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【マイ・ミニマリズム〜第4断】ミニマル・アドマンとミニマリズムにおける矛盾と対立
広告とミニマリズムというテーマは、私個人にとって相矛盾する非常に困難なものである。
元来、私は他者に比べると所有欲はなく、しかもイベントやキャンペーンが嫌いな人間でもある。
そんな性分を有する者が、何の因果かそれなりに大手の広告代理店(広告会社とも言われているが、実際の業務はやはり広告代理店だろう)に入社し、しかも営業という清濁併せ飲むセクションを担当していたのだから、我ながら驚きを超えて呆れてしまうほどだ。
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前述のとおり所有欲がなく、イベントやキャンペーン嫌いに加えて自動車免許すら有していない者が、いわゆる“アドマン”として様々なマスメディアや販売促進の提案作業は、個人的には奇妙な苦悩であったが、現在において振り返ると滑稽であり良い経験でもあった。
さらに滑稽なのは、テレビを観るどころかテレビを所有しておらず、イベントには行くこともセールやバーゲンでモノを購入することにも抵抗感がある者が、アドマンとして仕事をしていくことに対する矛盾に苛まれていたのは事実である。
そこで、私の個人的見解ではあるが、敢えてミニマリストのアドマンとミニマリズムにおける矛盾を可視化する。
販売促進 VS. 節度という矛盾
広告の主たる目的は、担当するクライアントの商品やサービスを、より多くの消費者に知らしめ購入させることを目的にしている。
他方、ミニマリストは必要最低限で生活するために所有すべきモノを見極め、無駄な消費をしないを是とする。
それゆえ仕事と個人のミッションや信念と矛盾する。
広告予算の最大化のためのプレゼンテーション VS. 無駄を削ぎ落とす美学
担当クライアントから与えられるブランド別やキャンペーン別の広告予算に応じて、あらゆるリソースを駆使して視覚的かつ強いインパクト(広告業界では言い古されているが)で広告予算を最大化した提案をすることが要求される。
他方、ミニマリストは徹底的に無駄を嫌い、削ぎ落とすことを美学とするために、過剰なデザインや販売を煽るキャンペーンコピーへの抵抗感は拭えない。
唯物主義的な豊かさ VS. 個人的な質素さ
広告はあくまでも担当クライアントの販売促進と売上貢献を目標とする以上、商品が認知され売れ事がすべてであり、その後の満足度の指標には関与しない。
他方、ミニマリストはモノを購入することによる精神的充足感はなく、むしろモノを購入する瞬間だけが消費であることを本当的に知悉している。
業務上での過剰なリソース使用 VS. 環境への意識
広告制作には多くの物理的なリソース(プレゼン資料の大量出力、過剰なまでの印刷物、区やンペーン用のPOPやノベルティなど)は必然のままとなっている。
他方、ミニマリストは物理的リソース自体への嫌悪感や無駄を削ぎ落とす美学、さらには環境への配慮という観点から疑問視しかない。
大量の資料が散乱する埃っぽいオフィス VS. 掃除の行き届いた清潔感のある部屋
マーケティング調査やデザイン案等、デスク上に積み上げられた資料や、そこで収まらず行き場を失った資料がデスク下の奥に押し込まれたまま、数年間放置したままとされている。
他方、ミニマリストは書籍に関しては電子書籍で徹底し、書類等の資料はデジタル化して保存するために埃に塗れることもない。
成功の指標と個人的な価値観
広告業界における成功指標は売上やブランドの認知度にある。
他方、ミニマリストは物質的成功よりも精神的充足、持続可能性を重要視する。
それゆえ、クライアント満足や自社の売上拡大は個人的な幸福感や満足感と一致しない。それどころか相反すると言って良い。
ここで余談だが、業界最大手の電通には[鬼十則]や[裏十則]という有名な社訓があったのだが(2015年12月に発生した新人女性社員のあの過労自殺を受けて、2017年度からは社員手帳から記述を削除された)、それ以外にも[戦略十訓]というものもがある。
もっと使わせろ
捨てさせろ
無駄使いさせろ
季節を忘れさせろ
贈り物をさせろ
組み合わせで買わせろ
きっかけを投じろ
流行遅れにさせろ
気安く買わせろ
混乱をつくり出せ
この内容を初めて知った時、私は電通という会社への嫌悪感を増すとともに、広告業界に身を置く者として自己嫌悪感さえ抱いてしまったほどである。
[戦略十訓]がもたらす威圧的で押しつけがましく、ある種詐欺まがいとも言える即物的な過剰消費主義は、カール・マルクスが指摘した“自己疎外”そのものとして、私に切迫してきたのだ。
なぜここまでしてモノを買わせ、捨てさせ、惑わせるようなことをするのか?
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業界のドンとして過剰なまでのクライアント貢献と売上至上主義に徹してきた末に、私たちの暮らしは何を得ているかと言えば、広告によって必要ではなく欲しいを刺激され、浪費後におもむろに襲来する虚しさと使いもしないモノという残骸しかない。
当然にしてクライアントはもちろん会社の同僚にも言えなかったが、退社直前に私が抱いていた広告コピー案は、
「ゴミを捨て、ゴミを買おう。」
である。
そして2022年春、そのコピー案から逃れるように私は晴れて退社した。
【第4断】了
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