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読書感想文:『蛇にピアス』

いま、私は休暇でフロリダのビーチに来ている。

いつも、旅には本を一冊かばんに詰め込んでくるのだが、今回持ってきたのは、『蛇にピアス』(金原ひとみ著)。

2004年の芥川賞受賞作品で、読んだことのある人も多いのではないだろうか。当時20歳の若い女性作家による受賞ということで、大きな話題になった作品だが、これまで読む機会がなかった。

率直な感想

若者の話、程度の前知識しかなく、どんなストーリーなのか全く知らずにこの本を選んで持ってきた。

読了後の率直な感想は、この旅に持ってくるべき本ではなかったということ。太陽も海も人も眩しくて生命力に溢れているこのフロリダでは、この小説の醸し出す世界が全く異質なものに見えた

作家の村上龍氏は、巻末の「解説」の中で、読了後に「作品の毒に当たったような気がした」と表現していたが、私もそれに似た感想を持った。

毒が強い。登場人物の苦しさや生きづらさが心にじっとり滲みてきて、読んでいる側をも息苦しくさせるのだが、彼女たちの感じている苦しさを理解して共感するのが難しい

理解して共感できれば、伝わってくる苦しさはある程度消化することができたかもしれないが、行き場をなくした「毒」は、ただ私の心にインクの滲みのような跡を残した。

この小説を理解したい

それでも、この本を読んだ感想を何かしら書き残したくて、私なりに理解しようと努めてみた。

主人公のルイは19歳の女性。アマという、スプリットタン(先が割れた舌)を持つパンク風の彼氏と同棲している。アマはルイを彼女と人に紹介するが、ルイの気持ちとしては、アマと付き合っているのか付き合っていないのかはっきりしないし、はっきりさせようともしない。

二人の間には、確かなものが何もない。お互いの本名はおろか、どんな生い立ちがあるのか、どこで働いているのかも知らないし、聞こうともしない。

この作品を読みながら、私が疑問に感じたポイントは2つある。
1 ルイが「アンダーグラウンド」に身を置きたがるのはなぜか。
2 ルイがスプリットタンやそのためのピアス、刺青をするのはなぜか。

この2点について考えながら、この小説を私なりに理解してみたい。

1 アンダーグラウンドにあるもの

駅から家までの道、家族連れが多い商店外で、うるさい人々の声に吐き気を覚えた。ゆっくり歩く私の足に、子供がぶつかった。私の顔を見て、素知らぬ顔をするその子の母親。私を見上げて泣き出しそうな顔をする子供。舌打ちをして先を急いだ。こんな世界にいたくないと、強く思った。とことん、暗い世界で身を燃やしたい、とも思った。
アマがアマデウスで、シバさんが神の子なら、私はただの一般人で構わない。ただ、とにかく陽の光の届かない、アンダーグラウンドの住人でいたい。

ルイは、「暗い世界」或いは「アンダーグラウンド」に身を置きたいという強い思いを持っている。それはどういう場所で、何を意味するのか。

小説を読み進めると、ルイは、人の気持ちに絶対的なものがないこと、何もかもが時間とともに変わっていくことに対して、諦めや絶望感を抱いていることがわかる。

例えば、「所有する」ことについて、次のように言っている。

所有、というのはいい言葉だ。欲の多い私はすぐに物を所有したがる。でも所有というのは悲しい。手に入れるという事は、自分の物である事が当たり前になるという事。(中略)結婚なんてのも、一人の人間を所有するという事になるのだろうか。事実、結婚をしなくても長い事付き合っていると男は横暴になる。釣った魚には餌はやらない、って事だろうか。でも餌がなくなったら魚は死ぬか逃げるかの二択しかない。所有ってのは、案外厄介なものだ。でもやっぱり人は人間も物も所有したがる。

ルイは、目の前の人にも物にも執着せずに、流れに任せて漂うように生きている。その背景にある思想が垣間見える。

このようにはかない世界で積極的に生きる意味を見出せないルイが、唯一生きている実感が得られる場所が、「暗い世界」や「アンダーグラウンド」ということではないか。普通の世界からの逃避先でもあるし、信ずるに値する何かがある場所。

のちに、ルイが刺青を依頼した彫り師であるシバさんから、思いがけないプロポーズをされたときに、ルイの心のうちが語られる。

私は結婚という可能性を考えてみた。現実味がない。今自分が考えている事も、見ている情景も、人差し指と中指で挟んでいるタバコも、全く現実味がない。(中略)私が生きている事を実感出来るのは、痛みを感じている時だけだ。

「痛み」とは、身体的な痛みと考えれば、ピアスやスプリットタン、刺青、それからルイがシバさんと重ねるアブノーマルなセックスも入るかもしれない。もちろん、精神的な痛みもあると思う。

とにかく、自分を痛めつける、誰かに痛めつけられるときにだけ感じられる「生」の感覚。心にしろ、身体にしろ、傷つくことはある意味で「死」に近づくことでもある。「死」に近づくことでしか「生」を感じられないという、ある種の逆説的な方法で生きるルイ。「生」と「死」が相反するものではなくて、表裏一体の関係であることも示唆しているかもしれない。

そう考えると、「アンダーグラウンド」は「死」に近い場所でありながら、「生」を感じさせる場所ということか。いや、場所というよりも、「生き方」に近いのかもしれない。

2 スプリットタンや刺青の持つ意味

ルイは、アマのスプリットタンに異様なほどに惹かれ、自らもこの「身体改造」をすることを決意する。

また、スプリットタンと並行して、背中には龍と麒麟の刺青を入れることに強い意欲を燃やす。

これらスプリットタンや刺青が意味するものは何なのか。

行きがかり上は、スプリットタンも刺青も既に施しているアマが、ルイに「お揃いにしよう」と持ち掛ける。ルイはそれに応えたのか応えてないのかよくわからないが、アマに連れられて、際どいピアスを開けたり、刺青を彫ることを生業にするシバさんの店へ出掛ける。

最初は、それこそ「痛み」に惹かれる感覚だったのかもしれない。しかし、完成に向けた過程で、次第にアマに喜んでもらうことが動機として大きな意味を持ち始める

スプリットタンは、本名すら知らない、確かなものが何もない二人の間に、唯一目に見える形で二人を繋ぐものになりつつあったのではないか。

刺青も同じ。当初、麒麟だけの入れ墨にしようとしていたが、結局、龍と麒麟が絡み合う図案を依頼する。龍は、アマの背中にある刺青だ。つまり、麒麟と龍の刺青も、ルイとアマを繋ぎとめるもの

人は変わってしまうものだと最初から信じていなかったルイが、アマとの出会いを通して変わり始める。

刺青が完成した後、ルイは生きる気力を失ってみるみる痩せていく。最初に読んだときは、それがなぜなのか理解できなかった。だが、刺青がルイとアマを繋ぐものと捉えると、なんとなく理由が想像できる気がする。

つまり、刺青が完成したルイには、「失うもの」ができてしまったのだ。それはアマのこと。それまでふわふわして不確かだったアマとの関係が、刺青という有形のもので繋がれた。所有してしまったのである。だから、いつか失うのではないかという不安、もっというと、いつか失う日が来るに違いないという確信に近い予感が、ルイの心を完全に覆ってしまったのではないかと想像する。

そんなにアマが大切なら、なぜシバさんとも同時に関係を持ち続けていたのかはよくわからない。

最後の壮絶な展開についても、シバさんが手をかけたのではと半ば確信しながら、それでも「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせるルイの心境も理解できない。何が大丈夫なんだ。

***

以上が、読了後に、この小説をなんとか理解しようと試みて絞り出した、私なりの(今のところの)答えである。

この小説はこういうことが言いたいんだね、とか、もう一度読んでみたいとか読みたくないとか、そういう確定的な総括ができないことがもどかしい。自己流に解読してみたけれど、今でも、この小説は一体なんだったんだろう、と思っている。


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