてくれた。ひとつはふんわり、もうひとつはざっくり焼いたとのことだった。とてもうれしかった。とても優しい味がしたのだった。ウォーホルのマリリンと、電気椅子を観た日に、このスコーンが食べられて良かったな、そんなふうに思う。

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