【紀行文】岩手への旅
東北に住む友人から葉書をもらった。「3月に東日本大震災をテーマに詩の展示と朗読をします」というお知らせ。日程を合わせて行こうと思った。
しかし、直前になって「仕事のスケジュールがきついな…」と考え始める。揺らいだ。けれど、出発予定の前夜にふしぎな夢をみた。その友人が岩手の居酒屋で僕を歓迎してくれる夢だった。深夜に目が覚めて「行こう」と決意した。朝、身支度をして新幹線と宿をとった。
余寒あり北上川の友の声
小雪の舞う盛岡駅に着く。三月にしては異例の寒さだと現地の人が言っていた。北上川を渡る時、晴れ間が見えて風花になった。
風花や開運橋を渡る時
開運橋は、1890年に県知事が私費を投じてかけた、当時は木製の橋だったらしい。今は大きな鉄橋だ。橋の上からは、岩手山が望める。
霞たなびく岩手山を霊峰だと感じた。
個展の会場に着き、友人に挨拶して、握手をした。詩も、添えられたイラストもすごくよかった。友人が詩の仲間と、自作の脚本による声の劇を朗読する時間もあった。
「減災に努めてください。家族や身近な人と話し合うことは大切です。災害が起こると、電波がつながらず、連絡が取れないこともあります。どこで会う、自分はどうすると、日頃からコミュニケーションをとっておくことが大切です」
防災・減災というと、非常食や水の備えなどモノの用意に考えが行きがちだったと反省した。日頃から、非常時や想像するのも苦しいことについて、話ができることが大切だと学ぶ。
ビジネスホテルに戻ってから、夕食をとるため、また外に出ると空が群青色だった。南には花巻市があり、宮澤賢治の記念館がある。ここ盛岡も彼のいう「イーハトーブ」に含まれるか、近いのだと今度の旅で知った。
盛岡の銀河の色の夜の中
彼方此方の平和を願う
能登の被害も、熊本の震災も思い起こされる。
せめて言葉が、あちらの人とこちらの人をへだてないで、つなぐように紡げないか。それが自分の仕事ではないかと考える。
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