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少し過去の話をします

※ 時系列がめちゃくちゃになってます ※
申し訳ないですが最後まで読んでいただければと思います

この猫は飼い猫で、私が描きました
可愛いでしょう?


私は生かされているんでしょうか

これは過去の話になりますが、本当に家庭環境は今思い出しても最悪だったと思います

食器が割れるのはしょっちゅう
もう家を出てから10年経ちますが、あの頃の窓ガラスはまだ割れたままです

ご飯が出ないことがしばしば
これでチキンラーメンが嫌いになりました

毎日離婚、どちらについていくか迫られ(小学生の時です)
夫婦仲は悪化していく一方
親からは仕事のストレス、家庭のストレスぶつけられてきましたが、それでもこれだけ揉めてるのは子供のせいだと言われてきました
自分がいるからこうなっていると追い詰められていきました

産まなければよかった
そう言われたこともあります

とにかく耳をつんざすような怒号が毎日聞こえ
時には包丁が出てき、食器が割れる音と感情に身を任せ壁を殴る音
家にいる状況が、心理的に私は恐怖で支配されていました
そう恐怖です
家にいて怒鳴り声がしょっちゅう聞こえ壁は殴って穴開いてますし
女は所詮子供を産む道具だとかとかも言ってましたかね
襖ももうズタボロです

うちの母親も頑張っていましたが父親を見て、私たち子供を見て精神的に限界を迎えてしまい
私たちに隠れて薬を乱用し、小さい時寝てる間に急に電気がついたと思ったら何故かいとこが部屋の中にいて苦しそうにしている母親が救急車に運ばれていくという景色は衝撃的でした
そしてそういうことは続き、母親がODして入院ということも多々ありました

そんな中で6畳の2部屋、5人で暮らしていたのでもちろん部屋もなく
リビングの隅で耳を塞ぎなら端で過ごすってこともよくありました
もちろん部屋はリビングと寝室で分かれていたので、勉強なんてできる状況ではなく
今まで勉強というものはしてこなかったです

のでもちろん頭も悪いです
高校までは行ってましたが、進学の話をした時にそれは受け入れないと否定されてしまい、なんのために高校にいっているのが訳が分からなくなってしまい

この世はどうでもいいんだと思い酒と薬を乱用して救急車に運ばれICUに3日間入院していました
あの時私は、助けられなければすでに死んでいたのかもしれないですね本望ですが

一度母親に、私おかしいのかもしれない
精神科に連れて行って、ちゃんと見てもらってよくなる薬があるんだったら飲んでみたい

とても親には言いたくなかったけど周りに頼れる大人がいなかったもんで
そうやって一生懸命私はSOSを出したことがありました

それでも薬なんて飲んだところで
気の持ちようだし薬漬けになる、そんなもの飲んだところで何も変わらないしよくなるわけない
そんなの精神科に行ってる方が頭おかしくなるわ

と全否定され、私は精神科を受診することはなく、ICU入るまで行ってしまったんですね

そのICU入ってる時に言われたんです
ちゃんと病院に行こうって

私その時、分かってくれたんだと思ったんです
限界を迎えて死ぬ手前までいってしまった私を見て追い詰めてしまったんだと親も思ったんだと思います

だから私は家に帰りたいって病院にお願いして
家に帰してもらいました

ところがどうでしょうね
その後病院に行く様子もなく、その話題も出されることなく、なかった話になりました

もうこの家はだめだ
もうこの辛い思いのまま、自分の部屋もなくまたリビングで怒鳴り声と食器が割れる音とともに精神を壊してしまう
そう思ったんです

そこで私は入院していたのもあり高校に行けなくなってしまい、なんとか補講をして2年までの単位をもらい在宅の通信制に1年通うことにしました

私は絵を描くのがとても好きで、専門の知識を学びたいと思ってましたし、正直東京の芸大に行くものだと思ってました
憧れでしたから

でも親からそれは無理だと言われ絶望したんです
なんで私が芸術がある高校に通ったんだろう
20人しか入れない高校で専攻で、今まで何を習ってきたんだろうって

絶望しました
だから高卒認定だけ取ろうと、一年間通信で頑張りました


時系列がめちゃくちゃになってしまい申し訳ないです

そこから私はもうここには居られない
恐怖に支配されてた、学生は学校と家庭環境しか見えてない視野が狭いものですから、それが全てだと思ってました
だから家を出る決意をしました
その時は高校2年生でした

幸い私の姉が、結婚し、自立していて部屋が一部屋余っていたのでそこに居候させてもらう形になりました
姉も、家の状況は知っていたので新婚でしたけど受け入れてくれました

そこお世話になり始めて3ヶ月ぐらい経ちました
私はまだ学生でお金もなかったので出来ることをと、
姉の子供もいたので面倒を見ながら家事も手伝いみんなでご飯を食べ感謝しかなかったんですね

でもここで事件が起こりました
姉の旦那が私に手を出すようになり、胸を触られたりいやらしいことをしてくるようになりました

私はこの幸せな家庭を崩したくなかったし、子供もいましたし、どうすればいいのか分からなかったです
それでも精神的にキツくなり、言いたくなかったですが姉に正直に話すことになりました

姉は旦那を叱り、最初は理解してくれました

でもそれを日が経つに連れ矛先が私に向けられ
いじめが始まりました

靴はぐちゃぐちゃ、部屋に置いてるものは隅に投げられ嫌後と言われ
気づきました

この人たちと関わっては行けない

そこからは大きいゴミ袋に洗濯物を入れ毎日コインランドリーに洗濯しにいき、1キロ先にあるコンビニにご飯を買いに行き、部屋に閉じ籠りトイレだけ借りほぼ会話もなかったと思います

そして私は、自分は未成年でお金もなく、何も現場を変えられないことに気づいたんです

だから仕事を始めました
まだ高校生でしたけど年齢を偽り昼も夜も仕事をしてお金をたんまり貯めました
まずはお金がなかったら、なんて自分は無力なんだと気づきとりあえずお金を貯めました

その当時、年上の彼氏がいましたので
未成年の私では借りられない賃貸を名義を貸してもらい、私は家を出ることができました

無事家脱出ですね

そこから9年経ちますが、なんとなく生きてますよ
仕事でも何度も挫折しましたし、壊れた心がさらに壊れひどい状態です
2年前友人の死があり、どうしようも心が限界を迎えデパスを1400錠飲んでしまい
神経がやられてしまい目が開かない病気にかかってしまいました
原因不明の病気で現在治療法もなく、一時的な処置しかできません
今は片手で目を開けて生活をしていて、ほぼ失明状態です
ODをした私が悪いのは重々承知ですが、障害が残るって生きるのを諦めてしまいそうです

過去のことを断ち切れてない

今この歳になってわかります
親も若かったし、親も1人の人間で子育てなんて初めてで、苦しいことも沢山あって
それでも私たちを育ててくれたんです
接し方がわからない不器用なところも、今ならわかります
理解してあげられます
感謝もしてます

でも過去にあったことをまだ私は整理できる段階まで行けてないんです

私は今心が壊れています
すべてどうでもいいんです
どうせ死んだら無になるし、うつだって治る気がしないし、うつにかかってから、年月が経ち過ぎて何が正常なのか、わからないんです

私は人の苦しみは比べるものではないと思ってて、どんなに小さなことでも、逆に比べ物にならない酷い経験をした人も、人それぞれですけれど

その人にとったら、それが1番辛いんです
人それぞれキャパが違いますから、客観的に見たら、そんなことで
って思うこともあるかもしれないけどその人にとったらそれが最大限、死にたくなるほど辛いことなんです

だからこんなどうでもいい私の過去の話を聞いたところで
みなさん思うところはあると思うけど、これが私が辛かった経験です

最近はすっかり頭がおかしくなってしまって、毎日死にたくて、毎日頭の中で怒鳴り声が聞こえて、どうしようもなくなって薬も乱用してしまい、そのせいで仕事も出れなくなってしまいお金にも困り

正直人生詰んでます

なんでそろそろいいんじゃないですか?
私の携帯のパスコードは誰も知らないし、死んだら誰にも知らせられないと思うけど、もうそれでいいんです
私が死んだって友達も少ないですし家族は悲しむかもしれないですが、私はもう疲れてしまいました

目に障害があるのもどこにも出かけたくなくて引きこもっていたいし何のために生きてるのか分からない

とにかく、疲れました
もう限界かもしれないです

こんなに長々とどうでもいい私の過去の話聞いてくれてありがとうございました
大人になるにつれてこんな話誰にもできないし、ここで吐き出せてちょっとすっきりしました
誰も見ないかもしれないけど、それでもいいんです
書いてるうちに苦しくなってきたけれど書けてよかったなって思います

もう限界かもしれないけど
私が死んでも誰にも報告できないと思うしこんな人いたなぐらいで思ってくれたら

もうすぐ朝がきますね
みなさん今日も仕事がありますね
仕事に行けてる人は本当に尊敬します
無理せずに頑張ってくださいね

長々とありがとうございました

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