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チョコを口に含んだ瞬間の奇跡

ずいぶん昔の話だけれど、ジュリア・ロバーツ主演の映画「プリティ・ブライド(原題:Runaway Bride)」を観たときにとても共感した場面があった。ジュリア演じる主人公の女性が本当に自分の好きな卵料理はどれかと、一つ一つ確かめていくシーンだ。いつも周囲に気を使いすぎ、相手の男性に合わせて、相手の好きな卵料理を自分も選んできた主人公。ところが、おつきあいしている男性と婚約まで進んでも結婚式当日にいつも逃げ出すのが毎度のことになってしまった、というところから映画は始まる。

映画なので、エピソードの描かれ方はかなりデフォルメされているけれど(だからとても分かりやすい)、主人公がスクランブルエッグや目玉焼きやポーチドエッグなど、一通りの卵料理を目の前にずらりと並べて、一つ一つ食べてみて、自分が本当に好きな卵料理を探し出すシーンが心に残った。物語としては当然のことながら、最終的に主人公は「私が好きなのはこれだ!」と見つけるわけだけれども、映画の題名は忘れても、このシーンだけはずっと心にひっかかったままだった。

思えば、私も周囲の意見や世間一般の価値観に流されやすい人生を送ってきた。自分の好みや行動基準というよりは新聞や雑誌で評判の店やファッションというものに影響されてきた。

バレンタインもそうだ。なぜチョコなの、と思いながらもそれに抵抗もせず、義理チョコはどこまで渡せばいいのかということに心を砕いたりしてきたものだ。しかも、本当に大事な人に渡すチョコまでも、去年までは大きなデパートの特設売り場で見栄えがよくコスパがいいものを味見もしないで選んできた。入口付近の2、3店舗をちょっと見比べただけでだ。中は大混雑しているし、どれを選んでもそれほど変わり映えしないだろうし、そもそも相手にチョコのブランドなど分かるはずもない。味はどれも似たり寄ったりだろうし、と言い訳はいくらでもあった。

今年はそれをやめた。私は今、すべてにおいて流されやすい人生からの脱却を図っている真っ最中だ。バレンタインもこれまでのような惰性ではなく、自ら積極的に選ぶ姿勢で臨んだ。

プリティ・ブライドの主人公ではないが、目の前にずらりと並ぶ卵料理ならぬチョコを一つ一つ味見して、私が納得できるもの、本当に相手に贈りたいものを時間をかけて選ぶことにした。

とはいっても、行き先はやはりデパートの特設売り場なのだが、今年は意気込みが違う。入口の店舗から必ず1店舗ずつ足を止めて、店員さんが熱心に宣伝するその店の「売り」を頭に入れて試食用のチョコを食べる。ゆっくりと舌と上あごの間で転がし、硬さや風味、溶けていく感触の違いを吟味した。ところが店員さんの売り文句にかなり期待を込めて口にいれても、思ったほどの意外性がなかったり、衝撃を受けるほどの味にはなかなか出会えなかった。

どれも決して美味しくないわけではないのだけれど、ガツンとくる特徴がないのだ。期待したほどの風味もない。オレンジやベリーといったフレーバーが足されているものは確かにその香りが広がるものの、チョコ自体の味わいが薄いような気がした。いくつか試食するうちに、私は舌の上でじわじわと溶けていくのが好みなのだと分かってきた。ぴったりと好みに合う溶け方をするチョコになかなか巡り合えない。歯を使わないと砕けないほど硬いものや、味わう間もなく溶けてしまう柔らかいものばかりだ。

端から順番に十店舗くらいの試食用チョコを食べた時点でかなりお腹がいっぱいになってきた。摂取カロリーも相当なものだ。

納得のいくチョコに出会う前に鼻血が出そうだ。うーん、結局はどれも似たり寄ったりなのかと思い始めた、その時!(よくある展開だが本当のことだ。) 試食用に出されたチョコを口に含んだ瞬間、奇跡が起きた。

そのチョコにはほどよくコニャックが入っていて、硬すぎず、柔らかすぎず、舌と上あごでつぶすように含むとゆっくりと溶けていく感覚がしっくりきた。口から鼻に抜けるカカオの風味も豊かだ。

ふいに、あげたい人の顔が浮かんだ。その人の喜ぶ顔が見えた。――驚いた。こんなことってあるんだ。

「これ、ください!」

とても幸せな気持ちになった。

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