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イン・ザ・ホテル

ビジネスホテルを予約して、15時のチェックインから、翌日11時のチェックアウトまで、ひたすらにその一室で過ごすということをした。

京都駅の、八条口近くのホテルだった。京都の初夏は、ひどく暑かった。チェックインまでの時間つぶしとして、日傘を差しながらぷらぷらと東寺を見に行く。「京ばあむ」の紙袋を提げた修学旅行生とすれ違う。
わたしは京都からそう遠くない町に住んでいるから、京都駅に旅行感覚で訪れることはないのだけれど、今日は違った。わたしはこれからホテルに行くのだから、旅人も同然なのだ。だから先ほども、駅構内のお土産売り場をしげしげと見て回った。定番の「阿闍梨餅」とか「茶の香」とかを、あたかも遠くの町から来たような顔をして覗き込む。こちらにもたくさんの修学旅行生。「おたべだ、おたべを買おう」という、綺麗な関東の言葉が聞こえた。

15時20分くらいにチェックインをし、部屋のエアコンをつけてベッドに転がった。靴下を脱ぎ捨てる。太陽光がさしこむ部屋は明るく白っぽい。テーブルの上にパックのドリップコーヒーがあった。つめたいものが飲みたかったから、フロントの近くに「ご自由に」とあった製氷機から氷をもらってきて、それで適当にアイスコーヒーをつくった。適当なので、案の定こげ茶色の、うすくてまずいコーヒーが出来上がった。グラスになみなみ注いだそれを飲みながら、観たかった映画を再生し、配給会社のロゴが画面にじわっと現れたとき。ああ、これぞ、極楽である、と思った。

旅人のつもりでいても、ホテルの一室でやりたいことといえば、いつも通りの生活と変わらない。映画を観て、本を読んで、疲れたら横になる。力が湧いてきたら、デスクに向かって文章を書く。部屋は静かだった。宿泊客はみな、今頃京都の町を散策しているのであろう。エアコンの音だけが聞こえる。窓の外にはこんなにも夏があふれ、すべてのものものが開放的であるのに、わたしは狭い狭い世界の端っこみたいなところで、ひとりきりで息を潜めている。夕暮れ時、ホテルをぷらりと出る。近くのスーパーマーケットに、ぷらりと入る。

お総菜を適当に買ってきて、温めて食べた。缶チューハイも一緒に買ってきたので、それも飲んだ。そうしたら少し酔っ払って、その時観ていたフランス映画の主人公が、人生に恋愛に奔放で、他人に自身の幸せをゆだねてばかりいるから、ちょっといらいらした。でも、心のどこかでそんな彼女が、羨ましくもあった。自由で、セクシーで。だらしなくベッドの背にもたれて、酔いの回ったどろんとした視界の中、エンドロールが流れていくのを眺めた。

ホテルで眠るとき、うまく眠れないことの方が多い。それは身体になじんだ自宅のふとんではないのだから当たり前なのかも知れず、だからやけに朝早く目覚めてしまうと、むしろ嬉しくもあった。身体中が、旅の途中であることを自覚しているかのようで。
テレビをつけると、行列の出来るパンケーキ屋さんが映っていた。クリームやフルーツが山盛りのそれを見ながら、昨日スーパーで買っておいた「お豆のパン」をかじった。そして、昨日と同じようにアイスコーヒーを作った。二度目でも、それは変わらずまずかった。

そうこうしているうちに、チェックアウトの時刻が近づいた。あっという間のようにも、永遠のようにも思えた。きゅうくつにも思える小さなホテルの一室は、実はどこまでも広がっていくものなのだ。映画や本や、わたしの頭の中で。忘れ物をしないように入念にあたりを見回して、部屋の電気を消した。薄暗い廊下がしんとしている。夏がしずかに過ぎゆく。


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