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ちいさな旅のこと #1山のこと

秋が来たらば、どこかへふらりと行かねばならない気がして、少しばかり旅に出ることにした。旅と言っても、そう遠くない場所だった。電車を乗り継いで二時間もあれば目的地に着いて、六甲山の麓で、ケーブルカーのチケットを買う。けれど、先ほどコインロッカーに預けたボストンバッグの中には、寝間着や、歯ブラシや、三日分の靴下や、多めに用意したポケットティッシュなどが詰まっている。これを旅と言わずに、なんと言おうか。

神戸・六甲山上で毎年行われている芸術祭『六甲ミーツ・アート』の鑑賞チケットを、事前に買っておいた。この芸術祭を以前訪れた時は、友人の車にのせてもらい、ぼおっとしているうち気づけば山頂に着いていた。今回は、きちんと下調べ。パンフレットを広げ会場の回り方を考えているうちに、六甲ケーブルの発車の合図がひびいた。
急斜面をのぼる。ぐいんぐいんとのぼってゆく。森の中を分け入るように、視界の両端を木々がざらざらと過ぎていく。すごい、こんなおもしろい乗り物ったら、ないよ!胸の中に潜んでいて、時々顔を出すわんぱく少年が、そんなふうに言った。
アナウンスが流れる。「車両は2種類あり、現在皆様が乗車されているものはレトロタイプ。これからすれ違う下りの車両は、クラシックタイプです。」なんて、ロマンチックなの!わんぱく少年の隣に、お下げ髪の少女も現れる。乗車時間は約10分。駅舎を抜けると、眼下に神戸の街と海が広がっていた。少し霞がかかったぼんやりとした街並みに、陽光が降りそそぎあまりにもまばゆく、目を細めながらため息をついた。この街が好きだな、と思う。

さあて、ここから芸術散歩の始まりである。主要な施設を廻るバスに乗り、博物館や植物園などを巡った。フィールドに散りばめられた作品を探しながらも、秋の草花たちがそこかしこに溢れ、目が、意識が、いそがしい。時々、変わったかたちをした葉っぱや、すすきの穂先を触ったりする。疲れたらベンチでひと休みして、おやつとコーヒーを食べた。次のバス停まで、山道をえっちらおっちら登り、バスを待つ。なかなか来ない。人もまばらで、たまに行き交う人の姿がみえなくなると、きついカーブの連なる山道で、ぽつんとひとりきりになった。まるで、ヒッチハイクに失敗続きの、うらぶれた旅人みたいだなあ。と、ひとりごちた。

その後(無事にバスはやって来た)、山頂にひらけたガーデンテラスで心ゆくまで街を見下ろした。お土産を眺める楽しみもある。六甲山でとれた蜂蜜のドーナツ。牧場のプリン。ひつじのぬいぐるみを手にとって、見つめる。
つづけて『風の教会』や『芸術センター』など、屋内展示の作品を観て回れば、夕刻が近づいていた。下りのバスを待ち、石段に座りながら一息つく。自然と、人間の創造を欲するエネルギーがぶつかり合って、頭の中でうごめいていた。
こんなことがあった。植物園のベンチで池を眺めていたとき、脇を通り過ぎたおばあさんたちが言った。「あの、アートなんちゃらっていうやつ、そぐわないわよねえ。アートなんちゃらだか、知らないけど。」池の真ん中には、鮮やかな色彩のモニュメントがそびえ立っている。
そぐわない。そうかもしれない。わたしはアートが好きだけれど、時々、どんなものごとも自然にはかなわないと思うことがある。よく分からなくなって、匙を投げてしまうことも。だけれど、保たれた秩序の中に突如、異質なものが現れ、ぎょっとするという体験。そういうことって、人生の中で何度となく対峙し、咀嚼していかなければならない事象のように思う。だから、わたしはいくらでも、ぎょっとしたい。そぐわないわよねえ、というおばあさんの言葉は、ある意味、アートの機能が上手くいったようにも、思えるのだった。
何はともあれ、おばあさんたちが、無事におうちまで帰れていたら良いなと思う。秋風は、ずいぶんつめたくなっていた。

たくさん歩きまわったものだから、くたびれていた。山を下りて(下りのケーブルカーも、わんぱく少年の心を忘れずに乗った)、予約していた三ノ宮の駅近くのホテルを目指した。道中、闇夜に浮かぶ明かりに誘われ、中華料理屋さんの戸を開く。餃子が一人前、300円だった。翡翠色のお皿にのって、出てきた。
店内はしずかで、わたしの他には先客がふたり。途中で親子連れがやってきて、「持ち帰りで」と言って餃子を五人前注文されていた。店員さんは厨房に向かって、中国語で注文を叫ぶ。中華鍋をかき混ぜたり、油がはねたりする音が聞こえる。
山の景色は美しかった。そしてわたしは、のこのこと山を下りて、あたたかい店内で、ひとびとに守られながら餃子を食べている。ホテルに着けば、清潔な寝床が用意されていることだろう。ありがたいことである。

登山客がみないなくなった、真っ暗闇の森を思う。明かりの消えない神戸の夜に、人の営みのふしぎさを思う。同時に、ホテルに戻りお化粧を落とすの、めんどうだな、とも。満腹になって、眠たかった。今夜は早めに眠ろう。夜更かししないで。あすの朝、喫茶店のモーニングタイムに間に合うように、起きなければならない。

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ちいさな旅のこと、
第二回は #2「街のこと」です。
ホテル泊の翌日は、街めぐりをします。


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