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あのとき、こう言えば良かったかもしれない
もうかれこれ20年も前のことなのに、いまだに思い出すエピソードがあります。小さなことなんですが、思い出すたびに、あのとき、こう言えば良かったかもしれない、と頭の中でシュミレーションしてしまう―。
わたしは大学在学中に、中国に留学したことがあります。
いまはアメリカに住んでいて、noteでもアメリカのことをよく書いていますが、大学時代から社会人としての10数年にわたり、わたしは中国と関わって生きてきました。だから、昔からの友人たちは、わたしといえば中国というイメージの方が強いと思います。
それはさておき。
中国での留学中、わたしが通っていた大学のすぐ近くに、水餃子のおいしいお店がありました。中国人の相場に照らしても安くて、味も美味しいと評判で、その上ボリュームもある。三拍子そろったその庶民的なレストランは、学生や先生、地元の人たちでにいつも賑わってしました。
ある日の昼時に、わたしは一人でそのお店に入りました。一応説明しておくと、友達がいなかったわけではありません。でも、いまもそうですが、いつも誰かとつるんでいなくても大丈夫なタイプです。
その日も、順番待ちをするほど繁盛していましたが、一人だったのですぐ案内されました。ウエイトレスさんについていくと、先客のいるテーブルの空席を指して、ここに座れと言います。相席です。学生街にあるカジュアルな店なので、相席なんて普通でした。
日本にいたら、こういうとき「相席はいやだな」と思ってしまったかもしれません。でも、中国にいるとそういうことが気にならなくなります。なぜかというと、現地の人々が他人の目を全然気にしていないことがわかるからです。
最近はどうかわかりませんが、当時は、歩きながら大声で歌っている人がいても誰も変な目で見ないし、バスに乗っているときに目の前の人がいきなり鼻くそをほじりだしたりする光景をよく目にしました。
人がいようがいまいが全く関係ないんだ…。
日本での日本人としての生活しか知らなかったわたしには、新鮮な驚きでした。これは新しい生き方だとすら思いました。
そして、そんな人々が暮らす社会にどっぷり浸かっていると、自然と影響を受けて、どんどん他人の目が気にならなくなっていきました。といっても、鼻くそをほじったり、大声で歌ったりはしませんでしたけど、中レベルのボリュームで歌えるくらいにはなったし、レストランでの至近距離での相席も気にならない程度にはなりました。
さて、席に座ったわたしは、すぐにいつもの水餃子を1皿注文しました。本を読んで待っていると、すぐに運ばれてきて、わたしは本を閉じて水餃子に取り掛かりました。
一つずつ箸でとっては、黒酢にちょんちょんとつけて、口へ運びます。作りたての熱々です。皮の内側には肉汁が溜まっています。舌を火傷しないようにはふはふしながら、やっぱりここの水餃子はうまい、と思いました。
そうしているうちに、相席の人たちが去り、別のグループがその席に座りました。その人たちは日本人でした。
外国で同じ日本人同士で相席になったわけですから、なにか言えば良かったのかもしれません。でも、全然知らない人たちだし、日本人に出会うことが珍しいわけでもなかったので、わたしは特に声もかけず、そのまま黙々と食べ続けました。
すると、なにかの会話の流れで、グループの一人が、こんなことを言い出しました。
「俺、この子みたいな中国人だったらつきあえるわ」
……視線を感じます。
ごめん、ちょっと待って。わたしのことを中国人だと思ってしゃべってる?
わたしは、自分が日本人らしさを失いつつあるらしいことにちょっと動揺しました。
でも、この人たちがこのあとどんな会話を勝手にするのか、興味が湧いたので、耳をそばだてて聞くことにしました。気を抜くとこみ上げてきそうな笑いを注意深く鎮めながら、「日本語なんて全然わかりませんけど」みたいな顔をして、水餃子に集中しました。
「ちょっと日本人っぽいし、食べ方もきれいじゃん」
いや、ごめん。日本人やけど。ていうか、日本人かもって思わなかったわけ?それに、さっきからなんやねん、その上から目線な言い方は。
そこへ、グループのもう一人が、口を挟みます。
「へえ、こういう子がタイプなんだ」
なんだか、わたしはその先が読めるような気がしました。
「俺はないかなー」
うっせーよ。誰もアンタに告白してないわ。
心の中で、裏のツッコミを繰り返していたら、笑いがいまにも喉から上がってきそうになり、わたしはガタっと立ち上がって席を立ちました。水餃子はいくつかまだ残っていたかもしれません。入口付近のレジで会計を済ませ、レストランを出ました。
歩いて次の授業の教室へ向かう道中、さっきの彼らの会話が頭の中でぐるぐると回っていました。向こうの勝手な勘違いとはいえ、会話を聞いて陰で笑っていたことはちょっと悪かったかもしれない。でも、やっぱり最後に一言いうべきだったんじゃないか。
ガタっと立ち上がって、
「わたしもないわ」
と日本語で言って、みんなで笑えば良かったんじゃないかと思うんですよね。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
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