大切な人を失った後の後悔
家族についての記事はこれまでいくつか書いてきましたが今回は私の中で残る「後悔」について述べていきたいと思います。
私は18歳という若さで母をガンで亡くしました。末期ガンが発見されてから3年7ヶ月の闘病生活を戦い抜いた母は今でも私が尊敬する人の一人です。詳しい話を知りたい方は下記の記事をご覧ください。同時に「3年7ヶ月の家族のストーリー」を私、息子の目線から書かせて頂きましたのでぜひご支援のほどよろしくお願いします。
未だに残る後悔
私の母が亡くなった時期は11月で、当時私は高校三年生。つまり受験期であり私自身も母親のことは気にかけながらも自分自身とそして迫り来る時間と毎日戦っていました。
当時は私は実家から高校に通って、自宅と学校の往復をしながら受験勉強に取り組んでいました。母はというと祖父母の家で治療を受けながら祖父母と暮らしていましたので私と母は私が放課後に会いに行く程度で一週間に一回ほどの頻度であったと思います。
そして最後に私が母親に会ったのは母が亡くなる一週間前でした。その日は祝日であり家族が祖母の家に集まってみんなでテレビを見ながら笑って過ごしていました。しかし私は受験期ということもあって自宅に帰って勉強をすることにして、「バイバイ、また来るわ」という言葉だけを残して母の顔すら見ずに祖父母の家を去ってしまいました。
その後母が亡くなってからあの時あれで良かったのかと考えることがあります。そこで今回は私の「後悔」を反面教師にして後悔のない別れを迎えてもらうべくこの記事を書くことにしました。
想いを伝えること
上記で述べたように母が亡くなる一週間前に会ったのが私が母と会った最後の時間でした。その時は症状から見ても一週間後に亡くなるとは想像もつかず、また来週会えるよねという感覚しかありませんでした。
実際に亡くなってからの後悔は「想いは伝えるべき時に伝えるということ」です。誕生日には「おめでとう」を、助けてもらった時には「ありがとう」を。とても当たり前のようなことですが実は大事なことであり、意外とできていないことであっありします。
前回の記事でも書きましたがカナダを素晴らしいと思うことの一つとして「想いを伝えること」を取り上げました。それはストレートに「I love you」という言葉を親子同士で素直に言えるということです。日本語では難しいかもしれませんが感謝の言葉を述べるというのは言う側、そして受け取る側にとっても気持ちの良い気分になることです。詳しく見たい方は以下の記事をご覧下さい。
いずれ訪れる時間に向きあうこと
誰にしても「別れ」というものは訪れます。それは家族だけでなく、卒業で友人と疎遠になることや同僚などもそうだと思います。そして私たちはそういった悲しい出来事について向き合いたくないと言うのが本音かと思います。
私自身も父から危篤の連絡を受けた際、電車に乗って祖父母の家に向かいましたが決してその時全力で走るといったことはしませんでした。それは、そんなにすぐに亡くなるとは思ってなかったと言うよりは自分を育ててくれた母親の死を自分自身が受け入れたくなかったのだと思います。
そして母の死後に「あの時走っていれば最後に会話ができたのではないか」などと考えることがありました。時には部屋で涙が出てくることもありましたがその時間に向き合うことが大切だと思います。
もちろん亡くなった人というのは戻ってくることはありません。だからこそ生きている私たちがその事実を受け入れて進んで行くしかありません。そしてその教訓や経験を生かして周りにいてくれる人々が少しでも喜んだり楽しんでくれたりするために使うのです。
この「別れ」と向き合うという時間は私にとってもすごく大事な時間だったと思います。もちろん泣きましたし、時には人に相談したこともありました。大人だからといってこのような行為を恥じるべきではないと思います。もちろん子供にとって親をなくすという経験は受け入れがたい真実でありますが、それは大人にとっても大切な人を失うというのは決して簡単に受け入れることのできるものではありません。
だからこそ時間をかけても「後悔」を糧にして少しづつ前に進んでいってほしいなと思います。
最後に
本日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
冒頭でも述べましたが、がんの母と闘った物語を電子書籍として販売を始めましたのでぜひご支援のほどよろしくお願いいたします。
また留学についての記事も書いていますのでご興味ある方はぜひご覧下さい!
それでは Have a wonderful day!!
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