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ちいさな旅のこと #2街のこと

ホテルで目を覚ますと、カーテンの向こうはもったりと曇っていた。今日は、午後から雨になるらしい。昨日は山へ行ったので、今日は街へ行こうと思っている。身支度を済ませて、ホテルから一番近い喫茶店へ向かった。

その喫茶は、おじいさんがひとりで営む店だった。モーニングメニューをひと通り眺めて、迷うことなく「チーズトーストセット」を頼んだ。おじいさんは「ハイ」と言ってキッチンへひょいと戻り、一斤まるごとの食パンが入っているビニル袋を取り出した。座席から手元は見えないのだけど、その動きを見ていると分かった。バターを塗ってる。
できあがりを待つ間にも、常連さんらしき人たちが二人、三人と来店した。おじいさんは水をくみ、注文を取り、キッチンへ戻るというのを何度も繰り返す。いそがしい、いそがしい。思わずアルバイトのごとくフロアを担いたくなってくるのだったが、おじいさんは軽い身のこなしで手際よくすべてをこなしてゆく。わたしのトーストはすぐにやってきた。ブレンドコーヒーと、ゆで卵と。

今日の予定は「街へ行く」ということだけ。他には何にも決めていない。とりあえず、平日・朝の、商店街を歩いた。わたしの趣味のひとつに、散歩というのがある。この趣味は、飽きることがない。街にはなんでもある。道があるし、お店があるし、人がたくさんいるし。
昨夜たいそう賑わっていた韓国料理屋さんは、シャッターが閉まりひっそりとしている。舞台を降りて、眠っているみたいに。一方、不動産屋のフロアでは事務員さんが掃除機をかけている。着々と準備はすすむ。平日の朝の、淡々とした雰囲気が好きだなと思う。粛々と、それぞれの仕事と生活が、繰り返されていく。
お餅屋さんとおぼしき店先には、プラスチックパックが並び、そこにはお赤飯の上に、大粒の栗がどかどかとのっていた。なんておめでたい食べ物だろう。おめでたいことは特に何もないけれど、買って帰りたい。旅はおもしろいが、こういうときだけは、困りものである。この町の住人ならば、ためらいなく買えるのだけれど。

三宮の花時計前を過ぎ、南に向かうと、神戸市役所のビルがそびえている。友人が、ここの最上階に展望フロアがあるよ、と教えてくれた。首からネームプレートをぶら下げた職員さん達と、大きなリュックを背負ったわたしがすれ違う。エレベーターに乗って、24階まで行く。
扉が開くと、壁に書かれた案内表示が目に飛び込む。大きな矢印の隣に「海」と書いてある。向かい側の壁の矢印には「山」とあった。海と山! なんて味わい深い表示だろう。こんなにも先を追いたくなる矢印は、他にない。
まず「海」の矢印をたどると、海があった。「山」のほうを行けば、山があった。そこに挟まれるように街がある。このビルも、挟まれている。とてもふしぎで、美しい街である。
「ご旅行ですか」と案内係の女性が声をかけて下さった。「これからどちらへ?」と聞かれたので一瞬言葉に詰まる。「あまり何も考えていなくて、気の向くままに……」と答える。「それもいいですねえ」と、女性は微笑んだ。
山の急斜面でチラチラと何かが反射していた。ロープウェイのようだ。そのチラチラは等間隔に、一直線に、山をつつとのぼっていく。

西に向かって町歩きを再開して、お昼は元町の中華街で食べた。昨夜も中華料理屋へ行ったのに、また中華を食べるのだ。食べ比べというやつである。
制服姿の若者たちが、たくさんいる。わたしの旅のお決まりは、修学旅行生にしれっと紛れ込むこと。もう戻れない十代の世界を、少しだけ味わおうとしている。中華街に並ぶ店は観光客向けであるから、どの店も同じような店構えと価格帯で、威勢良く呼び込みをしている。男子中学生が言った。「おっきくて安くておいしいとこがいい」。わたしも、その意見に大賛成だった。
飲茶とラーメンの、ランチセットを食べた。デザートにごま団子も、ついてきた。食べても食べても物足りない、突然駆け出したくなるような、制服姿の男の子みたいな気分で、ぺろりと食べた。

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ちいさな旅のこと
第三回目は「#3 本のこと」
満腹になったので、本屋さん巡りをしました。

前回の第一回目は、こちらです。

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