ピアノの先生との思い出
木曜日が好きになれない。
木曜日は「ピアノ教室にいく日」だったからである。
幼稚園のときに友達が習っていたから真似してやりたいと自分で言い出して習わせてもらっていたくせに、私はちっともピアノに向いていなかった。
コツコツ練習する、とか、譜面通りに弾く、とかが元来苦手な子どもだったのだ。
しかしピアノという楽器は好きだったので、アニメの曲を適当に弾いたり、課題の曲を好きに変えたりして弾いて(そのくせのだめカンタービレのような天才というわけでは全くなく)、よく親に叱られた。
私のピアノの先生は上品な初老のご婦人といった佇まいで、いくつかの教室で子どもたちにピアノを教えていた。
ショートカットがよく似合う先生。いつもほんのりお化粧の匂いがした。
夏には先生が教える教室の子どもたちを集めて、小さな発表会を兼ねた高原での合宿(というよりレクリエーション)に連れて行ってくれたり、冬にはささやかなプレゼントを交換するクリスマス会を開いたり、いま思えば子どもたちが楽しみながらピアノに親しめるよう、たくさん頑張ってくれていたのである。
そんな先生の思いやりをよそに、私はずっと不出来な生徒で、発表会ではミスばかり、課題の曲も水曜にやっと手をつけて木曜日には引けるわけもなく、テキストの進み具合もあとから入った子に追い抜かれるという体たらくであった。
私自身も情けなかったし、母も「お恥ずかしい」と先生に謝った。
けれどそのとき先生は「お母さん、テキストの進み具合をほかのお友達とくらべるのはいけません。それに、つっきーちゃんのピアノにはいいところがたくさんありますよ」
と、私をかばって、ほんのわずかな私の長所を褒めてさえくれた。
レッスンの日までに課題の曲をまともにさらってこない子どもなんだからちょっとくらい叱ってもいいのに、先生はそうはしなかった。そういう先生だった。
一度、ピアノ教室に早くついてしまったことがあった。
誰かの歌声がきこえるので、扉を少しあけてのぞいてみると、先生が歌っていた。
知らない曲だったけれどきれいな声だった。
先生の専門は本当は声楽で、ピアノ講師はお仕事としてやっている、ということはなんとなく知っていたけれど、その「意味」を私が理解するのはもっと後のことだ。
本当にやりたいことだけで食べていくのは難しいこと、それでも自分にできることで生きていくこと、本当にやりたいことと少し違う仕事でも、できるだけ誠意を尽くすということ。その難しさ。
先生はあのとき、誰もいないピアノ教室で、どんな気持ちで歌っていたのだろう。
いまの私なら少しはわかる気がする。
「先生が亡くなった」と聞いたのは、私がピアノ教室を辞めてから何年も経ってからだった。
私はもう地元を離れていたから、お別れには行けなかった。
けれど最近再び地元に帰って暮らすようになったいま、とつぜん先生が夢に出てきた。
私と先生はあの教室で一緒にピアノを弾いていて、いつものお化粧の匂いがした。
夢の中だからすごく上手く弾けたので、
「先生、私またピアノやれるかな」と言うと
「ちゃんと練習しない子はダメよ」と笑われた。
そうだね、と苦笑いして夢は終わった。
いまでも木曜日は好きになれないが、木曜日はたまに先生を思い出すことにしようかなと思っている。
あのお化粧の匂いや、筋ばった手や、ショートカットや、きれいな歌声を。
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