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【読書日記】安田浩一『団地と移民』

安田浩一(2022):『団地と移民――課題最先端「空間」の闘い』KADOKAWA,270p.,920円.


本書は2019年に出版された単行本に加筆修正し,角川新書として出版されたもの。著者の安田浩一さんは,私がここのところよく観ているYouTubeチャンネル「NO HATE TV」に野間易通さんと2人でやっているノンフィクションライター。以前は女性週刊誌で下世話な記者をしていたそうだが,2001年にフリーになって,日本中に巣食うひどい話を中心にジャーナリスト活動をしている。
そんな安田さんは静岡県出身だが,親が転勤族でいろんな場所に住んだという。そんななか,町田市の山崎団地に住んでいたことがあるという。本書の冒頭に,2019年自身の母親とともに42年ぶりに山崎団地を訪れた時のことが記されている。「団地の生活にもっとも溶け込んでいたのが彼女だった。」(p.15)と書く。もちろん彼女は母親のこと。私も団地で育った。山崎団地ほどではないが,私の育ったわしの宮団地は3街区まであり,私の住む2街区が一番大きく,42号棟まであったので,全部で100近い建物があり,棟によって戸数は違うが私の住む棟は階段が5つあり,左右5階までで10戸,合計50世帯が住む。3~4千世帯は入居できる団地だったのではないだろうか。団地の子どもたちだけが通う幼稚園と小学校に通い,同じような家族構成が多く,子どもを通じて家族ぐるみの付き合いがあったのは間違いない。当時は本当に勝手に友達の家に上がり込んで過ごしていた。私は小学校を卒業した長男を育てているが,小学校低学年までは放課後に友達と遊ぶ約束すら,親同士の連絡(しかもSNSなどでつながってなくてはならない)が不可欠で,お互いの家に遊びに行こうものなら大変だ。
まあ,ともかく1964年生まれの著者,そして1970年生まれの私にとって団地は特別な想いのある場所なのだと思う。近年,団地を題材とした映画が多い。実写のフィクションがあれば,ドキュメンタリーもある。アニメ作品も最近は増えている。それは,本書にも書かれているが,60年前に戦後復興の希望として登場したいろんな意味で新しい生活を体現した「団地」という存在が,古臭くなり,憧れどころか高齢者の吹き溜まりとなり,そして外国人たちが集住する場所となる,というように変容したことにある。当然のことだが,変容が悪いわけはない。しかし,語り口としてはまさにそれが問題であるかのように語られ,そう語られることで実際の問題が起きてしまう,という側面もある。ともかく読んでいこう。

まえがき――団地は「世界」そのものだった
第一章 都会の限界集落――孤独死と闘う
第二章 コンクリートの箱――興亡をたどる
第三章 排外主義の最前線――ヘイトへ抵抗する
第四章 パリ,移民たちの郊外――レッテルを塗りつぶす
第五章 残留孤児の街――歴史の中に立つ
第六章 「日本人」の境界――差別と分断に屈しない
あとがき――団地は,移民のゲートウェイとなる
新書版あとがき――差別を打ち返す言葉の銃弾
主要参考文献

本書は学術書ではない。基本的に研究者が書く一般向けの新書とは異なり,団地とは何か,その歴史についてもまえがきで簡単に辿られている。第一章はまず高齢化問題。本書には団地に住む人々の属性に関する統計データなどは出てこない。ただ,統計データなどで語られる全体の状況では把握できないような,当事者の声を聞き取っているのがジャーナリストによる団地論である。団地建設の初期から長年住み,高齢者になった住民への聞き取りを行い,入居当初の憧れやその新しい生活が,今では単身高齢者の孤独死が大きな問題となっている。本書の面白いところは,そうした問題を抱えながらも当事者たちがなんとかその状態を打開しようとしている姿をも描いていることだ。孤独死をなくそうと,さまざまな取り組みをしている人の話がある。第二章では日活ロマンポルノの「団地妻」シリーズについて詳しく追及しているところも面白い。
第三章は団地に外国人が多く済むようになった問題を論じている。元々日本人が住んでいた団地が高齢化し,空き部屋に外国人が住むようになって生じた問題を,日本人/外国人の軸としてだけではなく,世代間の問題としていることが重要である。引退し,一日のほとんどの時間を団地で過ごす日本人高齢者に対し,労働者として来日した外国人は日中は働いており,団地にはいない。団地という街は私が育った団地がそうであったように,建設された時期に小さな子どもを持つ同じような世代が一斉に入居し,そのまま年老いており,いわゆる世代の混成は起こらなかった。そこに多国籍の混成が起こってしまうのだから,問題は複雑だ。そして,反ヘイト運動にも与する著者が特に強調しているのは,団地のみの問題ではなく,そうした外国人が集住するというところに付け込んで,ヘイトスピーチを行うようになった右翼集団の存在である。団地に住んでいる日本人高齢者の困りごととは別次元で,かれらは「外国人はこの国から出ていけ」と叫び,それが報道され,SNSで拡散され,全国のネトウヨたちの支持を受け,日本中の団地というものがそういうものであるように認識されていく。しかし,当の団地では日本人居住者たちが,外国人との相互理解を促進するような活動も行っていることが知らされる。
第四章で,著者は何とパリへも取材に行っている。私もパリの郊外団地の移民の若者を描いた『憎しみ』のような映画も観ていたが,基本的に移民政策のない日本と違って,旧植民地から大量の移民を受け入れざるを得なかったフランスではアルジェリアを中心とするアフリカ諸国からの移民が多く,かれらもまた郊外の団地に集住しているのだ。北アフリカのマグレブ諸国はイスラーム教徒も多く,そのなかからはイスラーム過激派に影響を受け,フランス国内のテロ活動に身を投じた者もおり,問題は深刻だ。ある意味では日本とは比較にならない。フランスの中でもそうした団地は危険視されているが,著者は実際に取材のために訪れ,そうした訪れたことのない人たちが流布するイメージとは異なり,ごく平凡な日常生活が営まれている風景が広がっていたという。とはいえ,当然問題がないわけではない。移民の多くは貧しく,職を得られていない人も多い。政府や自治体からの支援も薄く,支援団体がかれらの生活を支えている。この取材にはフランスをフィールドとする日本人社会学者が協力しているという点は面白い。また,この章では中国人が集住する団地についても取材をしており,そちらも興味深い。
第五章は広島の再開発団地の話である。地理学者の本岡拓哉氏の『「不法なる」空間に生きる』は戦後の日本で,住む場所もない人々が焼け野原にバラックを建てて生活をしてきた姿が多く描かれている。そうした人たちには帰還兵や植民地からの引揚げ者,そして植民地からさまざまな形で日本にやってきた人たち,そんないわば日本政府から日本国内に住むことを歓迎されない「棄民」が多い。広島は扇状地に拡がる都市で,海に注ぐ川が多い。戦後の広島といえばもちろん原爆によって破壊されたわけだが,河川敷というのは本岡氏の研究でも重要な土地で,バラックを建てる人たちがここなら人の迷惑になりにくいだろうと積極的に選び集まって暮らしてきた土地である。そういう意味で,広島でもそうした地区は多く,ごみや排泄物はそのまま川に落とされた。そういう人々の必死な生活空間は,復興してきれいになっていく都市行政にとっては邪魔者以外ではなく,さまざまな形でかれらを追い出し,再開発がなされていった。広島でも例外なく,バラック街を撤去し,そこに1978年に最高20階建ての基町アパートが建設された。本書ではこのアパートの清掃員として30年以上働くガタロという方の話を聞き取っている。清掃員をしながら雑巾などの事物を描く画家でもある。またこのアパートは中国残留孤児の受け入れともなったとのことで,近くの公民館で日本語教室が開かれていたなどの話が展開する。
最終章は愛知県の保見団地の話でまとめられている。役所広司が主演する『ファミリア』という映画があったが,トヨタ関連の労働者として日系ブラジル人が集住するこの辺りの地域がモデルとなっているように思われる。保見団地はそうしたブラジル人が多く住む地区で,政府による移民政策の日系人の扱いなどの歴史が説明され,現地で起こっている問題を,それを実際に住民がどう解消しようとしているかなども含め報じている。本書の副題に「課題最先端空間」とあるが,彼が人生の一時期住んでいた「団地」に彼が現在ジャーナリストとして取り組んでいる日本の問題が,凝縮しているということを訴える一冊だ。学術書と違って,メディアなどでイメージ的に語られる「問題」の実態を明らかにしようとするのではないが,イメージとは違う側面を強調しようとしている。その違う側面の重要なひとつのことは,問題といわれているものを解決しようとしている人たちの存在である。そこにある種の希望を見出し,可能なら自らのジャーナリスト活動もその希望の位置役を担いたい,そんな本だと思う。

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