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スタバで目にした意外な光景

先日、珍しくスタバに行きました。

普段は、滅多に行きません。コーヒーショップに行くこと自体が多くないのですが、行くとしたら、ローカルビジネスがやっているような小さなお店に行きます。

チェーン店のアンチというわけでは決してないんだけど、コーヒーのお供にするベーカリーを手作りしているようなお店の方が、わたしには魅力的だからです。

というわけで、普段は行かないスタバに入ってみたら、びっくりしたことがありました。

その店舗は、大型書店の中に入っています。日本でいうなれば、蔦屋とコラボしているスタバのような雰囲気です。その書店は置いてあるものがおしゃれで、プレゼントにしたら良さそうなセンスのいい小物や、ビジュアルの美しい写真集なんかを、当てもなくぶらぶら見て回るだけで、目と心の保養になるような空間です。

そんな洗練された書店の中にあるスタバで、ゆったり座って、本を読むか、なにか書くつもりでいました。

ところが、いざ行ってみると、テーブルはすべて埋まっていました。長机に並べられたスツールの席も、1つずつ間を空けながら、ほとんど人が座っています。あそこなら座れるかな、というところが1か所しか見つからない状況でした。

平日の午後3時過ぎ。意外に混んでいるものだなと思いながら、よく見てみると―。

ざっと半分以上の人たちの前には、スタバで注文したらしきものが一つも見当たりません。自ら持ち込んだらしいボトルを置いている人もいるし、なにも置いていない人もいます。もう飲み終わって、容器を捨ててしまったか返却したのかもしれませんが。でも、中には、それここではゼッタイに売ってないでしょ、という類の大きなパックのおやつをポリポリつまんでいる人もいます。

ほお。ここは、スタバというより、市民の憩いの場ですな。

それから、もう一つ。身なりと雰囲気が、明かにその場に溶け込んでいない人が2人いました。こちらも、スタバの飲み物らしきものはテーブルにはありません。2人は別々に座っていましたが、共通していたのは、ぼろぼろの大きなバックパックを携えていたことと、スマホをテーブルに置いて、一心不乱にその小さな画面を見つめていたことです。

ああ、そうか。ここは、ホームレスの居場所にもなっているのか。

結局、長机の一席を陣取って、1時間ほどパソコンで書きものをして帰りました。スタバってこんな感じなんだなあと思いながら、後で調べてみたら、わかったことがありました。

この日、わたしが目にしたことは、スタバが公表している「サードプレイスポリシー」と関係しています。

https://content-prod-live.cert.starbucks.com/binary/v2/asset/137-72999.pdf

いまさら説明は必要ないかもしれませんが、「サードプレイス」とは、「第三の場所」という意味で、スタバの重要なコンセプトの一つになっています。

「サードプレイス」とは、社会学者のレイ・オルデンバーグが提唱した概念で「家庭でも職場でもない第三の場所」を示す言葉。人間にとって、そのような心を休めることのできる第三の場所が重要であることをオルデンバーグは示しました。

https://www.fashionsnap.com/article/2024-03-06/star-bucks/

この「ポリシー」には、スタバの店舗を訪れたすべての人が、商品を購入したかどうかにかかわらず、店内のスペースを利用することを歓迎する旨が記載されています。

つまり、市民の憩いの場であり、ホームレスの居場所であることを、ほかでもないスタバ自身が肯定しているのです。これは、人種差別や偏見をとりはらい、誰にも開かれた空間を追求する姿勢なのでしょう。

もちろん、スタバも地域や場所によって、様相は異なると思います。格差の大きなアメリカです。住民の平均所得の差が、如実に街の隅々に現れます。

スタバが高く掲げた理想はわかります。人種差別にはわたしも明確に反対だし、店舗を訪れたすべての客を大切に扱おうとする姿勢は肯定できます。

ただ、客の一人として考えてみると、例えばわたしが先日行ったこの店舗に、また行くかというと、行かないと思うのです。だって、ここのスタバは、もはや地域の図書館と変わらないから。

わざわざお金を払って、ちょっと特別な飲みものと、ゆったりとした空間を買いにいっているのに、その空間は、特別なものではなくなっているし、ゆったりもしていない。

こういうと、スタバの掲げた理想の社会の実現に、わたしは賛同していないことになるんでしょうか。それとこれとは別だと、わたしは思っているんですが。







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