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自分の弱さが許せない

弱い自分が嫌いです。

これは、むかしから存在する、わたしの課題です。



先日、娘の担任の先生との個人面談がありました。

一家族に割り当てられた時間は15分です。しかも入れ替わりの調整時間はありません。わたしは、時間に遅れないように早めに家を出て、5分前には教室前に到着しました。

中を覗くと、わたしの前の面談がまだ行われています。わたしは、ドアのそばに置いてあった椅子に腰かけて、時間がくるのを待ちました。

5分たち、わたしの面談時間になっても、誰も出てくる気配がありません。

もう少し……かな。わたしは、そのまま座って待ちました。

さらに5分。まだ終わらない。わたしは、もう一度教室を覗き、こちら側に顔を向けている先生に明示的に目配せをしました。次の番のわたしは来ていますよ、ここで待っていますよ、というサインを送りました。先生は、わたしに視線を送り、わかってます、という感じでにこりとしました。

てっきり、先生はすぐにでもこの面談を切り上げて、わたしを呼び込むんだろうと期待したのですが。

ところが、実際にわたしの番がまわってきたのは、そこからさらに5分経ってからでした。

まじか。わたしの15分のうちの10分、つまり半分以上を食い込んだってわけだ。

先生は、わたしを呼び込むなり、勢いよく謝りました。

「もう、ごめんなさいね!15分って本当に短すぎるわ」

いや、わたしに残された時間は5分ですけどね。先生と話しながらも、わたしは、彼女がこの面談時間をどう調整するのだろうと心の隅で思っていました。

面談自体は滞りなく進み、結果として5分延長して、次の人と交代しました。

わたしと次の人とで、最初の人が延長した10分を呑みこんであげたわけか。

まあ、いいんだけど。駆け足ではあったけれど、話したいことは話せた。あの5分を削られたせいで、切実に困ったというわけではない。

でも……。なんだかなあ。

怒りと呼ぶほどの強い感情ではないのです。でも、心の中で、小さな翳りが確かな感触とともに残りました。

先生は、一面談につき15分を割り当てて保護者を呼んでいるのだから、その時間をきちんと守って面談をマネージすべき。

保護者側も、持ち時間は15分と知っているのだから、その時間を大幅に越えて話そうとするのは控えるべき。

よく考えてみたら、わたしは、先生にも、前の保護者にも、本来あるべき行動パターンを期待していて、そのルールの中でわたしの利益も確保されて然るべきと考えていました。

でも、他人がそのルールどおりに動くとは限りません。特に、ここアメリカでは、善意や配慮に基づいたルールは、あまり尊重されないことが多いように思います。結果として、声の大きい人や、我の強い人に引っ張られがちです。

それがいいとか悪いとか言っているのではありません。こういう社会なんです。というか、こんなことは、多かれ少なかれ、どこの社会にだって存在します。

ただ、それによって自分が不利益をこうむる場合は、なんとかする必要があります。なにもしないと、さっきのわたしのように、後でうだうだ不満だけが残ってしまうのです。

このことを、夫に話しました。夫は、即答しました。

「そういうときは、もっとハッキリと意思表示しないと。僕だったら、時間きっかりにコンコンと中に入って、『僕の時間ですよね?外で待っていればよいですか?』とか言うよ」

時間を削られたのは、君がそれを受け入れたから―。

なんだか、このコメントを聞いて、なおさら心が沈みました。情けないなあと思って。自分のことすら自分で守れないなんて。

先生や、わたしの前にいた保護者に腹が立ったわけではありません。そこを責めてもしかたない。あくまでも、こういうときにわたしがどうすべきだったかという問題です。

わたしは、自分のお人よしぶりが許せませんでした。心に引っかかりを感じていたのに、それを主張しなかった自分の弱さに嫌気がさしたのです。

胸の内を正直に吐露したわたしに、夫が言いました。

「自分自身を責めることはないよ。君が生きてきた日本の社会では、その行動パターンで大丈夫だったってだけだよ。

でも、こう考えるといいと思う。君の時間は貴重なものだ。その貴重な時間は尊重されて然るべきだって。だから、それを確保するために行動するんだ」

夫はいつも、わたしの良き相談相手です。

「別に強い口調で主張しなくたっていいんだよ。波風を立てない手法としては、『あの、ちょっとよくわからないんですけど、いまわたしの番で合ってます?』みたいな言い方がいいかもね」

そのいかにも混乱しているような夫の演技が面白くて、二人で笑いました。

夫は、こういう立ち居ふるまいに長けています。いつも何パターンも手元に持っていて、相手と状況によって使い分けています。器用な人です。

一方、わたしは基本的にオンかオフなんですよね。究極の場面で、掴みあって戦うとか、本気でケンカすることになれば、それなりのパフォーマンスができるような気がするんだけど、そうでないなら、黙って座っている。持っているボタンがオンかオフのみ。もっとその中間で調整するためのツマミがほしい。

でも、こうやって今回のことを書いているうちに、胸のうちがかなり整理されました。今度同じことが起こったときは、もう少しうまくやれる気がしています。

もちろん、掴み合いではない方法で。

(おわり)


読んでくださってありがとうございます。

《アメリカ社会に生きることについて》





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