小学校学習指導要領における円周率について

一昔前は二次方程式、最近では三角関数の学習意義について疑義が唱えられている(あくまで部分否定であり、常識的に考えて優秀な或いは理系を希望する生徒まで学ぶべきでない、という主張ではなかろう)。

そこで本稿では、初等教育における “円周率” について論じる。

ゆとり教育時、目的に応じて3を使っていたが、世間からの大バッシングを受け、ぞろまた3.14に戻った。文科省の節操の無さが伺える。

そこで問いたい。本当に円周率を3.14で教えるのが良いのか、と。

「円周率はいくつか?」と問われれば誰もが「3.14」と即答するだろう。 では、「円周率は何を意味するか?」との問いに「円の差し渡し (直径) の 約3倍が円周になる、ということ。」(正確には「円周と直径との長さの比の値」)とどれだけの大人が答えられるだろうか。筆者は極めて悲観的だ。

では, 答えられないとすると原因は何か。まさに円周率を3.14としたことだ。細かな小数値であるが故に、意識が値の方にフォーカスされてしまい、  円周率とは何かという本質が消散してしまうのだ。これでは単なる公式の 丸暗記と同じで、知ってるだけでは意味なく価値がない。本末転倒だ。

また、次のような深刻なディメリットもある。算数の苦手な子供が、たとえ円の問題の解き方が分かっても、小数計算ミスをやらかしかねないことだ。失点により自己肯定感は棄損され、ヤル気減退を亢進してしまうだろう。

以上より、3.14の妥当性は完全に否定された。

ただ、人は一般に保守的なので「円周率=3.14」が周知され, あまりに馴染み深いため「3とは何事ぞ」と目を剥く。3で計算すると正六角形の周の長さと同じになるとか、計算力が落ちるとか、まるで的はずれな指摘ばかりだ。

前者には、むしろ教師はそれを利用して真の値が3より大きくなることを 導き、概数であることを強調、指導できるのだし(正六角形とその外接円の設問の場合、「ただし、円周率は3.1とする」などと指定すればよい)、後者には “小数” の単元で習熟すれば済む話だ。
(尤も筆算練習の意義さえ筆者は懐疑的である。端数のある数の計算なぞ 電卓を使えばいい。〔実際、手計算することなど日常皆無。スマホだ。〕)

結論。円周率は“約3”で教えるべきである。メリットは全て上記の裏返し。

拙論は子供“全員”に当てはまるのが特徴だ。優秀な者も “約3” でいい。  軽減した分、少しでも応用問題や予習、他教科の学習に時間を割くべきだ。優秀でない者も含め, 中学に上がれば所詮皆 “π” を使うことになるのだから。

なぜ、小学校の学習内容について述べたかといえば、低年齢ほど教育内容の及ぼす影響が大きくなるからだ。

話は膨らむが、漢字などはこれからの時代、読み・語法・類語・対語・同音異義語を中心に指導し、画数が多いものについては“概形”を覚えればよいとして、筆順や書き取りの比重は最小限にとどめるべきである。
将来、手書きの際、うろ覚えなら、やはりスマホだ。

漢字の試験は国語と独立に行い,国語の試験時は辞書持ち込み可とすべきだ。不要な学習作業は極力排し、空いた時間を他の、より重要な学習内容の習得に充てるべきである。時間というリソースは有限なのだ。

書道なぞは, たまたま対象が文字に過ぎず, 華道,茶道を全員に指導することがないのと同様、授業として扱うのは適切でない。習うべきだったと後悔するのは、親方になって相撲部屋の看板を揮毫する時くらいだ (参考画像)。

社会科はアウストラロピテクスはいいから近代史をしっかり指導すべきだ。でないと大人になって, こんなことをほざく者も現れるだろう。(既存か?)

「へ? 昔、日本とアメリカが戦ったんすか?  ガチで?  いかつー!    てか、なんで戦うワケ? ワンチャン勝てると思ったんすかねぇ。    チョーヤバくね? 言ぅて日本って小国じゃないっすか。        ホボホボ負けるって分かるっしょ。エグいっすね。マジウケるわ。」

祖国の為に戦へりし日本兵士の英霊達よ、何とぞ無辜なる彼らを許し給へ。

以上を踏まえ、文科省には確たる信念を持って指導要領の改定に勤しんで 頂きたい。

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