政治と公教育の関係について

国権の最高機関たる国会にて、三権のうちの行政権を司る内閣を構成する 閣僚、いわゆる大臣として、どこでどう間違えたか、どこぞの村の気のいいオッチャン風人物が出てきて、ピーンと静まり返った中、残念極まる答弁を目にすることがある。さしずめ、

ショパン・ピアノコンクール本選にて、どこでどう間違えたか、どこぞの 村の気のいいオッチャン風人物が出てきて、ピーンと静まり返った中、  両手人差し指によるミスタッチだらけの “猫ふんじゃった” を弾き始めたり、

世界水泳の男子自由形決勝にて、どこでどう間違えたか、どこぞの村の気のいいオッチャン風人物が出てきて、ピーンと静まり返った中、号砲とともに犬かきで泳ぎ始めたり、

そんな光景を目にするようなもので “恋しさと せつなさと 心強さと“ もとい, 悲しさと切なさと恥ずかしさと、そして余りの滑稽さに思わず噴飯したのは果たして筆者だけであろうか。

一日当たり3億円超かかる国会で、年収4千万近い大臣による壮大なる茶番を見せられる国民の身になってもらいたいものだ。

そんな大臣の発言の一部を切り取り、鬼の首をとったかのように糾弾したり果ては3分の遅刻で5時間審議をストップさせてしまうという、何とも川柳ネタチックな荒技を繰り出す野党議員らにも失笑を誘われ、心底辟易して しまう。

そこで本稿では、こうした醜事 (しこごと) が散発する根因について論じる。

大臣の任命権者である総理大臣を生み出すのは議院内閣制であり、
大臣の推挙は派閥の論理によるものであり、
その派閥を構成する国会議員は選挙によって選出される。

議院内閣制、派閥の論理、選挙制度といったシステムに問題があるのか。
はたまた、総理大臣, 派閥の領袖, 国会議員といったヒトに問題があるのか。

一つずつ検討していった結果、結論が出た。

この悲しい現象が生ずる本質的根因は、

ドォーン(効果音)

何のことはない “我々国民の民度” にある、ということだ。

“民度” 換言すれば “合理性” だ。

立候補者の資質本位ではなく、元芸能人だ、夏の盆踊りや忘年会、新年会で顔を合わせた, 握手した, 故に “国会” 議員にふさわしいとして投票するというメンタリティに見られるそれ (合理性) の無さにある(比例代表制や選挙区制といった選挙制度の問題の遥か以前に、だ)。

合理性の重要さを訴求すると必ず「世の中には理屈では割り切れぬもの (非合理)がある」と息巻く者が現れる。しかし、その非合理をどこまで 理(ことわり) で埋め合わせていけるのか、というのが人智だ。

非合理や不条理を擁護, 放置する態度は、虚無的、懈怠的であり、時に  非人道的ですらある。現実世界には非合理的な事象は確かに有れど、それを看過せず可視化し直視し、可能な限り合理的に思考しようとする態度こそ 肝要なのだ(また、そうすることにより、残った非合理的事象の中に相対的価値が炙り出されてくる部分が現れいずるやもしれぬ)。

民度の低い、非合理的な有権者らが、フールな議員を選び、フールな議員の中からファンキーな大臣が生まれ、結果、チープな施策が実施されて希望の見えぬ世の中を作り出してしまう。

暗澹たる気分になってくるが、ここで嘆いてばかり居ても仕方あるまい。
希望ある世の中を作り出すのは一朝一夕にはいかないのは自明だが、
それを前提として、どうすれば良いか。

当然のことながら、民度を高めるのだ。

国民の合理性を陶冶するのがまさしく公教育だ。
対象はシガラミのないマッサラな子供達をメインとし、
リカレント教育(※)プログラムも実装すべきだろう。

公教育は国の構成員である次世代の国民をアップグレードする最も重要な 施策でありながら、最も旧態依然としている。

チマチマとしたマイナーチェンジを繰り返しているばかりで、全くと言っていいほど代り映えない(それどころか、むしろ改悪の度を深めている!)。
高校進学率が99%近い現在、人生で最もフレッシュで掛け替えのない時期になぜ高校生 全員 がドンヨリと三角関数を学ばねばならぬのか?

こんなことは誰がどう考えても、教育効率が悪すぎる、と分かる事だ。

放置するな、惰性に流されるな。

ポテンシャルの極めて高い時間を浪費させるな。

こんなマル教育システム(※)に関して、教育経済学的アプローチで厳密に 統計をとって分析したところで, 悪いが, 大した意味はない。五十歩百歩だ。

大量の土砂を移すとき、ねこ車にどう土を盛って運ぶのがより効率的かを
血道を上げて分析しているようなものなのだ。

そんな暇があるのなら、即刻ダンプを手配せよ。

視野狭窄に陥るな、大局的に思考せよ(>文科省)。

恐らくだが将来、人智を超えたスーパーAIアンドロイド観音様に御神託を 賜うにつき、

「世界に冠たる国となりたくば、公教育を大改革しなしゃんせ!」

と開口一番、発すると予想する(否、世界中のAIがしゃべり出すだろう)。

これからの公教育と教育内容について 品良く 触れたこちらを参照   頂ければ幸甚である。

リカレント教育:生涯教育。就労後も個人が必要に応じて教育機関に戻って
        学べるシステム。
マル教育システム:悪い教育システム。マルは mal (悪い) という接頭語。

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