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こっち側の私がなぜ起業出来たのか

なぜ自分で事業をしたいというマインドになったのか


一言で言えば
反骨精神 と表現するのが1番合っているのかも知れません。
オードリーの若様や南キャンの山里様を心の師と仰ぐ私は
ずっと こっち側の人間 として生きてきました。
いや、今もです。


クラスでは一軍の人達から見下され(勝手な思い込み含む)3軍にすら属せず、いるのか居ないのか分からないような存在。

だから、ずっと
キラキラしている あちら側の人たち が
ずっと疎ましかった。

いつか
いつか
私を見下してきた奴らを見返したい。。
(見下されていたかは被害妄想含む)
そんな想いが 起業をした根源の行原動力になっています。

起業した人って輝いてキラキラして見えるし
あっち側の人じゃないと出来ないんじゃないか と思っていたけれど
こっち側の人間だって自分の城を持ち、表現し
形にする事が出来る。

そんなお話をつらつらと書いていきます

私について


ここ10年未満に知り合った方からは
元々出来る人(あっち側の人)
と見られてしまう事がありますが
実際は全くその逆な不遇過ぎる幼少期を過ごしていました。
両親は共働き、農家を営む祖母と一緒に日々過ごし
ほぼ放置子。
得意な事は何もない小中学は、いわゆる学校カーストの最下層でした。 


カラオケでのハイタッチは未だに苦手だし
サークルなんてもってのほか
なぜ私は自分の居場所が見つけられないのか
ずっと生きづらさを感じながら学生時代を過ごしていました。



会社員時代

そんな私もなんとか大学を卒業し
新卒でアパレル企業に就職し、都内百貨店にて服飾販売の職に就きました。
同僚と群れずとも上司に媚びずとも実力で評価されるであろう(個人的見解)アパレル業界 へ就職しました。

自分の行動が売り上げという実績に直につながる事に最もやりがいを感じ
どうしたら売れるか、どうしたら全店ランキングの順位を上げられるか、日々それだけを目標にし
数年後、上司を押し退け最年少店長になりました。
今思えば …上司や先輩にとっては、申し訳ないくらい非常に生意気で尖った後輩だったと思います。

そして、この頃から組織の理不尽にジレンマを感じ、自分ならもっとこうするのに、というこだわりの元、徐々にゼロから自己表現をしたい。
全ての責任を負ってでもいいから自分の思うように やりたい。とこの頃から自分で事業をしたいというマインドを強く意識するようになりました。


続く

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