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本のある島

冬の日、休日に出掛けた夕刻、チラチラと雪が降り始めた。辺りは暗くなりかけているしもう帰ろうかと迷いながらも、地下鉄の出入り口を通り過ぎ、そのまま近くの蔦屋書店に向かった。暗がりの中に、ぼおっと店内のオレンジのあかりが発光している。わたしは、本のある場所に行きたかった。

本屋さんをうろつくことを、「本屋パトロール」と呼んでいる。これは特に、大型の書店を見回りするときに使う表現。決して、むつかしい顔して異常や危険を発見しようとしているわけではなく、わたしにとって本屋という場所が、とても身近で、愛着のある、平穏な場所なのだということ。「見守り」と言いかえてもいい。(ちなみに、小さな個人書店や古書店も大好きな場所なのだけれど、こちらは見守るというより、見守られているという感じ。その空間にすっぽりつつまれ、されるがままになってしまう。)広大なフロア、大きな棚の間、老若男女が訪れる場所。だから、念入りにパトロールをしなくては。

蔦屋書店の店内は暖房が効いていて、たくさんの人が集まることで生まれる熱量が満ちていてあたたかい。入り口付近の、アート本の棚からパトロールをはじめる。写真、建築、旅、人文科学、料理。パトロールは順調に続く。料理家・たかはしよしこさんの『エジプト塩の本』というのが気になって手に取る。「かけるだけで異国にトリップするような魔法の味」とある。ほお、と思っていたところへ、棚の裏側から、学生ふうの男の子と女の子がふたりで現われた。

女の子は、スマホを握りしめながら整然と本が並べられた棚を見上げて、こんなふうに言った。
「こういうのいいよね、なんか映えるっていうか。読まないけど」
わたしは、ちょっとだけ身を固くする。少し間があいて、その言葉を受けた男の子が、こう言った。
「ん?俺は……………。」

その、「てんてんてん」という沈黙の間に、女の子は彼の腕に手を添えて、引っ張るようにしながらゆっくりと、また本棚の裏側へ回り込んでいった。わたしは耳をそばだてた。けれど、もう何も聞こえない。「ん?俺は……………。」のそのあと。俺は、いったいどうなのだ。

近頃、本屋さんは様々な顔を見せるようになった。カフェが併設されていたり、本だけではなく雑貨などのプロダクトが販売されていたりする。モノも情報も時間もそこにはある。おしゃれな空間に身を浸すことで、冬の午後を心地よくすることが出来る。「本を読むのは良いことで、読まないのは悪いことだ。映えとかじゃないだろう。本を読みなさいよ」とは、もう言えない時代だと思う。

例えば。わたしは野球のことが何も分からない。それなりにニュースや新聞は目にしているはずなのだけど、有名な野球選手の名前を全く覚えることが出来ないのだ。ルールも全然知らない。ボールをどこに投げたらよいのか分からない。球団のことや試合のしくみみたいなものも難しい。「日本シリーズ」とか「セ・リーグ」とかいう言葉を聞くと、サッカーの話かと思ってしまうときがある。わたしの中にはおそらく、野球に関するアンテナというものがない。「興味がない」と言ってしまえば身も蓋もないのだけれど、もっと正確に言えば、「野球」という島から一番遠い島で暮らしているという感じに近い。
だからと言って、野球そのものを否定しているわけじゃない。野球ファンの人たちの熱狂に胸があたたまることがあるし、「あのユニフォームはかっこいい」とか「ボールがキン!と鳴りながらとんでいくのはすごい」とか「高校野球の男の子たちの目は、うるうるとしている」というふうに思う時だって、あるのだ。

あの女の子にとっては、並んだ本の背表紙の美しさが重要だった。「本の虫」がはびこる島は、彼女の暮らす島からは遠いだけなのだ。わたしたちは同じ地球の中にいるようでいて、それぞれの小さな小さな島で暮らしている。わたしは本のある島が大好き。でもたまに方向音痴になって、野球の島に流れ着くのも悪くないと思って、わたしは「日本シリーズ」ってなんなのか、調べてみたりしたのだった。

「ん?俺は……………。」という言葉の後、彼が何て言ったかは分からないけれど、インターネットの海で何でも買えてしまう世の中(海は凪いでいて、お気に入りの島ばかりに最短距離でいけてしまう)で、あの日雪のちらつく中を寄り道して、本屋さんに行って、彼と彼女の会話が聞けて、良かったな、と思う。

急ぎ足の社会の中で、わたしはだらだらと本屋パトロールばかり、している。


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