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1991年生まれにとっての1991年:ロズニツァ『新生ロシア1991』を観て

 セルゲイ・ロズニツァ監督『新生ロシア1991』を観た。同監督の作品を観るのは、先日公開された『ミスター・ランズベルギス』に続いて二作目。備忘録として、いくつか考えたことを記しておく。
 
(※半分以上が映画には直接関係ないことを書いているが、ネタバレについては各自の責任でお願いします。)

捉えどころのない映画だと思った

 『新生ロシア1991』の英語タイトルは"The Event"、つまり「出来事」。これら二つの作品は、同じ「出来事」すなわちソ連崩壊を、それぞれロシアの側(『新生ロシア1991』)とリトアニアの側(『ミスター・ランズベルギス』)から描いたものと言えそうだ。
 『ミスター・ランズベルギス』はリトアニア独立運動に取材した、わかりやすい構成を持った映画だった(以前書いたこちらの記事も参照していただきたい。人、人、人。人しかいない映画:『ミスター・ランズベルギス』を観て)。
 対して、今回観た『新生ロシア1991』は、ソ連8月クーデター(1991年8月)へのロシア市民の抵抗に取材した作品であるが、比較的淡々とした調子の作品である。随所に挟まれる「白鳥の湖」の音楽がどこか滑稽というか、不条理な感じを醸し出してもいる。わかりやすく劇的な展開のある作品ではないので、観る人によっては退屈に感じるかもしれない。私は退屈というわけではなかったのだが、どういう視点でこの映画を観ればよいのだろうかということを終始考えながら鑑賞することになった。当時のことを知っている人や、ソ連・ロシアに関わりがある人が観れば、おそらく興味深い点がたくさん見つかるのだろう。ぜひ皆さんの感想を聞いてみたいところである。

私の1991年

 私は1991年、つまりソ連崩壊の年に生まれている。当然のことながら、その「出来事」についての記憶はない。しかし同時に、自分が1991年生まれであるというたった一点において、私はソ連について関心を持っている。もしこれが1990年生まれとか1992年生まれだったら、たぶん私はソ連になんの関心も抱いていなかったのではないかと思う。単に自分が1991年生まれであるという、どこまでも偶然に過ぎない事実が、私のソ連への関心を繋いでいるのである。
 第一次世界大戦が勃発した1914年からソ連崩壊の1991年までを「短い20世紀」と呼ぶことがあるように、1991年という年には世界史的、精神史的な分断線が引かれている。
 「短い20世紀」つまりソ連という極が存在した時代、この世界にはある種の秩序があったのだと思う。特に戦後は冷戦構造と呼ばれるものがあって、そこにはさまざまな問題があったにせよ、ある意味では世界はわかりやすいものだったのではないだろうか。要は、世界は右か左かに分かれていて、自分はそのどちらにコミットするのかを考えさえすればよかったのだ。
 しかし、ソ連崩壊以降、そういうわかりやすい左右の対立はなくなった。私は長い間、左とか右とかいうことの意味がピンとこなかった。今でも実感としてよくわかっていないところがある。現在では保守vsリベラルという対立軸があるが、宇野重規も指摘しているように、本来、保守とリベラルとは綺麗な対立軸を形成しないはずである(『日本の保守とリベラル』中公選書)。ふつう、保守の反対は革新であり、リベラル(自由)の反対は権威主義だ。保守とリベラルとはねじれの関係にある。ことほどさように、現代の世界はわかりにくくなっている。

 1991年、大きな物語は消滅し、単純なイデオロギーは効力を失った。それは個々の人間を直に捉えることができるようになったという点で喜ばしいことなのかもしれないが、別の見方をすれば、人々は自らを世界に有機的に位置づける手立てを失ったということでもある。
 私は、世界がどうなっているのかがわからない。政治がわからない。私には世界がカオスに見える。1991年以降、世界はあまりにも複雑になった。「世界はいつだって複雑だった」と叱られるかもしれない。もちろんその通りだろう。しかし、イデオロギーなき時代に生まれることは、なかなか辛い。世界にアンガジェするための足がかりがない。イデオロギーに支えられたアンガージュマンなどもしかしたら不健康極まりないのかもしれないが、そうだとしても、人はイデオロギーなしには世界との接点を見出せないものではないだろうか。それは、宗教が決してなくならないのと同じことだと思う。イデオロギーとはイデア(観念)についての学、つまり世界を見る際の根拠を私たちに与えてくれるものだ。それがないと、世界をどう捉えてよいのかがわからなくなる。
 世界との接点が見出せないということは、言い換えれば、迷子になるということである。地図がないということである。「地図さえない それもまた人生」なのかもしれないが、実際に迷子の人にそんなことを言うのは厳しすぎる。迷子は、間違っているかもしれない地図でも、とりあえず手に入れたいと思うだろう。そうやってカルトにハマっていく人間も出てくるのだと思う。

 話がどこに向かっているのか自分でもよくわからなくなってきた。
 しかし、とりあえず私は、カルトにハマりたいとは思わない。もし変な地図を手渡されても、丁重にお断りしたいと思っている。右とか左とか、簡単に自分を位置付けたいとも思っていない。安易なアンガージュマンも避けたい。できれば「ゆるふわ」に留まりたいと思う。しかし、そのためには、ただぼーっとしていればいいわけではない。
 1991年生まれの私にとっては、1991年という年がどういう年だったのか、そしてそれ以前には世界はどんなふうだったのか、それを知ることが今の世界を知るための唯一の手がかりであるような気がしている。それは、昔の自分はどんなふうだっただろうかと思い出そうとすることに似ている。私には1991年以前の記憶などあるはずもない。しかし、なぜかそれが自分にとっては喪失された記憶であるような錯覚を抱いている。それを思い出さないと、なぜ今自分がここにいるのかということがわからない。なぜ世界がこうなっているのかもわからない。

нет

 нетというロシア語を、2022年に初めて知った。言うまでもなく、ロシアのウクライナ侵攻以降のことである。Нет войне. 戦争反対。SNSでも街頭でも、世界中の人がこの言葉を掲げた。ただ、ロシア国内でだけは(同盟国でも同様かもしれないが)、この言葉を掲げることは違法とされた。この言葉を掲げた人々が拘束、逮捕されていく映像を私たちは連日ニュース映像を通して見た。
 だから、今回の『新生ロシア1991』で、このНетという言葉が書かれたプラカードや横断幕を掲げたおびただしい数のロシア市民たちが街頭に繰り出していく映像に、私は強く印象付けられた。1991年のロシアの群集は「Нет共産党独裁!」「Нетファシズム!」という言葉を叫んでいた。
 今ロシアで「Нет」を掲げて拘束されていった人たちは、あのときの彼らと同一人物なのだろうか。それとも全然別の人たちなのだろうか。

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