新時代の公教育について

SNSにより校内での体罰事案が白日の下にさらされた。生徒の暴言と教師の暴行が世間の耳目を集めたが、この二つには通底するものがある。それは どちらも “教育の負の成果” ということだ。
生徒の暴言は “教育の失敗” であり、教師の暴行は “教育の敗北” といえる。

本稿では、当該事案を通し、これからの公教育と教育内容について論じる。

親になるのに資格や免許は不要で,子が生まれれば誰もが自動的に親になる。親として相応しくない者が親になる蓋然性を考慮すれば,子供を中心に据えた公教育のあるべき姿を論じる際、健全な家庭教育を必ずしも前提とすべきではない。つまり、恵まれない家庭環境のただ中にいる子供の存在をも前提とした公教育を構築しなければならない。

そう考えれば、幼児期からの義務教育化は必須だ。
いわゆる躾にあたる教育内容も公教育が可能な限り担保すべきなのだ。

躾というと通俗的な響きを伴うが、集団規範の順法精神や人間関係の構築、善悪の区別といった、極めて根源的かつ本質的な教育内容を包有している。

順法精神が陶冶されていれば、校則違反を起因とした当該事案は生じ得な かったろうし、人間関係や善悪の区別がしっかりしていても、また然りだ。

(順法精神とは別に、当該生徒がピアスを禁じる校則の非合理性を論究し、問題提起する等の政治的行動がとれてもなお当該事案は生じなかったろう。〔余談だが、筆者は装飾禁止条項は不要と考える。昔の坊主頭と一緒だ。〕)

人間関係は、親子関係 (将来、親になった場合も含め) 、友人関係、恋人や 夫婦 (同性も含) 関係、上下関係 (対教師、先輩後輩・年配若輩、上司部下)等様々なパターンがあり, それぞれについてケーススタディとして教育内容に取り入れるべきだ。

これは観念的な道徳論とは別に、人間関係良化スキルとしての教育内容だ。このスキルを体得できれば、孤立、いじめ、不登校、自殺、ハラスメント、少子化等の広範な諸問題の解決に貢献することとなり、大きな教育成果を 示せるだろう。

また、当該事案の生徒の暴言も教師の暴行も、延いては巷間伝えられるDV、煽り運転、吾子虐待なども皆 “怒り” から生じていることは論を俟たないことから、“アンガーマネジメント” も教育内容として盛り込みたい。

加えて、コミュニケーションスキル、建設的討議法(勝敗択一のディベートではない)、問題解決法、論理的思考法、セルフコーチング、非認知的能力向上プログラムなども極めて重要な教育内容だ。

更には, (心理学・倫理哲学などの) 人文科学, (社会学・経済学・法学・政治学などの) 社会科学、(栄養学や性科学などの) 健康科学を基盤とした体系的、学際的な知見、エビデンスベースの根源的、本質的な教育内容が他にも  数多(あまた)あろう。

これらは汎用的でもあるため、日常の様々な場面を想定でき、学習者の年齢に応じて教材開発できる。必要ならば外部の者に講師になってもらい、来校ないし教材動画に登場してもらってもいいだろう。
子供たちの参加意識、学習意欲は格段に高められ、教育効果も絶大である。

昔ならいざ知らず、高速ネット環境、スマホ・タブレットPC等のデジタル 機器の普及、AIソフト・コンテンツ開発が進んでいる現在、ICT化により  この本質的教育環境は工夫次第で爆発的に進化させられよう。

子供たちは将来、社会的人材となっていくが、労働人口における専門的人材の占める割合が著しく肥大化するとは考えにくい。むしろ、今まで専門的と考えられてきた技能こそがAIによって代替されていき、結果、 一般的人材の比重が増大するとみるのが妥当だ。

そうした社会構造を考えたとき、本質的汎用的な教育内容の重要性は今以上に高まり、その習得は社会から、より強く要請されよう。

一方、専門的人材の専門性は加速度的に高まるものと予想されるので、  選択的教育内容の学習環境を今とは全く異なるものにしなければならない。

現在、学校では集団形態での学習がメインだが、とりわけ意欲・能力が高い者にとっては極めて非効率だ。集団でのやりとりに意義を見いだす向きも あるが, それは“建設的討議法”の指導の中で集約的に実践されれば済む話だ。全ての学科学習を一律に集団で行い、敢えて習得効率を落とすことはない。

なぜ筆者が教育を重視するのかといえば、質の高い教育環境を子供達に提供できれば, その子らは将来、質の高い社会を築き, その中で更に質の高い教育を次世代に提供し繋いでまた社会の質が高まる、正に教育前駆の社会的成熟シンギュラリティ   ― AIほどの急進性はないので “スパイラルアップ” というべきか ― を目の当たりにすることができると考えるからである。

上の多面的で実践的な教育内容を吟味検討し加えた場合, もはや“二次方程式” が若く, 感受性に富み, エネルギーに満ち溢れた子供たち全員が取り組むべき本質的汎用的教育内容と言えるのか、甚だ懐疑的にならざるを得ない。 否、明らかに選択的教育内容であることは、断じて否定できまい。

子供たちが人間的に成長し、自立、充実した人生を築けるよう、子供達全員に施すべき、より本質的な教育内容とは何なのかを漏れなく精査、精選してカリキュラムを設計し、興味教養や高等教育、キャリアに繋がる選択的教育カリキュラムも併せて、98%を超える者が高校に進学している現在を鑑み、幼児期から何歳までを義務教育にするか、高等教育をどうするか、といった教育体系そのものの抜本的再構築に一刻も早く着手すべきだ、と訴えたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?