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【マイ・ミニマリズム〜第1断】断捨離とミニマリズム

近年の“断捨離”ブームは、もはやブームを乗り越えてひとつの現象となっている。
世間では、ミニマリストやダンシャリアンを自称する者も増え、コロナパンデミックによってそれはさらに浸透したように思われる。
とはいえ、そもそも断捨離、ミニマリズムとは何だろうか?

断捨離とは何か?

“断捨離”という言葉は、やましたひでこ氏の著作「断捨離」によって提唱され、今では日常的な用語にまで普及した。
端的に言えば、
入ってくるいらないものを「絶ち」、家にあるいらないものを「捨て」、物への執着から「離れる」という定義から成り立っている。
日常的にも「今日、〇〇を断捨離した」や「あれは断捨離しなきゃね」と表現されるように、一般的に広く使われるようになったことでも知られている。

ミニマリズムとは何か?

他方、ミニマリズムとは思想や美学的見地に立った概念であり、“最小限の要素だけを用いる手法・様式”を意味する。
元来、1950年代の美術や建築から始まり、さらにファッションにおける表現スタイル・様式に昇華したことで知られている。
また、“less is more”という概念は、ドイツのバウハウス校長であったミース・ファン・デル・ローエによって生まれ、現代においても語り継がれ多くのミニマリストの心を掴んでいる。
その影響は、文学や哲学、音楽にまで発展し、ミニマル・アートミニマル・ミュージックというジャンルも生まれてゆく。
日本においては、装飾的な要素は削ぎ落とされ、"Simple is best"(シンプル・イズ・ベスト)に代表される考え方が最も理解しやすいだろう。
とりわけ、和歌や俳句といった文学形式、茶道、水墨画や枯山水のような美術もミニマリズムの範疇といえるだろう。
さらに、日本で最も根ざしているのは禅宗である。

禅宗とミニマリズム

私的見解であるが、日本で最古のミニマリズムを体現した人は道元ではなかろうか?
道元は、西暦1200年に生まれたとされ、鎌倉時代初期の禅僧として曹洞宗を開祖し、その主著「正法眼蔵」は、現代においても多大な影響力を有している。
今さら言うまでもないことだが、Appleの創業者スティーブ・ジョブズに与えた影響はのちの世界を変えた製品郡を見れば一目瞭然だ。

「知足」(足るを知る)
「放てば手に満てり」(手放せば自然に手に満ちる)
「本来無一物」(本来、執着すべき物も存在しない)

といった道元の教えは、約700年前にすでにミニマリズムの普遍的本質を述べている。
もしかすると、ミニマリズムの胎動は禅から始まったと言えるかもしれないが、その普及は、近年における「ミニマリスト◯◯」といったネーミングで広く知られるようになる。

道元禅師

断捨離とミニマリズムの相違

上記の内容から、断捨離とは無駄を排除する生活術であり整理整頓術としての手段であり、極端に言えばお金を使った買った物を否定することであり、お金を捨てることに等しい。
他方、ミニマリズムとは何が最も大切であり、無駄を排除する必要最小限主義という概念に基づいている。また、整理する物自体から自由になること。あるいは厳選した物を徹底的に使い圧倒的に後悔がないほどに使い果たし手放す際に後悔が残らないこと、手放したことで心地よい解放感があることもまたミニマリズムという思想の一片でもある。

上記の考え方から、断捨離とミニマリズムは似て非なるものであると言ってよい。

ちなみに、整理整頓術の著書『人生がときめく片づけの魔法』で一躍名を馳せた“こんまり”こと近藤麻理恵氏は、断捨離系に分類されるであろう。

繰り返し言うと、ミニマリズムは結局のところ目標ではなく、透徹した思想・美学であり、シンプルな哲学そのものである。
物を整理する以前に、その物自体「本当に必要か?」というシンプルで究極の自己問答によって、物や世界の本質を見極めることこそミニマリズムであることから、断捨離とは一線を画すのである。

【第1断】了

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