【詩】ふるさとのうた
前にnoteにあげた詩、「ポラリス」と「ふるさとに帰る」の続きです。三部作になりました。
ふるさとに帰ってきた
本屋に行き、水辺を歩いた
家はがらんどうのように感じる
野菜と果物を買いに出かけた
どこへ行くというあてもなかった
コワーキングスペースに行けば、仕事ができる
食堂に行けば、ごはんが食べられる
公園や山に行けば、散歩ができた
けれど、私は半ばよそ者で
どこに行ってもいぶかしがられるようで
“何者なんだ” と遠回しに
試されるような質問を受けた
どこにでも歩いていき
誰とでもあいさつをした
が、まだなじめなかった
一人でいる方が楽だと思った
カフェに行ってぼうっとした
時々、どこかで定食を食べた
自炊をして、家事にいそしみ
PCにむかって黙って仕事をした
これまでの人生では、いつも旅のことを考えていた
なじめないと感じ
仕事がひと段落つくたびに
「また、旅立てばいい」と思っていた
日常から逃避する旅ではなく
日常を新しいステージに変えてしまうような旅
引っ越しでも、仕事を変えるでも
新しい活動を始めるでも、コミュニティを移るでも──
一人で本を読んだ
考えや感想を話す相手がいない
かといって、SNSに書くと
それはそれで疎まれるような気もした
さあ、また「旅立ち」をくり返すのかと
そう思わないではなかったが
今回はどうしても、ちがうと感じていた
“ふるさとにとどまる” という言葉を胸にとどめていた
“ふるさとは遠きに在りて思うもの” なのか
それとも帰るところか
ふるさとはずっと変わらないのだろうか
誰がふるさとで待っているのか
ある人が「そのまちの飲食店の様子がよくわかると
そのまちがわかると思います」と言っていた
ひとがらも土地がらも
食べる場所に出るのかもしれない
飲み屋、スナック、レストラン、喫茶店、食堂
お客さんや店員さんの会話
オーナーの姿勢
うわさ話、笑い方、服装、その他…
よく歩いた
まちのなかもはずれの方も
お店にもコミュニティにも出入りした
そこで自分を抑える術を必死になって学んだ
この世界は日々、崩れていくように感じるけれど
誰一人あきらめているようには見えなかった
会う人、会う人、通りがかりに見る人も
内から力を出し、支え合っている
僕もふるさとをつくろう
このまちや地域や日本を
下支えしている一人ひとりと同じように
このふるさと、そのものになろう
このまちと地域と日本に
できることをしよう
できることをしている人を応援しよう
敬意をもって
根をもって
地に足をつけて
戦うのではなく、助け合おう
ここには、土地と人と風景と国がある
いっしょにごはんを食べよう
食べるものを分け合おう
いずれ、一人では生きていけない
国もまちもなしで、自分のことを考えてどうする
このまちにはいろんな人がいる
外国から来た人も、学生さんも
まちのことをよく知らない人も
僕も、このまちで生まれてはいない
友だちと会って話した
まちのひとと仕事をした
すれちがう人にあいさつをした
子どもたちと笑い合った
私は吟遊詩人K.
旅をして、詩をうたう
ふるさとはここにある
仲間といっしょにつくっていく
どこへ旅をしようと
心はいつもふるさとにあり
私はここにいる
いつまでも
ふるさとの喫茶店で
珈琲を飲みながら
この詩を書いている
ここは四十年続いているお店
いつか自分でもお店を開きたい
「きっさ 家」なんてどうかな
飲んだり食べたりするところ
誰かが帰ってくるところ
* 生まれた場所や育った土地をはなれて、また戻ってくる。そういう旅のあとで、まちや地域や日本を本当に自分のふるさとだと感じられるようになりました。
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