映画超人の作り方、教えます

 昨今、若者を中心に「ファスト映画」「倍速視聴」といったさまざまな新しい映像作品の鑑賞法が広まっているが、とうとう都内にこうした新しい鑑賞方法を教えると謳(うた)う専門のカルチャースクールが登場した。
 
 豊島区に位置するこのカルチャースクールの名前は、「ニュー・シネマ・パラダイス」。一見、なんの変哲もない雑居ビルだが、「映画超人の作り方、教えます」をキャッチコピーに、一階から最上階までビルの全てのフロアを借り受け、忙しい現代人に最適な、新しい映像作品の鑑賞方法に関するレッスンや研究を行う施設となっている。
 
 各フロアでは異なるアプローチがレッスンされており、そのテーマに応じてフロアの名前も異なる。
 
 一階の名前は「リュミエール」で「いかに速く映画を見るか?」ということをテーマとしている。入門者向けのコースでは、いわゆる倍速視聴などが実践されているが、中級クラスに進めばさらに三倍速、四倍速と速度が速められ、最上級クラスの生徒は再生速度を7200倍程度にし、1秒で2時間の映画一本を再生し、しかも完全に理解するという。
 
 最上級クラスの生徒でこの領域に達しているのであれば、講師はどのような視聴を行っているのか。このクラスの講師の出口さんに尋ねたが、実は出口さんはもう映画を鑑賞することはできない。出口さんによれば、その理由は映画の原理にあるそうだ。
 映画はそもそもスクリーンに映像を投影するものであり、映写機から光が放たれスクリーンに届き、そこで反射した光が観客の眼に飛び込むまでには、ほんのわずかとはいえタイムラグがある。であれば、映写機から放たれる光そのものを見つめることこそ最も速く映画を見る方法ではないのか——そう考えた出口さんは、映写機の強い光を見つめ続け、その光に乗せられた視覚情報を理解しようとトレーニングをする過程で視力を失ってしまった。
 
 「オデュッセイア」と名付けられた二階は少々変わったフロアで、部屋の中に小川が流れているほか、夥しい数の水槽や炎をゆらめかせるストーブや暖炉、キャンドルが立てられ、窓の数も多く空が広く見える設計となっていた。ここでは生徒は誰一人として「スクリーン」に映る映画を見てはいない。川の水面を眺めたり、水槽の中で揺れる海藻をじっと見つめたり、炎の中をひたすらに覗き込んだり、空を見上げたりしている。このフロアの講師の滋明(しみん)健さんは「このフロアのコンセプトは、基本的には一階と同じです」と語る。
 
 「映像を見る時、ひとはゼロコンマ数秒とはいえ過去の自分の網膜に映った映像を、さらに脳内でその意味を考えて、あっこれは自然風景だ、とか銃が撃たれている、とか考えるわけでしょう」
 
「つまり、映画を見るとは過去を絶えず解釈し続けることだと思うんです。そうであるとすれば、最も良く映画を見るためには、まず過去を最も良く解釈できなければいけません。だから、このフロアではまずひたすら自らの過去を見つめてもらいます。揺れ動く水面、蝋燭の炎、雲が揺蕩(たゆた)う空、この全てがスクリーンなのです。そこに自らの過去を見出していくことこそ、より良く映画をみる技術へと向かう、修練なのです」
 
 道士の修行場のような二階の静寂さとうってかわって、三階にのぼると様々な種類の荒い声が耳を襲った。人間同士が殴り合い、肉が叩きのめされる音、口から勢いよく飛び出た歯が床を跳ねる音、うめき声、性交、乱交あるいは自慰による性的快感と痛みによる嬌声や悲鳴、およそソドムの市で聞こえうる全ての種類の音がこのフロアを満たしていた。「感情教育」と名付けられたこのフロアのインストラクター筆登(ひっと)さんはこういう。
 
 「情動こそ映画の本質です。たとえば『ファイト・クラブ』を映画館で友人と見て、その帰り道に路上でその友人と殴り合うのではなく、紳士然と歩いて『あの映画はよかったね』などと嘯(うそぶ)くようであれば、果たして『ファイト・クラブ』を見たなどと言うことができるでしょうか? まさかビルを爆破しろとまでは言いませんが(笑) 映画の本質とは感情であり、情動です。その映画の持つ情動を正しく汲み取らなければ、たとえ同じ映画を100回みようが、その映画を理解することはできません」
 
 こう言う間にも筆登さんは記者にひたすらに殴りかかってきたが、彼の背後から一人の女性が金的を喰らわせ、床に筆登さんは崩れ落ちてしまった。
 
 四階の名前は「マイノリティ・リポート」。このフロアの講師である李淳さんはインタビューの開口一番に「映画の世界に不完全性定理は存在しません」と言った。
 どういうことか。「作劇術、物語論、神話の構造、これらに通暁した者にとって、映画は120分をかけて見るものではありません。例えば『千の顔をもつ英雄』を読破し、理解した人間にとって、『マッド・マックス』や『スター・ウォーズ』とは90分や120分をかけて見る映画ではない。最初の10分で登場人物の布置、その信条、性格と世界観を理解すれば結末に至る全てを予測することができるのです。お望みであれば、上映時間が終わった後も続いていく、作品の中の未来をも——」
 
 「私はラプラスの悪魔だ」と語る李さんを師としたこのフロアでは「『死ぬまでに見たい映画1001本』を1日で全て見る」というコースがあり、スクリーンには名画の冒頭のワンショットが瞬く間も無く次々と映し出されていた。観客は、そのワンショットで「作品の全てを完全に理解した」としきりに頷いていたが、瞬いている間に数本の名画の冒頭が映し出されていて、それを見逃していることには気づいていないようだった。
 
 五階も四階と似ているが、趣向がやや変わっている。講師は「映画は映像+音などと言いますが、本当のところは音に尽きるのです。映画の最初に聞こえる声または音。それはまさしくその作品の通奏低音なのです」と語る。その講師によれば、映画という映画を吟味し尽くした彼は目隠しをされた状態でどのような映画が上映されていても、何の映画かすぐに言い当てることができるという。
 
 さっそく、記者が講師に目隠しをし、「では、上映します」と言い映画の上映を始めるやいなや、講師は「はい、『ヒート』ぉ! マイケル・マン!」と叫んだ。記者が「フォードの『アイアン・ホース』です」と答え合わせをすると、講師はしばらく呆然としたのち、けたたましい笑い声を上げ「國民の産声が聞こえる、ああ、リリアン・ギッシュが私を呼ぶ声が…」と呟きながら、奥の部屋へと消えていった。
 
 最上階への入り口の前には、一人の老人が座していた。恐らく、永年身を動かしていないのであろう。尻の肉は腐りつつあり、垂れ流された糞尿とともに座布団のようになって床との別をとうに失っていたようだった。

 汚辱の中にただずまい、ただ遠くの一点を見つめるその姿には、劫初より人を寄せ付けたことのない自然の中の大樹のような静けさがあった。小声で老人が呟く。それは、何人へ向けたとも知れぬような音量であり、その老人の声に、私はむしろどんな沈黙にも感じたことのないほど静寂に身を浸したような心地がした。私は耳を澄まし、その声量の慣れた頃合いになって、ようやく言葉が聴き取れるようになった。
 曰く、制約こそが映画の本質。座席に縛られ、便所にも行けずに映画を端から終いまで見なければならぬ… 不自由こそが映画の本質。故に映画を知らんと欲すれば、まずは映画を見てはならぬ… どんなに見たいと思えども…
 
 老人の傍をそっと通り抜け、最上階への扉を開けるとそこにはうってかわった明るい青空があった。暗闇に慣れた記者の眼を、太陽が射る。ビルの屋上とも思えぬ、渺茫とした豊かな庭園を、質素な、しかし清潔な衣服に身を包んだ老人たちが床につきそうなほど長い白髯を手でしごきながら歩き、映画について歓談していた。その姿は、どこか老荘の境地に遊ぶ魏晋南北朝の賢者を思わせた。
 
 左手を歩いていた老人の一人が、記者に気づくと、莞爾してこういった。「ほら、お急ぎなさい。溝口の『狂恋の女師匠』がかかりますよ」——すると、右手の方から、別の老人の「『エロ神の怨霊』をお見せましょう」という声が聞こえる。
 
 記者は問うた。「スクリーンも何もないではありませんか。第一、溝口の『狂恋の女師匠』も小津の『エロ神』も、フィルムは残っていないはずです」、と。
 
 すると二人の老人は呵々と笑い、「好漢、未だ不映之映を知らぬと見える」と声を揃えて語った。
 「空をご覧(ごろう)じなさい。此れまでに見た全ての溝口の作品を、あるいは小津の作品を想い起こしなさい。己を空しうして、巨匠の魂に心を重ねれば自ずと『狂恋の女師匠』も『エロ神の怨霊』も向こうから心中(しんちゅう)にやって来ます」
 
 秋空を指差した老人は、「それを作れば彼は来る」と三度(みたび)唱えた。すると、これまでに見たどの彼の写真にもない肉感を伴った、幻影と呼ぶにはあまりにも鮮やかな溝口健二の像が、空に浮かび上がった。
 続いてスタンダアド・サイズの銀幕が空に浮かび上がり、先程まで高々と昇っていた太陽は、まるで照明のように沈むまでもなく光を消した。
 
 不可解な出来事に、私が狼狽え何事かを発する間もなく、「そら、かかりますよ」と老人が柔和に言った。
 
 
 私は左右を見渡し、慈愛に満ちた老賢者二人の眼差しに照らされ、我を失い、気がつけば二人を屋上から地上へ投げ落としていた。
 
 映画とは、過去であり未来であり、現在である。映画とは死への恐れと同時に欲求を昇華し、エロスとタナトスの受け皿となり、暴力と愛の場であり、再生と破滅の舞台である。私は老人を、出会った刹那のうちに愛していたと悟った。
 落ちてゆく老人の断末魔が、いつしか消えたと思うとどこからか幾つもの声が聞こえてきて、それが幾層にもかさなっていった。
 
 “I met a traveller from an antique land...”
Elle est retrouvée. Quoi ? – L'Eternité...
 サヨナラだけが、人生だ……

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