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【エッセイと俳句】季白、最後のうた

「季白」(きはく)というのは、私の俳号(はいごう)です。
俳句を詠む時にだけ使う名前で、10年ほど使ってきました。

もともと私は「ゆく春」という俳句結社に所属していました。10年くらいいたでしょうか。「句会」(くかい)という集まりがあったり、「吟行」(ぎんこう)という自然のある場所で句を作るイベントがあったりしました。結社誌には毎月「投句」(とうく)をするのですが、そのほかに2年くらいエッセイコーナーを持たせていただき、連載していたこともあります。それは私が北海道に住んでいた時で、「札幌便り」という名前のコーナーでした。そういえば、旭川で80歳、90歳を超えるおばあちゃんたちと何度か句会をしたのもよい思い出です。

その俳句結社にお誘いいただいたのは、実はTwitter(今のX)がきっかけでした。私が旅をしながら俳句をツイート(ポスト)していたら、「ゆく春」の中堅会員の方にお声がけいただいたのです。「会ってみませんか、よかったら結社にはいりませんか」と。その方とは友情が長く続き、冬の札幌に遊びに来てくれたこともありました。

さて、「ゆく春」は事情があって長い歴史に幕を下ろしました。それから私はどこにも属さず、吟遊詩人K.として俳句を一人で詠み続けています。「ゆく春」に私を誘ってくださった方はリタイア後に旅に出て、芭蕉のようにあちこちの土地で、その土地にゆかりのある句を詠まれました。

話を俳号に戻しますと、「季白」(きはく)の名前を使い始めたのは、今から10年ほど前からです。北海道の風土に深い思い入れを抱いた私は、「白い季節」の意味で「季白」という俳号を自分で定めました。唐の大詩人「李白」(りはく。この人は俳句を詠む人ではありません。中国の唐で、日本で言う「漢詩」を詠む人です)にもあやかりました。李白の詩が大好きだったのです。それに「気魄」(きはく)を込めたいだとか…

色々な思いを抱いて「季白」とし、以来、細々と俳句を詠んできましたが、そろそろこの名前も終わりにしようと思います。

北海道には漂泊ひょうはくの思いでたどり着き、寒さや孤独に打ち震えながら、周りの人の支えがあって、やっと人生の若い時期を生き延びることができました。私の心の故郷とはいえ、いつまでも北国にしがみつくような気持ちでいるのはおかしいとも感じます。また大詩人「李白」も結構ですが、そう気負うものではないか、という気も今はします。

この記事で「季白」最後の詩を詠んで、俳号を締めくくりたいと思います。

12月29日〜31日の俳句です。

幸せに向かって歩く冬の柿
みちのへのかりや暮らしや年の暮れ
人の世によき歌のあれ大晦日おおみそか

季白

「冬の柿」は柿の木にわずかに残った実を見て。「みちのへ」は「道の辺」(道のそば)、「かりや」は「仮家」または「借り家」。三句目は切なる願いです。

長い間、おつきあいいただきありがとうございました。

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