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集落の見えにくい自活力

90世帯弱の集落に住むゲンヨウです。地域(小学校区:平成の合併前は村)の中では大きいほうの集落です。農業が主な産業です。今日は集落の作業に参加して思ったことを書きます。

1.集落の共同作業とは

地区では年に2回、一斉清掃という名前で溝の泥を書き出したり、草刈りをしたり、農村公園の整備をしたりします。地域によっては”ソウゴト”と呼んだりして、田んぼの水路の維持管理だったり、イノシシの防護柵の設置をしていたりします。

農村公園は、毎年集落の納涼祭をやる場所で、手作りの屋台が並びます。7月の最終週にやることが多くて、僕は焼きそば担当です。ぼちぼち集落の人が集まる行事になっていて、交流を深めるには良いかなと思っています。

2.やってしまおうで始まる

今年の一斉清掃は7月の上旬にやってしまっていたのですが、そこで公園内の木が気になったようです。テントを立てたり、その他いろいろ引っ掛かりそうだということで、別日でやることになりました。班長(約10軒に1軒が持ち回りで行う役職:回覧を回したり集金したりする役)と3役が集まって10名で作業することになりました。

チェーンソーを巧みに操り、木を細かくしてくれる。

10名のうちチェンソー持ちが3名いる・・・(うちも壊れてたけど、昔はあったらしい)冒頭の写真もそうですが、軽トラは農業をやっている家はほぼ持っています。草刈り機も同じくらいの割合、更にチェーンソーだったり、庭木の剪定をするための機械とか、出るわ出るわ。

つまりこういうことなんですが。実際の作業時間は6:00スタート、7:30終わりでした(早っ)。

3.見えてない自活力

過疎化、少子高齢化、田舎は支えられているイメージが多いですが、実は自活力がめっちゃあります。公園整備も、集落の人が集まれば10人一時間で、すごい量の草刈りと木の剪定も終わってしまいます。しかも道具持参。

軽トラレンタカーもしなくて良いし、チェーンソーとか業者に頼まなくて良いし、かかった費用は水分補給のお茶代+燃料代だけです。

やれることは、やれる範囲で自分たちでやるのが自治の基本だと思っているので、そのことはすごく良いことだと思います。うちの集落は大工さんもいるので、壊れた部分の修繕についても相談できているし、場合によっては材料費だけでやってくれたりします(ちゃんと請求してもらう工事もあります)。

ただ、それが当たり前というか、見えないままになっているのはまずいなぁと思いました。今回の作業に出てきてくれた人は、口々に「この作業は10年ぶりくらいじゃないか?次は、ワシは生きとらんぞ」なんて話をしてました。多くが70オーバーです。少なくとも同じくらい元気に動くのは難しいと思います。

そうなった時、50歳になった僕はチェーンソーを振り回せるだろうか、軽トラを持ち寄れる家は何軒あるのか、大工さんはいるのか・・・。僕らの世代はそこまで農家はいません(まだ砂丘らっきょうの産地なので若手農家が多い方ではあります)。

4.見えない自活力をカウントしておこう

今の地域維持に力を出してくれている人たちの技術力とか、道具が揃っている状況とか、見えていない地域の自活力を若手や地域の行政は意識しておかないと、いけないと思います。

昔はできてたんだけど、気づいたらできなくなることが増えるような気がします。じゃあ、少なくなった農家だけで頑張ればいいわけでも、税金投下して農村公園を維持するわけでもないかなと・・・ちゃんとした議論が必要になると思います。

僕はチェーンソーをちゃんと使えるようになっておきたいなと思ったし、草刈り機は使える、軽トラは出せる。みたいな感じで地域で共有しておけば、準備が徐々にできるのではないかなと思ったわけです。集落で稼いで草刈りバイトを雇ってもよいのかもしれません(ずっと学生たちに教えていこうかな草刈り)。

綺麗になった後です。かなりの強剪定、大丈夫かな・・・どきどき。

田舎の自活力の源泉は農家が多いということでもあるので、農業振興も大事だなと思いました。みんな、鳥取の砂丘ラッキョウを食べてください。

本原稿は”集落の経営ノート”というマガジンに登録されています。集落の経営ノートを書こうと思った経緯や僕については下記を参照してください。


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