映画レビュー『好色日本性豪夜話』

 3月12日から映画館「ラピュタ阿佐ヶ谷」では「六邦映画 6つの桃色秘宝」と題した特集を組んでおり、そのうちの一作である『好色日本性豪夜話
』を鑑賞してきた。

(http://www.laputa-jp.com/laputa/program/roppoueiga/)


 冒頭から「21世紀はSEX革命の世紀となることが識者により論じられている」など、のっぴきならない表現が行き交うこの映画はしばしば「実写&アニメーション」という点が珍奇と強調されるが、アニメーションを入れたことによる効果がさほど感じられる訳ではない。

 竹内一郎はその著書の中で小説の舞台化ともいえるような、会話主体で動きのない漫画を田川水泡らに代表させ、そうした漫画と対比し「動き」のドラマチックな強調を手塚治虫の特徴の一つと整理したが(『手塚治虫=ストーリーマンガの起源』)、この映画ではアニメーションだからこそ為せるという演出のためにアニメーションが選択されているというよりは、鬼数人と一寸法師の戦闘シーンが実写だとやりにくいというような消極的な理由でアニメーションが選択されているという印象が強い。

 だが作中の「私、月の都の人間なのです」というかぐや姫に「宇宙人!?」と応えるばあやの掛け合いなど随所になんともいえないコミカルな逞しさがあって爽快だし、山姥の「逆レイプ」に対する男性の反応に見られるエイジズムや一寸法師の「男性自身」(作中での表現)のサイズをめぐる悩みやかぐや姫の貞操をめぐる問答などは、当時から現在に至る日本の性風俗・文化を考える上で面白い示唆を与えている。


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