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地獄のプログラマー(IT業界の黒歴史を語ろうと思う)

時は西暦2000年ミレニアムまでさかのぼる。
IT業界超絶ブラック全盛期。
「あなたは72時間働けますか?」
IT業界の闇。
私の見た地獄を少しずつ語ろうと思う。

Episode1 ~徹夜と完徹~

プロジェクトの納期が迫ってきた際に、間に合わなそうであれば徹夜となる。当時ごく当たり前のことだった。

徹夜は日常茶飯事、誰も驚かない。

女性の大先輩に私は一度怒られたことがある。
徹夜でボーっとしながらエレベーターに乗っていたときに
おそらく酷い顔だったのだろう、
あとから乗ってきた大先輩に
「だらしないわねー、男でしょう、しゃきっとしなさい!」
と怒鳴られた。

その大先輩は子供もいるのに徹夜で仕事をする、社内で女性で初めて役職まで登り詰めた人だ。
私の100倍の体力と精神力があったと思う。
家事と子守は旦那さんが手伝ってくれていたそうだ。

ちなみに徹夜と完徹は少し違う。
完徹は寝ないで仕事して翌日も通しで仕事をすることだ。

夜中寝ないだけなら楽。次の日も寝ないで仕事するのが大変なのだ。

9時に出社して翌日の9時まで寝ないでプログラミングして、さらに寝ないで18時までコードを書く。

これが普通だったのだ。
まさに地獄である。

Episode2 〜帰れないから風呂に入れない〜

徹夜作業が続いたとき、銭湯のたぐいが近くになかったので、風呂についてはビジネスホテルを一部屋借りてメンバー間で時間を決めて順番にシャワーを浴びていた。

この頃はブラック企業がそこらじゅうにあって社内にシャワー室と仮眠室があったものだ。

うちの会社は当然無かったけど。。。

ホテルのシャワーが嫌な人は始発電車で帰って、自宅でシャワーだけ浴びてそれから会社にとんぼ返りしていた。

タフな先輩たちは最初はがんばってとんぼ返りしていたが、いつからか会社に泊まるようになり、ヒゲも最初は剃っていたが、いつからか伸び始め・・

変わり果てた姿となってしまう。

だが、そんな変わり果てた我々を神は見捨てなかった・・

ゆっくり湯船につかりたいという強い気持ちが神を強引に振り向かせ、のちにデスマーチプロジェクトは成功するのである。

もちろんこの時はそんなことを知る由もなかったが。。。

Episode3 ~タクシーチケット~

5桁の金額が書ける青い紙。
なんと、この時代(ITブラック全盛期)は女性社員と、まだ使い物にならない若手は仕事で終電無くなったらタクシーで帰れたのだ。

終電が無くなったあとに会社が懇意に利用しているタクシー会社に電話するわけだが、電話で社名の1文字目を発した瞬間に、

「ありがとうございます!! 何台用意しましょうか?」

とハキハキした声が返ってきて、応答者のニヤニヤ顔がすぐに浮かんだ。
超がつく常連だった当時の私の職場は、周辺のタクシー会社から「太い客」「金払いが良い」と言われるくらい有名だったらしい。

1回の電話で2~3台は当たり前。多いときは深夜に6台呼んで、最も遠い人で4万円の距離だった。その4万の太客から連日お呼びが掛かれば、そりゃあタクシーの運ちゃんたちは終止笑顔、ウハウハである。

あーそうそう、実家までタクシーチケットを使って帰ったこともある。たまたまその日は実家に帰る用事があって残業ができないと上司に伝えたところ
「今すぐ対処してくれ、タクシーチケット出すから」
と言われ、深夜にチケット使って実家に帰ったのだ。
(もちろん高速道路を利用した)

その時のタクシー代が今までに見たことがない、とてもじゃないがここには書けない恐ろしい金額だったことをよく覚えている。

タクシーチケットに記入できる数字は5桁だった。
そして、その数字を記入するのはお客側である。

今のヤングプログラマーたちはタクシーチケットの存在を知る由もない。

が、確実に存在したのだ。そういう時代が。
それがITブラック全盛期なのである。

Episode4 ~気絶したように眠る上司~

プロジェクトの納期が迫ったとき、上司は何日も寝ないで仕事していた。
あの台詞が蘇る。

あなたは72時間働けますか?

そして事件は起きた。
日中の真っ昼間、上司が動かなくなっていたのだ。

近づくと、気絶するように眠っていた。
その時会議の時間が迫っていたのだが、誰も上司のことを起こそうとはしなかった。

いや、起こせなかったのだ。

連日の徹夜仕事で、上司が肉体的に限界だということを部下はみんな知っていた。

現場の最高責任者は重責である。

時には想像もつかないプレッシャーと戦っているのである。
それは上司になってみないと分からない。

自分が部下を持ち上司になってみて、初めてそのことに気付かされた。

あの時、上司はこんなきついプレッシャーと戦っていたんだな

そのことに気付いたのはITブラック全盛期が過ぎて、だいぶ時間が経ってからだ。

部下(私)が寝ているときに上司は一睡もせずに仕事をしていた。
(あとで同僚から聞いた)

仕事はひとりではできない。
仕事はチームで回すものだ。
優秀なチームには優秀な司令官がいる。

下は上の行動をしっかり見ているし、自分が心底尊敬できる司令官(上司)についていくものだ。

そこに言葉はいらない。

信頼関係というのはそういうものである。

Episode5 ~シフト勤務は悪魔のささやき~

プロジェクトの納期が迫ったときの最後の手段といったら・・
そう、シフト勤務である。

早番と遅番に分かれて24時間休まず仕事を回す。

眠らないフロア。24時間電気付けっぱなし。
職場は不夜城と化すのだ。

私は早番が多かった。
朝出社すると、遅番のメンバー達が床に寝転がっており先輩達は慣れたように机の下にダンボールを敷いて力尽きていた。

壮絶な光景である。

ヤングプログラマーには絶対に想像できない光景だと思う。
朝出社したら社員がそこらじゅうに転がっているのだから。

ちなみに私は会議室のデカいテーブルの上で寝て背中を痛めてしまい、それからはキャンプ用のマットと寝袋を使って寝るようにしていた。

ちなみに床は意外と寝ることができる。けっこう快適。
やってみると分かる。

が、
直接床に寝るとダニに喰われる。

害虫を寄せ付けない強靱なヤツがひとりいたが、そういうヤツは例外的だ。

当時、時間が掛かる処理(データ分析系で1~2時間掛かる)を夜間に遅番チームが行っていた。
それで処理終了時に爆音の終了音が鳴るようプログラミングを組んで、夜間処理実行中はみんな仮眠を取っていた。

爆音が鳴ったらみんな一斉に起き出し、ロボットのようにキーボードを叩いて実行結果を確認する。期待通りの結果が出なければプログラム修正してまた処理を実行する。

ひたすらそれの繰り返しだった。

プロジェクトがピンチに差し掛かったとき、
シフト勤務にすれば24時間仕事を回すことができる。

まさに悪魔のささやきである。

Episode6 ~三種の差し入れ~

徹夜明けのもうろうとしている朝、毎日といっていいほど総務の女性達が差し入れしてくれた。

サンドイッチに牛乳、おにぎり・・

本当にありがたかった。

中でもこの3品は忘れられない。
・ユンケル皇帝液(栄養ドリンク)
・チョコレート
・バナナ

肉体疲労に対して即効性のある物ばかり(笑)

会社の冷蔵庫には常にユンケル黄帝液3ダースと大量のチョコレートが常備されていて「ご自由にお取り下さい」状態だった。

言葉の差し入れもいただいた。
「体調大丈夫?」「がんばれ」「ファイト!」

地獄の生活だったが、たくさんの人の情に触れた。

総務の女性達は何かと我々のことを心配してくれて、土日でも外出のついでに会社に寄っては差し入れをしてくれた。
当時は当たり前のように土日も休まず仕事していたから。

本当によくしてもらえた。

なのでプロジェクトが終わったあと、チームのみんなでお金を出し合って、総務の女性達にお礼の手紙を添えてお菓子をお返しした。

彼女達に凄く喜んでもらえたことを今でも鮮明に覚えている。

差し入れをしてくれたのは総務の方々だけではない。営業さん達からもよくしてもらった。

朝は総務、夜は営業の方々から差し入れをいただいた。

夜になるとマクドナルドのハンバーガー20~30個は当たり前。
牛丼、ピザなど次々にテーブルに置かれていった。

あとは隣が焼肉屋だったので営業さん達によくご馳走してもらった。
店に入って営業さんの第一声は決まって

「生ビール全員分と、とりあえずタン塩とカルビ10人前ずつ!」

そう、この時代はビールを飲んで帰宅するのではなく、ビールを飲んでから会社に戻って仕事をするのだ。

上司の「ガソリン入れに行くぞ」という号令のもと、徹夜に備えて栄養補給するのである。ちなみにお金は一銭も出したことが無い。
すべて上司や営業さんのおごりである。

あーそうそう、社長から万札を手渡され「これでみんなで美味しい物食べて」と言われたこともあった。

今は無きThe 昭和イズムである。

あの頃は良かった・・
毎日辛かったけど温かいぬくもりみたいなものが職場にあった。

Episode7 ~デスマーチは人を変える~

デスマーチ (death march)

「死の行進」という意味の英語表現で、
IT業界では過酷な労働環境や極端な過重労働を課される
システム開発プロジェクトの現場を表す俗語として用いられる。

プロジェクトにおいて過酷な労働状況をいう。
本来は、コンピュータプログラマのアンドリュー・ケーニッヒによって
1995年に示された、コンピュータシステムのアンチパターンのうち、
プロジェクトマネジメント上の問題点の1つとして示した言葉である。
日本語では、しばしば「デスマ」と略される。

IT用語辞典、ウィキペディアより

これまで私が経験した6つの地獄のエピソードを書いてきた。
これが最後になる。

思えばどれもネガティブな出来事ばかりだった。
喘息というハンデを持った私が一発逆転を狙って門を叩いた世界、IT業界は私を快く迎えてくれなかった。そこは天国ではなく地獄だった。

だが、ものは考えようである。

ネガティブな日々の中にも案外ポジティブなことが隠れていたりする。
その人の捉え方次第でネガティブなものがポジティブなものになったりする。

デスマーチという極限状態の中で、当時4年生だった私はチーム内に変化が生まれるのを目の当たりにした。

まずは2年生に大きな変化があった。

連日の徹夜作業において先輩達が疲弊しながらも活躍している姿を見て、自分も何とか戦力になりたいと思ったらしく「その作業を自分に任せてほしい」と言ってきたのだ。

これは簡単に言える台詞ではない、それなりの覚悟と自信が無いと言えない。

次は2年生と3年生にができた。 

いつの日からか2年生は3年生の仕事を少しずつ受け持つようになり、3年生のひとりが結婚式を控えていて土日出られない時は、2年生全員でフォローに回って3年生を助けるというアツいエピソードがあった。

これには正直、2年生達の自己犠牲の精神に感動して胸がアツくなった。

そして、2年生同士でいつの間にかお互いをフォローしあえる信頼関係ができていた。

2年生がまとまり3年生と強い信頼関係が構築され、それを仕切る優秀な現場リーダーと絶対的な技術力を持つタフな司令官。

デスマーチを乗り越えるために最も必要なもの、
それは強いチームだ。
強いチームは人を成長させるのだ。

長い戦いだった。明けない夜はないのだ。
プロジェクトキックオフから1年後、デスマーチは終演を迎えた。

後にも先にもあそこまで働いたことはない。
月の労働時間が400を超える神の領域に触れたのもこの時。

「椅子に座っていられて夏は涼しく冬は暖かく、好きなプログラミングができる。まさに天国じゃん!」

そう思って飛び込んだ世界は天国ではなく地獄だったけど、その地獄の日々は私を精神的に大きく成長させてくれた。

Epilogue

時は西暦2023年。今も私はIT業界で働いている。
徹夜もタクシーチケットも、床に転がっている先輩たちも、
もう見ることはなくなった。

総務の人たちからの差し入れもなくなり、寂しい気持ちがほんの少しあるけど・・、平和になったんだなと心からそう思う今日この頃だ。

23年という歳月は私自身を変えるのに十分すぎる時間だった。

デスマーチなんてものを二度と復活させてはならないと、私は必死に上流工程を学んだ。
平和がいつまでも続くようにマネージメントも学んだ。

残念ながらプログラムの方はもう殆ど書かなくなってしまったが、この23年でプログラミング技術は進化し続け、今ではAIというものが人の代わりに働いてくれている。
すでにプログラミングの自動化も進んでおり、簡単な機能であれば人の手を使わず開発できるらしい。

喘息というハンデを持った私が一発逆転を狙って門を叩いた世界、IT業界は姿形を変えて今も存在している。誰をも拒むことのない世界、病気のハンデを持った私でも迎え入れてくれるのがIT業界であり、そこで今私は次の世代の若者たちを育てている。

23年前、私を快く迎え入れてくれなかったIT業界は天国ではなく地獄だった。
でも今は違う。

ここは天国だ。

おしまい

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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