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芸能事務所をクビになった美女…驚愕の結末が話題のサスペンス長編 #4 それを愛とは呼ばず

妻を失ったうえに会社を追われ、故郷を離れた五十四歳の亮介。十年所属した芸能事務所をクビになった、二十九歳の紗希。行き場を失った二人が東京の老舗キャバレーで出会ったのは運命だったのか。再会した北海道で、孤独に引き寄せられるように事件が起こる……。驚愕の結末が話題を呼んだ、直木賞作家・桜木紫乃さんの傑作サスペンス長編『それを愛とは呼ばず』。二人の運命が動き出す、物語のはじまりをご紹介します。

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2 銀座・紗希

千鳥ヶ淵の桜が満開というニュースが流れた。白川紗希は朝食を作る手を止めて、テレビに映る満開の桜を見た。朝も昼も、ワイドショーには決してチャンネルを合わせない。スキャンダルもおめでた速報も、第一線で仕事をしている人間の証だ。スポーツ新聞の見出しやワイドショーのテロップが曖昧な語尾で疑いを強調すればするほど、スター性が高い。確定じゃなくても話題性は充分。スキャンダルもスターの仕事だ。タレント事務所に所属しているというだけで、ほとんど仕事のない紗希にとって、ワイドショーのネタになるようなことはなにひとつなかった。

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オールブランのシリアルとヨーグルト、温野菜と目玉焼きをテーブルに並べ、両手を合わせる。深呼吸をひとつして、ヨーグルトを口に入れた。ここ十年変わらずにある朝の儀式だ。

紗希が全国美少女発掘プロジェクト「これが美少女だ」コンテストで準優勝をしたのは高校一年のときだった。

書類選考で北海道予選を突破し、東京で行われた公開審査でもラスト十人のひとりになった。決戦で最終の三人に残っていると報された時点で、所属するタレント事務所が決まった。とんとん拍子だったはずの日々がおかしくなり始めたのは、高校を卒業して東京に出てきてからだった。

「きれいな顔に甘えてるでしょう」というのが、事務所の指導部長から言われた最初のひとことだ。

「田舎じゃ絶世の美女だったかもしれないけど、ここは東京。今は顔なんてどうにでもなる時代だからね。なにかひとつ人の目にとまるものがなきゃ駄目よ」

個性派女優として数十本の映画に出演し、近年はドラマでも手堅い脇役として出演しているベテランだった。皺もシミも受け入れ、目も鼻も、一箇所も手を加えていないというのが自慢のひとつだ。

同じ時期に事務所に入ったタレントで、二年後に残っていたのは六人のうち二人。紗希と、同い年の桐原ゆかりだ。彼女は給料をめぐって事務所と揉めに揉めて、移籍した事務所のてこ入れで出た主演映画が当たった。ときどき歌舞伎俳優との噂が流れては次の男が浮上するという、ワイドショーにはおいしい存在だ。

紗希が週刊誌も読まずワイドショーも観なくなったのは、桐原ゆかりの映画がヒットしたあたりからだった。そのころは紗希にも多少仕事があった。深夜番組のアシスタントやCM出演、情報番組のリポーターもやったし、週刊誌のグラビアも年に数本お呼びがかかっていた。そのころ知り合ったテレビ局のプロデューサーと行った銀座のバーで、店のママに言われた言葉は胸の奥に刺さる細い棘だ。

「北海道の子はねぇ、よほど気をつけて貪欲にやっていないと駄目よ。銀座に出てきてすぐにナンバーワンになるのはたいがい北海道の子だけど、不思議と自分のお店を持つのは九州の子なの」

その言葉と「きれいな顔に甘えている」は、ときどき落ち込みがちな心を更に下へ下へと引っ張ってゆく。

今日のハーブティーは気持ちを持ち上げる効果を期待してペパーミントの葉を使った。一時間かけてゆっくり食事をしたあと、シャワーを浴びる。そして八畳一間にミニキッチン付きのワンルームには不釣り合いなほど大きい鏡の前で、自分の体を隅々までチェックする。

夜に明かりの下で見るのと、陽光のなかで見る裸には、悲しくなるほど差があった。陽光は容赦ないほど肌のくすみや毛穴を、手入れを怠っている部分や気を抜いている箇所を鏡に映し出す。

この陽光に耐えられる体型と肌を維持しないと、グラビア撮影やプラズマ大画面のテレビに対応できない。毎日飽きるほど自分の体に気を遣う日々も、十年も経つとひとつのサイクルになる。すぐに肌に出てしまうので、ここ数年は酒もほとんど飲まない。

紗希は鏡の前でちいさくため息を吐いた。今日も明日も、働く場所は銀座のキャバレーだった。イベントの添えものやドラマのちょい役だけでは生活できないので、事務所もアルバイトを許している。風俗ぎりぎりのお店で働けば実入りもいいが、生き残りが難しくなる。二十九になる今も真正面からタレントとして生き残ろうとするのは、現実が見えていないせいだと言われるが、紗希にとっての生き残りの方法は、露悪に走らず無駄に自分をおとしめないことだった。芸がないならばないなりに、さっさと脱げばいいというアドバイスは耳に入れないようにしてきた。

紗希のアルバイト先は、銀座の一等地にある老舗グランドキャバレー「ダイアモンド」だ。明朗会計と老舗の暖簾と、昭和の時代から変わらぬサービス内容という健全さが売りだ。いつか映画やテレビドラマで脚光を浴びたときに、笑って話せるバイト先として「ダイアモンド」は筋のいい夜の仕事だった。いつ訪れるかわからないその日のために、コメントも用意してある。

「社会勉強と演技の勉強を兼ねて。お店のみなさんも優しくて、とてもいい経験でした」

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昼間の仕事はことごとく面接で落ちた。理由はほとんど説明されなかったが、面接までこぎ着けた先の半数が「別の会社を紹介する」といって連絡をくれた。いずれも電話で話したり会ったりすることが数回で途絶えたのは、相手が「喫茶店でお話」以上のことを求めてきたからだ。今のところ、後々週刊誌記者に突かれて困るようなつきあいはない。

「ダイアモンド」に勤めてから五年が経つ。五年経って気づいたことは、自分は思った以上に他人に愚鈍な印象を与えるらしい、ということだった。好意的な同僚は「おっとり」と表現するが、「とろい」「鈍い」という言葉も耳に入ってくる。いちいち気にしていたのでは、女ばかりの職場でやってはいけない。

陰口も人気のひとつと教わってきたが、果たしてそれがキャバレーの楽屋でも通用するのかどうか。深く考える前に面倒になってしまうところが「愚鈍」というならば、きっとそうなのだろう。

呼吸を整えて、鏡の前で「今日のポーズ」をとった。背中から腰にかけてのラインに、春の日差しが注いでいる。咲き誇る桜が、日差しに淡い色を与えているような気がする。少し濃くなったハーブティーを飲んで、ふたたび深呼吸をひとつ。部屋の壁をぐるりと見回した。

水着姿でジョッキを持っている居酒屋チェーン店のポスター、初めて「週刊バズーカ」の巻頭グラビアを飾った一枚、「これが美少女だ」コンテスト優勝者の隣で微笑んでいるスナップ。小物入れになっている準優勝カップ、リポーター時代の記念写真が、壁から棚から紗希を見ている。

部屋着を着て、日課のヨガを始めたところで携帯電話が鳴り出した。瞼を開くと同時に画面を見ていた。事務所のマネージャーからだ。一週間前に受けたミュージカルのオーディションの結果が出たのかもしれない。脅しかどうかわからないが、このオーディションに落ちたら契約も危ないという告知をされている。息を大きく吸って着信表示をタップした。

「起きてた?」

「はい。朝ご飯を食べて、ヨガメニューに入ったところでした。これが終わったらブログの更新をします」

「相変わらず真面目ねぇ。みんな紗希ちゃんみたいだったら、アタシの仕事もどんだけ楽かわかんないわ」

事務所に入って五人目のマネージャーは三十半ば。見かけは悪役プロレスラーで、タレントよりもキャラクターが濃いというので業界では紗希よりずっと有名だ。

「紗希ちゃぁん」湿度の高い、絡みつくような声が耳に滑り込んでくる。オーディションに落ちたという報せだった。

「そこをどうにかなりませんか、ってアタシも頭下げまくりでお願いしたんだけどね。あのエロプロデューサーったら、いくら頭下げても駄目だって。あとは脱がせるしかないだろうなんて、ひどい言い方よ。そこを譲れるくらいなら、もっと早くに脱いでるわよね。あのタコ坊主、ただの美人しか取り柄がないなら、いっそブスのほうがましだなんてこと言うのよ。整形一切なしなんていうふれこみで売り出す時代は終わったんですって。馬鹿にしてるわ」

紗希はぼんやりと壁に貼ったポスターを見ながら、控えめに自分のなにがいけなかったのかと問うた。

「駄目なものは駄目の一点張り。アタシもがんばったんだけどねぇ。許してちょうだい。あんなヤツに紗希ちゃんのいいところなんて、絶対にわかんないと思うわ」

「いえ、いいんです。いつも面倒ばかりかけてごめんなさい」

ちいさいため息が聞こえた。本気で同情されているのかもしれない。マネージャーと営業が頭を下げても駄目なものは、本当に駄目なんだろうと思うしかなかった。紗希は精いっぱいのねぎらいと自分への叱咤を込めて言った。

「またがんばります。今回は力が至らずすみませんでした」

通話に嫌な間があいたあと、マネージャーがそこだけ妙にゆっくりと言った。

「紗希ちゃん、悪いんだけど、今月いっぱいで契約も打ち切りなの。アタシ、もうちょっと違う角度から売り出しますからって、社長にも専務にも何度も土下座したのよ。でもやっぱり駄目。どこもかしこも、世知辛いったらないわ」

吹きつけるようなため息が聞こえてくる。契約打ち切り。タレントとして死ねと言われたのだが、はっきりとした実感はない。

「その気があるなら、それ系の事務所に紹介もできるから。アタシもほら、顔が広いのだけが取り柄でしょ。AVでもなんでも、やる気になったらいつでも言ってちょうだい。あなたみたいな上玉をこのまま田舎に帰すのはもったいないと思ってんのよ、アタシだって」

マネージャーは「じゃ、元気でね」と言って通話を切った。紗希は再びヨガの続きを始めた。ポーズを変え、呼吸に意識を集中させる。一日のメニューを終えたとき、両目から涙がこぼれ落ちた。この十年に得たもの、出会った人、悔しい思いや喜んだ一瞬が、ぐるりと胸をひとまわりする。

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それを愛とは呼ばず

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