突然の"家庭内別居"体験

体調を崩したときのこと。

なんか風邪かな〜という予兆から本格稼働までが速かった。押し寄せる喉の痛みと寒気。
どこからもらってきたのかと直近の行動履歴をさらいつつ、まだ頭が働いているうちにAmazonで吸うタイプのゼリーを箱で注文した。しばらくこいつが主食となる。

夫には薬やのど飴などを買ってきてもらったあと、うつさないよう生活エリアを分けて過ごすことにした。私が寝込んでいる寝室から夫がよっせよっせと布団を運び出し、別室に敷く。

いつも家の中ではだいたい同じ部屋で過ごしているので、唐突に経験することになった「家庭内別居」に私はうろたえてしまった。

YouTubeで面白い動画を見つけても、「ねえこれ見てよ」と声をかけられない。LINEで送るほど大した動画じゃないんだけど、ちょっと見せたかっただけ。

食事も私はゼリーやらヨーグルトやらしか食べられず、夫は自分で済ませてもらうので、いつもの「今日ごはん何食べる?」というやりとりが無い。同じ家にいるのに、相手が何を食べたい気分で、どれくらいお腹が空いているのか分からないというのは、思った以上に寂しい。ふだんの食事に伴うやりとりから、夫についての様々なことを感じ取っていたのだと気付く。肉が食べたい日には肉が食べたい日の、野菜が食べたい日には野菜が食べたい日の顔をしている夫の表情を思い返す。

寝る前はいつも布団でくだらない雑談をしてから寝るのが習慣になっていたのに、それもできないのでPodcastを流して寝た。とりとめのない話に返事をしてくれる相手がいないことの寂しさがしみて、半分空いた寝室がいっそうガランと広がって見えた。

夫は部屋越しに「おーい」とか、変な歌を歌ったりなどして声をかけてくれていたけど、近くで顔が見えないとやはり味気ない。変な歌に合わせて一緒に変な踊りを踊りたいのに。


強制的に生活を分断されてはじめて、自分の生活が夫との小さなやりとりによって彩られていたことを知った。

話しかけたら応えが返ってくること、何かをしてあげられること、してもらえること。それらのやりとりのなかにほんの少しずつ自分の存在理由を見出していたこと。

お互い一人でも生きていけるだろうけど、二人でいたほうが楽しいと思える有り難さ。少なくとも私はそうである。夫もそうだといいんだけど、最近ちょっと頼りきりになっていて良くなかったな。こないだ食洗機にお皿入れるときちゃんと伏せないと水が溜まっちゃうから気をつけてよ!って、もうちょっと優しく言えばよかった。元気になったら何か美味しいもの作ってあげよう。排水溝の掃除してもらったとき、ちゃんと毎回ありがとうって言おう。

そんなことを布団のなかで考えて、治るまでの数日をやり過ごした。

夫婦関係が慣れとともになあなあになっていくことはある程度予定された未来なのだろうけど、たまに予期せぬ家庭内別居が発生すると不在が身にしみて原点に立ち返ることができる。
本当は普段から相手に感謝と思いやりを忘れないようにしたいのだけど、私のような怠惰な人間にはたまに寝込むのは良い薬なのかもしれない。

とはいえ夫に感謝するために夫に迷惑をかけてまで毎回寝込むわけにもいかないので、2023年は健康と夫への感謝を両立させていきたいものである。



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