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くだり

何と言うか考えれば、考えてみても、はっきりとしないことで、子供らの頃、学校が終わって近隣の子供らと遊ぶが、例えば屋外で遊ぶ際、誰が何をして遊ぶのか、それをどの時点で取り決めるのか、いつの記憶をたぐっても判然と成らない。

また、子供ら独特の、屋外で遊ぶ場所が決まっていることが多く、空き地、公園、駐車場、道端、など、あるが、これも一体誰が決めていたのだろう。
いつの時もそこに行ったら、もう誰かが遊んでいた記憶がある。
町内会長のような人間が居たのだろうか。
会議がそれであったのだろうか。

自分がそれらをあまり記憶していないと言うことは、私は所謂、町内会の人間ではなかったのだろうか。

またはそんな決め事や報告など、なんにも無かったのかもしれない。

遊びにそれらは要らないと言うことかもしれない。

だろうか。

今起床して、
「あれ、枕に青のりが付いている。何故だろう。昨晩、青のりがかかっていた品を何か食べたかな。ああ、あれか、コロッケか。いやコロッケには青のりはかかっていなかった、多分。何だろう。豆腐には関係無いしもやしにも青のりが含まれている筈は無い。まあいいか。水飲もう。ぐう。うおお腰がいてえ。」

水をコップ一杯飲んで、何気無くもう一度枕を見れば、それは青のりではなく、ただの黒っぽい繊維の屑で、子供らの記憶と適当、純粋な判断が頭の中でひとつ、糸のような形で繋がったので、おはようございます。

現実

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